# | 題名 | 作者 | 文字数 |
---|---|---|---|
1 | september | 蒼井鳥人 | 655 |
2 | 秋の夕暮れ | 黒崎 柚 | 430 |
3 | キーオ | akifu | 976 |
4 | 石碑 | 池田 瑛 | 999 |
5 | おでんの屋台 | 熟成ゴミの詩音 | 809 |
6 | ぼくの知らない彼女 | たなかなつみ | 723 |
7 | 於:心斎橋クラブクワトロ | テックスロー | 1000 |
8 | 香港不夜城 | Gene Yosh (吉田 仁) | 1000 |
9 | みずうみ | かんざしトイレ | 1000 |
10 | カラス売りの少女 | 岩西 健治 | 994 |
11 | 女装男子 | わがまま娘 | 967 |
12 | 何もない時に何が起きるのか | qbc | 1000 |
13 | ダンサーの夜明け | なゆら | 988 |
14 | 山脈 | euReka | 1000 |
15 | 邪悪と対面し、それを邪悪と見抜けない者から地獄に落ちてゆく | 塩むすび | 1000 |
16 | ツイッターの短歌や俳句 | ロロ=キタカ | 1000 |
墓の前で、私はいつの間にか泣いていた。
盆を過ぎた霊園には人影もなく、ただ遠くから掃除機をかけるような音が、バラバラに分解されて聞こえてくるだけだった。
落ち始めた木の葉を、管理人がブロアで吹いている。恐らくその音なんだと私はぼんやりと考えていた。
野球帽を反対に被り、腰からかけたボロボロの布で噴き出す汗を懸命に拭いながら、彼はこの広大な敷地に筋を描くように、恐ろしく大量の葉を掻き集めている。
何年か前に私はその光景を目にしたことがある。
その音がきっかけなのかはどうかは知らないが、私は涙を流していた。
去年の私は泣いていなかった。
一昨年の私はどうだったかは覚えていない。
それより前となると、果たして私はどうやって日々を生きていたのだろう?と、首を傾げてしまう。
哀しいとか、悔しいとか、寂しいとか。そういった感情に毒されない、純度の高い涙がこぼれていく。
地面に生えた芝にそれが落ちると、濃い緑色が変色して、より深い深淵の森のような色になった。
履いていたヒールを脱ぎ、裸足を芝の上に預けてみると、ひんやりとした奥から晩夏の地熱がしりしりとこみ上げてくるのが分かる。
その熱が私の落とした涙を空に運び、目には見えない雨を降らせている。
そしてそれが無数の墓に降り注いでいるのを想像する。
来年、私は泣いているだろうか?
それとも、二度とここには来ないだろうか?
私が死んだら、誰もこの墓の前で泣かないのだろうか?
いつの間にか、ブロアの音も聞こえなくなってしまった。蝉すらも、もう死に絶えている。
この世界で、私は本当に一人きりだ。
君と見た、あの狂わしい程に真っ赤な夕暮れを観たのは何時だっただろうか。
あの時君は確かにこう言ったんだ。
『来年もまた、一緒に観よう。』って。
その言葉一つで、僕は僅かにでも救われた様な気がした。
たとえ、どんな難病を患っていようと、君と会うときだけは明るくなれた。
あの優しい笑顔や、照れた時に頬を触る癖なんかが鮮明に脳内に写し出されて、恥ずかしいような、照れくさいような、何とも云えない感情に押し潰される。
今まで、なんの感情も無かった僕に、普通に笑ったり、泣いたり、怒ったり、当たり前の感情を教えてくれた君。
『もう、お別れだね。大丈夫、きっとまた何処かで会えるよ。』
なんて、最後まで格好よく言って終わりたいけど、どうやらそうはいかないみたいだ。
嗚呼、可笑しいな。
死にたくないって少しでも思ってしまった。
僕はもう、駄目みたいだ。
意識が朦朧としてきた。
考える事さえ、ままならない。
まだ、君とやってみたい事が沢山あるんだ。
せめてもう一度、君とあの日の夕暮れを見たかったな。
キーオは姉の帰りをずっと待っていた。
姉はキーオがまだ尻の割れたズボンを履いていた頃に、どこか遠くに行ってしまった。
その時、キーオは旅支度をして玄関に立っている姉を、嗚咽する両親の足の間から見ていた。キーオにはいつも優しくほ微笑んでいてくれた姉の美しい顔が、決意に満ちた、厳しい顔になっていた。優しい顔を与えてくれていた時間の方がずっと長いはずなのに、キーオにはあの眼が「くっ」となった顔が焼き付いている。
姉は歌が好きだった。夜を怖がるキーオを安心させるために、優しい声で歌ってくれた。歌声はキーオの心を実に穏やかで温かいものにさせた。そうして姉の両腕の中で知らず知らずのうちに眠るのが好きだった。
姉がいなくなってからの夜は、心がちぎれてしまう様な寂しさと共に過ごさなくてはならなくなった。キーオは耳の中に残る姉の歌声の再生を何度も試みたが、寂しさばかりが募るのであった。
あの日以来、両親は姉の話をしない。キーオが姉の話をすると、ふたりとも押し黙ってしまう。
ある日キーオがいつもよりしつこく、姉は何処に行ったのか、どうしているのかと問うたところ、父が「いい加減にしろ、二度と聞くな」と怒鳴り、母はしくしくと泣いた。
両親が嫌いになったキーオは、深夜に家の扉をそっと開け、裏手の林に入る前にある切り株に腰掛けた。姉がいつもキーオを抱いて、星々を眺めながら歌った場所だ。
今晩はよく晴れていて、三日月がしらしらとキーオの横顔を照らし、天の川銀河もはっきりと見える。
姉がいつも耳元で優しく歌った歌。キーオは耳の中に残された姉の歌声と一緒に、小さな声で淡い星々へ歌った。
口から流れるか細い歌は、徐々に幾つもの細く輝く糸となり、天に登っていくき、ゆらゆらと力弱く、天の川銀河にタッチした。
キーオは切なる願いを歌声に混ぜる。どうか、どうか姉とひと目合わせてください。
天の川銀河はキーオの歌声と十分に混じり合った。薄いミルクのような星々は、キーオの願いを聞くと、明滅を始めた。
姉は星たちの知らせを聞き、天の川銀河まで来ていたが、姿を見せることはなかった。キーオの歌声を天の川銀河の中から掬い上げると、しみじみと飲み干した後、また元来た道に帰って行った。
キーオはもうすっかり歌声を絞りきった。しばらく切り株で休んでいたが、もはや家に帰りたくなかったので、風になって、消えた。
僕は砂浜を歩いていた。人はいない。海岸線にあるのは、廃墟となったコンクリート製の建物と防砂林。三角コーナーに捨てられた卵の殻のような場所だ。
どうしてこんな場所に来たのか。町興しの為だ。僕は石碑をたぶん、探している。明治の時代に活躍した郷土の俳人。その俳人は、地元の神社やお寺、初めて町に出来た珈琲店などを題材にして俳句を詠んだそうだ。その俳人は酒屋の次男坊で金は持っていた。出来映えが良いと思った俳句は、石碑にその俳句を彫って寄贈したり、豪華な額縁に入れて贈ったりしていたそうだ。
町興しを企画したい人に奇跡が起こった、僕にとっては悲劇だが。
珈琲店で町おこしの為の会議をしていて、話題を作る材料に困り果てていた時、誰かがその俳句が書かれた額縁に目を留めた。そして、この俳句を詠んだ人は誰だ? という話になったそうだ。そして、さらに面倒な奇跡が起こる。百人一首や、松尾芭蕉の俳句を暗記している高齢者が多いように、その俳人の歌を暗記している人が存命であったのだ。
その口伝されていたとでも言うべき俳句を僕は全て書き留めた。あとは、なぞなぞに近い。この俳句がこの町の何処で詠まれたのかを予想し、そしてその痕跡を探しに出かける。野外であれば石碑だと思われる。
僕がその俳句を詠まれたであろう場所へ行き、石碑など、その場所で詠まれたという根拠を探す。その場所がスタンプラリーの台が置かれることになるらしい。もちろん、その俳句が彫られた判子だ。ご当地ポケモンの方がよっぽど良いと僕は散々言った。だが、却下された。
松と海。この組み合わせは、町ではこの場所しかない。もちろん、現在ではだけど。だが、防砂林の松の根元近くに石碑はあった。石碑を作るまでもない俳句であろうと僕は思って駄目で元々という気持ちであったが、あった。砂に埋もれて無いとも思っていた。松が凄いのか、その俳人の運が良いのか僕には分からないけれど、石碑は存在する。そして、これまでに僕が発見した痕跡と同様、高齢の女性が暗記していた俳句と一言一句違わない。
僕はそのスマートフォンを取り出し、地図アプリでその場所の記録する。
さぁ、次は田園風景を詠んだ俳句だ。悲しい事に、この町は大体、田んぼだ。だがあてはある。僕のフィーリングでは、この俳句は、少し高い所から詠まれた俳句な気がする。まぁ、残念なことに、小高い丘もこの町には沢山あるのだけれど。
電車に揺られる。
吊革を掴む指先が辛くなって、もう片方の手を掛け直し、重い身体を支えた。
夜前で群青色に染まった空気に沈み、夕食の支度をする家の影が流れていく。
疲れた。
電車を降りて、薄らと浮かび上がった白星を遥か天上に臨み、錆び付いた商店街の裏を一人で歩く。
その店が目に入った。
屋台であった。
おでんの良い香り。
思わず暖簾をくぐる。
「おや、若い客だねぇ」
ランプに輝くツユと湯気の向こう、人の良さそうな親父がいた。
「出汁巻」
自分の声は意外にもぶっきらぼうだった。
親父が黄色い玉子を皿に移す。
狐色の出汁をそれにかけてくれた。
「他には?」
「他に?」
「当たり前だろ、あんた、玉子食ってそんで帰るつもりかい?」
親父が笑った。
「じゃ、巾着」
「あいよ」
よく染みた餅巾着が一つ、出汁巻玉子にそっと添えられた。
「にしても兄ちゃん、元気ないなぁ」
「疲れてるんだよ」
「いやいや、その顔、何かあったろ? 一回限りの付き合いだしよ、おっちゃん何でも訊いてやるぞ?」
お節介な親父だ。
学生鞄を傍に寄せた。
「ずっと好きだった子にフラれた」
親父が吹き出した。
少しずつ寒くなる秋の夜前の空に親父の笑い声は結構響いた。
「ひでぇな」
「いやぁ、すまんすまん」
サービスだとでも言わんばかりにコンニャクを皿に追加する。
「で、どんな子だ?」
「笑顔が、可愛いんだよ」
「そりゃいいな」
「幸せそうに笑うんだ。それを遠くから眺めてるだけで良かったのに、周りに押されて告白しちゃったんだよ」
「あぁ、青春だね。だけどよ、兄ちゃん。愛は逃げないんだぜ? だから元気出せよ」
親父は自分の分のおでんも掬いながら楽しそうに言った。
「よくわかんないよ」
「すまんすまん、おっちゃん位になると若い子の前で恰好つけたくなるんだよ」
思わず笑ってしまった。
「出汁巻、もう一つ」
「へいへい」
こういうのも、何か良い。
ぼくは彼女の名前を知らない。けれども、彼女の優しさを知っている。ぼくは彼女の手を知らない。けれども、彼女の温かさを知っている。ぼくは彼女の顔を知らない。けれども、彼女の美しさを知っている。ぼくは彼女の姿を知らない。けれども、ぼくは彼女の存在を知っている。
ぼくは彼女に宛てて手紙を書く。お元気ですか。そちらの天気はいかがですか。穏やかな日々を送っていますか。今は何をしていますか。
彼女からの返事はない。
姉はぼくの手紙を自慰行為だと言う。自己満足のために自身を慰撫しているに過ぎないまやかしものだと。
ぼくはそうは思わない。
ぼくは彼女の名前を知らない。けれども、ぼくの手紙は彼女に届く。ぼくは彼女の手を知らない。けれども、彼女はその手でぼくの手紙の封を開けて便箋を開く。ぼくは彼女の顔を知らない。けれども、彼女の顔はぼくの手紙を読んで柔らかな笑みを見せる。ぼくは彼女の姿を知らない。けれども、彼女はぼくに宛てて返信をしたためる姿を見せる。
彼女からの返事はない。
妹は彼女のことをぼくの想像上の人物だと言う。自身を慰めるためにぼくがつくり出したまがいものだと。
ぼくはそうは思わない。
彼女はぼくの名前を知らない。だから、彼女の手紙はぼくのところに届かない。彼女はぼくの手を知らない。だから、彼女はぼくの手に触れることがない。彼女はぼくの顔を知らない。だから、彼女はぼくを見つけることがない。彼女はぼくの姿を知らない。だから、彼女はぼくの存在を知らない。
さあ、彼女に会いに行こう。ぼくは届かない手紙を鞄に詰めて旅に出る。行き先は決めていない。そういうものだ。
そうして、ぼくは出会うのだ。ぼくの知らない彼女に。ぼくの知らないぼくの果てに。
ドリンク券握りしめうろうろしている、伸ばしかけの無精髭がなまなましい黄色いシャツの男子大学生が、プラカップ入りのビールをカウンターで受け取るときょろきょろ辺りを見回し、喧噪の中で目を閉じてそれを味わったり、うつむいて自分の靴を見つめたりしていた。ひょろりとした百八十センチは超える身長で泡の消えたハイネケンに唇を湿らせてまた会場を見回すが、知った顔は一人もいない。そのことに少しの満足を覚えて、しかし開演時間が近づくにつれ高揚感も薄らぎ、徐々に寂しさが立ち上りかけていた。
「あ、すいません」
背中にぶつかられてそちらを見ると自分と同じくらいの年齢の女性客と目が合った。
「い、いえ」
黒い髪、大きな黒目、大きくバンド名がプリントされた黒いTシャツ。きっと背中にはそのバンドのその年のツアー日程が書いてある。なぜなら
「そのライブ俺もいきましたよ」
……とは言えない。コンサートは今日が初めてなのだ。
「初めてですか?」
何も言えずにいるとにっこり話しかけられた。唾を飲む。
「私名古屋のも行ったんですよ。ほら、これがその時のTシャツで」
Tシャツの前のロゴを両手の人差し指で指し示す。ロック好きの背の低い女の子の胸は小さい。
さあやるか、ボウリングのピンどもをなぎ倒すイメージはばっちり、リハも完璧。ドラムス、ベース、ギターが袖からステージへ出ていく。歓声。そして俺、ボーカル。会場を見回す。必死に女の子を口説いてる風の大学生が目に入って思わず苦笑。
「俺は…初めて…はい、ていうかうん、初めてで、でも、CDは聞き込んだし、全曲歌えるくらいで、特に三曲目、シングル盤と違うのがあの最後のところさ、あそこ」 がぎゃーん。ギター。女の子は前を向いてしまった。ステージ上に四人が並んで一曲目が始まる。ハイネケンを一気に飲んだ。
お前ら、倒れるまで踊れ、一緒になって踊れ、誰だ、うわ、こいつ、気持ち悪い。さっきの大学生、黄色いシャツを着た男がすげー楽しそうでしょ俺、って目でステージ見てる。そいつの踊りの奇怪さといったらない。鶏みたいに首だけ前に出して、がくがく震えるみたいな踊りで全然リズムあってない。
そして眉毛がとても太い。こいつスゲー眉毛太い。なんか、いまもう俺、すごい自分が格好悪いよ、「Love the Rock …」とか歌って。
気づいたら女の子もういない。肩で息して、プラカップ持って、一人で帰った。
1996年4月に香港へ駐在員として赴任した吉田は就労ビザを使用せず、観光旅行者として入国してしてしまったため、1か月を経過して不法滞在者となってしまった。マカオに仕事で往復5時間程度の滞在で香港入境において御用となり、事情を説明して、就労ビザを使用して正式に入国した。当初の入国後1週間程度でIDカードを申請したが、役所の人間も説明出来ず、そのまま放置されていたのである。正式に入国できたので再度、申請に行くとIDカードもすぐ取得できた。当時の香港は日本に比べると、社会制度は日本の30年前高度成長時代と同じであり、土曜日も半ドン勤務、日曜日も働く程忙しいのだが、都市を動かすシステムは日本の10〜20年も先を行っていた、未来都市のような高層住宅が林立し、吉田のマンションは地下鉄会社MTRの車両基地の上人工地盤で蓋をし建設されたものが20棟近く並び26階建ての25階の部屋であった。地震の起きない岩盤の上に立っているため、築10年程度の建物は50階以上と東京の当時の超高層ビル並みで乱立しておりました。地下鉄の自動改札、スイカならぬ、オクトパス(八本足の快速パス)とはバス、フェリー、中国への鉄道も含めあらゆる交通手段に使用できる優れものであった。クレジットカードもリボ払いのようなミニマムペイメント額を収めれば、自動的に融資を受ける状態で、3年後帰国時には危うくカード破産になるところであった。当初、トラぶったIDカードも運転免許証もICチップによりIDに乗せられる。当然本人の就労ビザの情報も会社名や資格、役職もリーダーにかざせばすぐ読み取れる。びっくりしたのは香港テレコム(日本のNTTみたいな会社)のビルに民放の香港支局さんが入居していたが入口の受付にいたガードマンが吉田のIDカードを読み取り、勤務している会社の名前を読み上げていたこと。また、夜飲みすぎてタクシーで帰宅途中、警察の検問に掛かり運転手とお客のIDを本部に照会して問題ないか確認する。こちらもやっと導入が始まったマイナンバーカードと似ているが、犯罪履歴から税金の滞納に至るまで高性能な社会システムのツールになっている。眠らない街だからサービスも眠らない、レストランは大抵24時間営業朝昼晩夜食と継ぎ目のないサービスを提供している。これが今から20年前の香港。当時の検問の警官から一言『ジャパニーズ、カラオケ、ハッピーね』と。
むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました。おじいさんは山へしばかりに、おばあさんは川へせんたくに行きました。おじいさんが山にはいると、どこからともなく化け物があらわれて、行く手をはばみました。
「わわ。化け物じゃ」
おじいさんはびっくりして逃げ出しました。どこをどう走ったのか、おじいさんは小さなみずうみのほとりに出てきました。おじいさんでも知らない場所でした。森のほうに戻ろうかと思いましたが、木がうっそうとしげっているし、なによりも化け物がこわいので、みずうみに沿ってゆっくりと進むことにしました。
やがておんぼろの小屋が見えてきました。小屋のそばには木が立っていて、葉っぱはすべて落ちているのですが、何かの実がひとつだけなっていました。小屋はあまりにもおんぼろなので、助けをもとめようかと考えていたおじいさんはがっかりしてしまいました。
「しかたがない。あの果物だけいただくことにしようかの」
木の根元がぼっこりともりあがっていて、足をかけられるようになっていました。おじいさんは息をととのえてから、ぐいっと木にのぼりはじめました。すこしずつ持ち手をさがしながら、おじいさんは上へ上へとのぼっていきます。もう小屋ははるかに下に見えています。でも果物にはもうすこし手が届きません。また一歩おじいさんが木をのぼると、果物はいつのまにかまた遠ざかっていきます。
「なにかおかしいのう」
おじいさんは首をひねりました。辺りがすっと暗くなってきたかと思うと、ごろごろと雲があやしげな音をたてはじめました。と思う間もなくはげしい雨がたたきつけるようにふってきました。稲光がして雷のおとがひびきわたります。おじいさんは首をすくめて、どうしたものかと考えますが、いい方法はありません。そうこうするうちに雷はどんどん近づいてくるようでした。木のえだに抱きついて顔を下に向けると、木の根元に化け物が立っているのが見えました。
びっくりしたおじいさんは再び木をよじのぼりはじめました。次のえだに手がとどくと、その先に果物がなっているのに気づきました。おじいさんが果物に手をのばそうとすると、果物はぐんぐん大きくなりました。ぐんぐん大きくなった果物はばっくりと口をあけるとおじいさんをひとのみにして、そのままみずうみの方に落ちていきました。水しぶきを上げたあと、その実はゆったりと流れていきました。
市場町に越して半年。最初、彼女に会ったとき、下心がなかったと言えば嘘になる。実家にいたとき、たまに宗教の勧誘がきて、うまく断れずに話を延々と聞くだけで気苦労してしまい、二、三日気分が陰鬱になることも多かった。神様、どうか俺を救って下さい。
カラスの肉は実にうまかった。何か特別なレシピがあるのか尋ねると、その家、その家でストックしてある食材が違いますから毎回アレンジのようなものです、と彼女は言う。灰色の世界がやがて黒になり、あぁ、この味だ、この味だ、カラスとは初対面なのに昔から知っていて、知っているにも関わらず探し求めていて、やっと見つけた。そんな味である。
月一程度で彼女はカラスを売りにきた。違法性がどうのこうのは調べても不明で、だから、大家にそういうこと聞くもんじゃないと勝手に判断した。というか、後ろめたい味であったのだ。デートに誘ったのは、三回目のカラスのあとであり、デートは午後から雨になった。俺のジーンズやカラスのスカートの裾が雨を吸って、それが心の重みと同じ重さになってデートは消滅。それから、二、三日気分は落ち込んだ。
ある日突然痩せたのではなく、日に日に少しずつ、だから気付けなかった。どうした、と聞いてもカラスは口ごもり、どうしても触りたくて彼女の髪に手をやったら、髪はずしりと下に落ちた。
咄嗟に頭を手で覆う彼女。沈黙するだけの俺。窓の外にはカラスが鳴く。
排卵って、本当に卵出るの知ってた?
俺の見ている前で彼女は卵を産んでくれた。これ、受精卵じゃないから、今朝の朝食にするね。
(そのときの俺は女の体のことよく知らなくて、彼女が青い卵を産むことに何の疑問も持たなかった)
「痛くないの?」
「平気、ちょっと重い感じあるけど」
黒い世界が灰色になり、痩せた彼女の髪が床に落ちて、それだけ見ると鳥の死骸のようでもあるウィッグ。俺の手の中の彼女の骨がきしむ夕刻にカラスが泣いて、俺も泣いた。
今度は俺が料理するからさ。別れ際、彼女は何もなかったかのようにウィッグを着ける。お互い崩れた気持ちを繕うように顔だけは笑顔を作る。
市場町で五年、新しい職場にも慣れ、青果担当を任されるようになった。俺がカラスを食べ尽してしまったのだ。今更ながらそう思う。今の彼女はカラスのように青い卵を産むことはない。雨があがると空を見上げた。雨は嫌いであるが、できた水たまりは好きである。
母から兄貴の結婚式の日取りが決まった、と電話があった。
「振り袖の着付け、お願いしておけばいい?」
さも当然の如く言う母に、「いや、礼服です」というのが精一杯だった。
「母さん、珠里ちゃんの振り袖姿見たかったのに、残念だわ〜」と電話の向こうで盛大に溜め息をつかれ、俺はガックリと落とした。
「わかってて言っているのが、困りものです」
どうぞ、とデスクに座って書類を眺めている雇い主の千奈津さんにコーヒーの入ったマグカップを渡す。
クククッと肩を震わせて千奈津さんは笑っていた。
「笑い事ではありませんよ……」
もう、と俺はホトホト困った顔をして自分のマグカップを持ってソファーに沈む。
探偵事務所、という名の何でも屋に雇われてもうこれで3年になる。メインは浮気調査や素行調査だ。今ここにいるのは、嫌々やっていた女装が千奈津さんの目に留まったから。だから、今は不本意ながら女装が仕事になっている。
「新郎の弟が振り袖で現れたら、破断ですよ」
「破断ってことはないでしょう」
もちろんそうだろうが、話題は花嫁から一気に俺の性的マイノリティーにシフトするのは間違いない。
「でも、結婚式に行くのに振り袖って選択肢はありよね」
手に持っていた書類とマグカップをデスクの上に置いて、千奈津さんはソファーでコーヒーを飲む俺を見る。
「誰が着付けしてくれるんですか?」
俺はジト目で千奈津さんを見る。
「自分でするのよ」
「俺、振り袖なんて着れませんよ。浴衣も怪しかったのに……」
「そっか〜ぁ」
千奈津さんは唇に指をあてて天井を見上げて考え込むふりする。
「着付け教室に通う?」
ニヤッと笑って、千奈津さんは俺を見た。
「は?」
「どこか適当に探してみるから」と、千奈津さんはPCに向かってカタカタし始める。
「いやいや、何言ってんですか?!」俺はあわてて立ち上がり、千奈津さんのデスクに両手をつく。
「だって、レパートリーが増えるのはいいことじゃない」千奈津さんは真面目な顔を俺に向ける。
「そういうことじゃなくて……」
「どういうこと?」
「俺が教室で脱いだら大問題ですよ!!」
「下着の問題?」
「ちっが〜ぁう!! アンタわかってて言ってんだろ!!」
叫んだ俺の顔を眺め、その視線をゆっくり下に動かした千奈津さんは「ちっ、つまらん」と言って、再び書類を持ち上げた。
俺の周りの女って、こんなやつばっかりだ。
すれ違った瞬間にダンサーだとわかった。
つまりダンサーはまだステップを踏んでいた。たいへん華麗で、ややこれはこれは、と思った。
ダンサーを見たらもうダンスははじまっている。わたしもいびつなステップを踏んだ。ミュージックはすでに脳内で大音量、手足が勝手に、の状態である。
踊りだしたわたしを見てダンサーは明らかに落胆した。
彼、あるいは彼女は休息を欲している。ダンサーは命を燃やしながらそれを燃料にして踊るのである。現在、夜明けであり、ダンサーの命が尽きるほんの少し前。もう少し踊るためには休息が必要なのだ。
ところが、すれ違った女が踊りだしたものだから、ダンサーとしてはステップをやめるわけにはいかない。先にステップをやめることはプライドをずたずたにされたも同然。ごめん、けども止まらんのよステップが。
わたしはミュージックに耳を澄ませた。
それはダンサーの鼓動だった。ダンサーの顔色とは裏腹にミュージックは陽気で活発で太陽が燦々と降り注いでいて常夏のカクテルがからんからんと鳴っている。これが職業ダンサーの潜在力なのかと驚愕した。
夢中でステップを踏んでいると楽しくなってきた。いや、はじめからマックス楽しかった。ひたすら踏むステップが宙に浮かび、ダンサーの体を鞭打ちはじめた。ステップにもてあそばれるダンサーの姿は滑稽で、貴重で、もっと見たいもっともっと見たいの、と感じた。鞭打たれてダンサーはだらしなく笑った。彼あるいは彼女は天性のダンサーだった。鞭打たれることの悦びを知っている。
命は燃え尽きようとしている。ミュージックがなだらかに絞られ、時々途切れるようになった。ダンサーの動きが鈍ってきた。ダンサーがダンスをやめるときそれは死ぬときだ。マグロが泳ぐのと構造は同じだ。ダンサーの表情がなくなった。ほとんどプライドだけでステップを踏んでいるようだった。ミュージックはほとんど聞こえなくなった。大丈夫、これは俺の鼓動だ、ミュージックなど頭の中でいくらでも再生できる。
ステップの鞭が唸る。とどめを刺す気らしい。ステップのばかやろう、とわたしはなじった。ステップがひときわ強く鞭を打ち、ダンサーはちょうど半分でぽきんと折れた。そのままステップも止んだ。動かなくなったダンサーを拾って、コンビニの傘立てに立てかけておく。誰かが必要なときにこれを手に取るだろう。折れたダンサーは地域の共有物だ。
私はある惑星に捨てられた。
黒い空に仲間の宇宙船が消えていくのを見送ったあと、私は宇宙服を着たまま歩きはじめた。これは、私が仲間の一人を殺してしまったことに対する罰であり、私はその罰を素直に受けようと思った。
惑星には地面のほかには何もなかったが、遠くに山脈が見えたので、私はそれを目標にして歩くことにした。
私は光の差す昼になると歩きはじめ、夜になると眠った。惑星には大気が存在しないせいで、昼間でも空は真っ黒だった。宇宙服の酸素はとっくになくなっていたが、息が苦しくなることはなかった。もしかしたら自分はもう死んでいるのかもしれないし、あるいは夢を見ているだけかもしれない――もし夢であるなら、本当の自分はどこにいるのか――本当の自分は今、幸せなのか――などということをヘルメットの中で考えているうちに、百回ほど昼と夜が繰り返され、遠くに見えていた山脈の頂上まで辿り着くことができた。頂上から眺める空は青く、山脈の向こうには緑の森が広がっていた。そしてその先には、灰色の大きな街が見えた。
私は山脈を下り、最初に目にした民家の玄関を叩いた。すると老婆が現れて、お茶でも飲んでいきなさいと言うので家に上がった。私は宇宙服を着たまま畳の上に腰を下ろし、ずっと被っていたヘルメットを脱いだ。テーブルの上に煙草が置いてあったので、一本口にくわえて火を点けた。しばらくすると、お盆を持った娘が現れ、私の目の前にお茶を置いた。お婆さんはどうしたのかと娘に尋ねると、お婆さんはもう死んだわよと言って、娘は仏壇のほうを見た。
「そんなことより、今日は買い物に連れてってくれる約束だったでしょ。あなたも早く支度してよ」
私は娘と車に乗って街へ出かけた。デパートは家族連れやカップルで賑わっていたので、きっと今日は日曜か祝日なのだろうと思った。娘は私を水着売り場へ連れて行き、水着を試着してポーズをとりながら、似合うかどうかを私に尋ねた。よく分からないと私が言うと、娘は頬をふくらませてカーテンを閉めた。
それから秋になって娘と結婚すると、一年後に息子が生まれた。息子は中学生になると、ガールフレンドをよく家へ連れてくるようになった。
そしてある時、息子のガールフレンドが突然私の耳元で囁いた。
「あなたはもう死んでいるのよ」と。
私は彼女を抱きしめ、教えてくれてありがとうと言った。息子はその様子を黙って眺めていた。
夜半過ぎ。篠突く雨がぬかるみを踏む音を隠す。訪問者はチャイムを鳴らす。閉ざされていた扉が開かれる。訪問者は出迎えた女に母親の面影がないことを確認した。
訪問者はタブレットを取り出しライブ映像を両親に見せた。両親は狼狽えていた。
真由さんの命、安全、貞操を買っていただくために参りました。
父は怒り狂い訪問者を殴る。それを受け画面の中の真由が代わりに殴られる。父親は唾を吐いた。
お前と真由を交換する手もある。きっと安全と貞操がお安くなります、まあ結果的にですが。
両親は話し合う。生命はわかる、安全とは。真由さんが無傷でご帰宅されます。貞操とは。犯されずに帰ってきます。具体的には。部下数名に浮浪者などを加えてレイプします。妊娠の可能性もあります。
両親は話し合いの結果、生命と貞操を買うことに決めた。真由の将来のために蓄えは残すという判断だった。
金を払うべきだ。訪問者はその言葉を噛み殺した。獣には餌が必要だ。お買い上げありがとうございます。訪問者は言った。
「AVにでも売った方が早いのに」
「誰も買わねえよ、性のプロなめんな」
「海外に売るとか」
「本職に睨まれるぞ」
「殺しはやるのにそこは慎重なのか」
「死は全てに平等だからな。女、男、ガキ、老人。だから俺達も平等だ」
「自分も早く殺しをしてみたいですわ」
遅かれ早かれお前は殺しをしたことになるさ、死体でな。
翌朝、母親が現金を引き出し、娘を乗せたワゴン車が到着した。
車から降りた真由は変わり果てていた。前歯はごっそり抜け落ち、眼窩は腫れ上がり、色とりどりの痣、額に無数にはしる深い掻き傷、切り取られた耳たぶ。娘は駆け寄る両親を突き飛ばし、ふらふらと家に入っていった。男たちは大量の抗生物質と痛み止めを渡しその場を後にした。
あの両親は金を払うべきだった。領分を越えた想像などできないし、世界の良心を信じていると思っていても結局は自分の良心にすがっているに過ぎない。邪悪を見抜けない者から地獄に落ちる。蓄えはすべてこのときこの一度のためにあったのだと考えるべきだった。あの両親は金を払うべきだった。
被害者を置き去りにしたまま記憶は薄れゆき、罪悪感の許容量は日々増してゆく。明日は明日の罪があるさ。
だがこの夜はいくら酒を飲んでも眠りに落ちることができず、そんなとき、かつて母親に似た女を襲った記憶が、指先にこびりついた血と体液の感覚が蘇るのだ。
私がフォローして居るツイッターの短歌や俳句を読んで居ると何か自分でフォローした以上、責任を持って読んでいきたいと思うが、半分も読めて居ないような気がする。
くちづけを離せば清き頬のあたり零るるものあり油のごとく 小野茂樹「羊曇離散」
「くちづけ」と言う単語にハッとする。「油のごとく」は涙を油に譬えて居るのだろうか。頬のあたりをこぼれるので、涙のような気もするが、何か宗教的な背景まで邪推?してしまう。この人はキリスト教徒だったのだろうかとふと思ってしまった。
しろじろと母が前掛け羽織の前 中村草田男「火の島」
「羽織」はいろいろな季節に顔を出しますね。冬羽織。夏羽織。冬羽織は袷(あわせ)羽織、茶羽織(ちゃばおり)、半纏(はんてん)、綿入(めんいれ)羽織、皮羽織など。皮羽織だと火事装束としても、戦(いくさ)装束としても用いられたようだ。軍羽織ですね。鹿や馬や牛の皮などをなめして作ったそうです。夏羽織だと単(ひとえ)羽織、薄羽織、麻(あさ)羽織、絽羽織(ろばおり)などか。いずれも絽、麻、紗などの透けた素材ですね。夏らしく涼しそうな感じです。
ツイッターだけでは無くて、ネット全体を渉猟して居ると、この句の作者中村草田男の「火の島」と言う句集は、「火の鳥」とも出て居り、「火の島」なのか「火の鳥」なのかが分からなくなる。何にしてもこの句では「母」と言う単語もキーワードであろうか。
たちさきし軍衣も共に包む如(ごと)白き病衣はうちかけられつ 近藤芳美「早春歌」
「たちさきし」が分からない。「裁(た)つ」「裂(さ)く」であろうか。何にしても「軍衣」と「病衣」の異同が眩しいような気がすす。軍医と軍人を考えれば、同質性が想像されるが、傷痍軍人を考えれば、異質性が際立つような気がして来た。いずれにしても同じ戦場に立つ戦友と言う観点からは同質性の方より大きいような気もするが、いろいろと他にも、視点が蔵されて居る様に感じられる。
ふるさとの春暁にある厠かな 中村草田男「長子」
中村草田男の第一句集ですね、「長子」は。季語は「春暁」。現代俳句協会のサイトから「春暁」の句をピックアップしてみました。
あかね雲春曙のイナバウアー 谷岡武城
さつくりと紅浅間てふ春の暁 伊藤眠
ねむる子に北の春暁すみれ色 成田千空
ふるさとの春暁にある厠かな 中村草田男
歴史について思いを致し、私はしばし瞑目することに成ったのでした。終了