# | 題名 | 作者 | 文字数 |
---|---|---|---|
1 | SLIP | しょうろ | 1000 |
2 | 逃避少女 | akifu | 998 |
3 | 女神 | ナフサ | 297 |
4 | ˹貴方を内臓で叩き潰しちゃった˼ | リレイン | 453 |
5 | 蝉時雨、最後の夏 | 雨森 あんず | 655 |
6 | See you in NYC | Gene Yosh (吉田 仁) | 1000 |
7 | ラスボス | かんざしトイレ | 1000 |
8 | どの面下げて | なゆら | 995 |
9 | 編み物 | わがまま娘 | 985 |
10 | 喧嘩 | 創 | 493 |
11 | 乾電池 月末月旅行 | 岩西 健治 | 996 |
12 | 兄弟仁義(仮) | 塩むすび | 1000 |
13 | 蜃気楼 | 池辺雨森 | 988 |
14 | 彼に幸あれ | 宇加谷 研一郎 | 1000 |
15 | 速報 | テックスロー | 1000 |
16 | 西武新宿ペペ下 | qbc | 1000 |
17 | クマモト地震 | euReka | 1000 |
おい。
下ばっか見てたら、頭ぶつけるぞ。
でも、上向いてっと、すっ転ぶだろ。
だから、前見て歩け。
前だけ見て、胸張って歩け。
ほら、まずは顎引けや――。
携帯のバイブレーションに起こされて瞼を開けると、いやに明るい硬質な光が目に入ってきた。今は大体…十三時。下がりかけの白日が、新幹線の分厚い窓ガラスを透過していて、ひどく眩しく感じる。
先程、微睡みの中で淡く響いていた声は、忘れもしない、私がまだ小さかった頃、“叱り屋”だった父のものだった。
その人は、いわば私の育ての父であり、血縁関係は無い。ただ、私が生まれてすぐ、本当の父親が亡くなり、四年経って再婚したのがその人なので、感覚としてはあまり変わらないと思う。
そういう私は今、流れる片田舎の風景を見つめながら、少し高価な線香を撫でつけている。
一ヵ月前のことだ。大きな巌石が無数に転がるレバノンの急流に桟橋をかける工事の担当を任されて、施工中の現地に赴任していた時、そんな父の訃報が届いた。この連絡が届いたのは、実際に父が亡くなって十日ほど経ってからで、様態が急に悪化した、という旨の報告と一緒に届けられた。
昔の父は、厳しいと言えば厳しかった。とにかく大きく見えた。ただ叱っているイメージしか、もはや頭に残っていない。年を取って分かったが、あの人は、父親としての役割を全うしようとして叱ってくれたのだ。
最後に父に会ったのは、二年以上前の、病室での面会だった。父に言わせると、「お前は子供の頃から変わってない」そうだが、かくいう父の表情も、昔と何ら変わりはなかった。変わらないというか、丸く、寂しげな背中が、むしろ小さく思えて――と、そこまで思い出したところで、駅に着いた。
少し歩き、草木が茂った石段を登って、父親の墓石の前にしゃがんでみた。私は表情も変えず、線香にも触らずただじっとしていた。ようやく水をかけて、一つ気付いた。
「名前、長くなったんだな」
本来の目的を済ませ、墓地を抜けたところの暗い石段を下りると、開けた砂利道に出た。
下ばっか見てたら、頭ぶつけるぞ。
でも、上向いてっと、すっ転ぶだろ。
だから、前見て歩け。
分かってるよ、親父。
でも今日は、空でも見ながら歩くことにしよう。
なんだか、肩を並べているような気がするから。
私は遠回りの道を選んだ。
だが、帰りの駅に着くまで、道端の小石に躓くことは、一度もなかった。
ぼんやりと座っていた。
小鳥のさえずりが聞こえ始めた。
もう学校に行かないことにした。
これからは先生にも叱られないし、同級生にも馬鹿にされない。そんな日々を思うと、すこし心が軽くなった。
窓から射す朝日と共に熱いシャワーとを浴び、体を洗い流した。排水溝に吸い込まれていく液体をじっと眺めた。
8時になる。2階のベランダから学生たちの頭を盗み見る。大きな運動かばんと教科書かばんを振って、校門まで急ぎ足。いつもなら8時25分の着席を守る為、私も同じ様にカバンを振っているのに、制服に着替えていない。
今から着替えて走れば、まだ遅刻にはならないかな、と少し思った。
心がチリチリと不安になる。
教育テレビを見ながら、冷凍してあったトーストを焼いた。
朝読が終わり、一限目が始まる時間だ。
電話が鳴る。担任だと思う。呼吸を殺してやり過ごす。電話は間を空けて3回鳴ったが、全部知らんぷりをした。
私の机を想像した。いつもいるはずの場所に私がいない。
低学年向けの算数の番組がやっている。
冷蔵庫の匂いがうつったパンをなんとか牛乳で飲みくだし、すぐに席を立った。
担任教師が私を訪ねてくるかもしれないから急がないと。部屋も散らかったままで構わない。
水筒に甘い紅茶を入れて、目に付いたアーモンドのパックをリュックに詰めて、自転車で土手に向かう。
道すがら見るのは、銀行から出てくるおばあさん。
ローソンの前で菓子パンをかじるおじいさん。
子供の手を引いて歩くお母さん。
私の事件性とあまりに掛け離れた光景。
おまわりさんに見つからないかな。
自転車で30分程度の所にある、舗装がされていない土手には、いつも暇な人がより暇を求めにやって来る。
平日の昼間なんて、どれだけの暇人が訪れるのだろう。
長く続く道の上で、トンビがキュルリと鳴き、その眼下には太陽を反射しながら、川が静かに草むらを木々を抜けて流れていく。流れた先には入道雲が育っている。
草の香りをまとった風が体を包む。
私はあまりにも自由すぎて、とても空っぽな気持ちだったので一つ目標を決めたかった。
「海まであと130km」と書かれた看板を見つめる。
川とともに風とともに海まで行ってみようと決めた。今決めた。
学校にも行かないし、帰る家もないし、たった一人の父親も今朝死んだ。
リュックからアーモンドを取り出し、一粒嚙みしめる。
それはそれはあまりにも、景色に不釣り合いな香ばしさだった。
自堕落な暮らしをしている男が、恋をしてしまった。相手は気づいていない。男は夢を持っていたが、金がなくて諦めた。よくある話だ。相手は普通の会社員の女性。彼女と話をするために、男はハローワークに足を運んで、仕事を見つけた。それまで読まなかった本を読み、聞かなかった音楽に耳を傾け。そうして相手に見合う男になったと思った所、彼女は姿を消した。理由は何一つ、わかりはしない。男は、いつの間にか仕事に就き、違う世界を広げていた。男は姿を消した彼女の事を、女神だと思った。それから暫くして、彼女が自殺したことを知った。男は心の中で、とても済まない気持ちになって、自殺防止のNPO法人に勤めることにとなった。
貴方が嫌い。厭わしいよ。気味が悪い。見ていると不快。
血色の悪い寒色の唇、舌べろ。爬虫類を連想させるわね。
肌は硬質でザリザリしてて、死んだ人色。
特に君の目、一番汚い。一重で細くて下品な瞳。
その目で見つめられるとね。愛想笑いが出来るよ。
だって、嫌でしょ。自分より小さい子に蔑んだ目で見られるの。
それに私は嫌なの。君相手に感情見せるのは。
ね?これでもソンチョウしてるよ。君のこと。えらい?
うんうん、そうなんだ。そんな気はしてたんだけど。
私もまだずーっと言いたい事があるよ。
何で私の後ろに来るの?
私ね、背後に人がいると怖いんだ。 だけれども君は飽きずに私の後ろにいるね。
恐ろしいんだよ。
なんでこっちみてくるな
くるいよ きみのひとみのおく
あああああああ聞きたくなあいききたきないよ,
可愛い私の欠損養分
私が貴方の神様よ よしよしいいこ、いいコちゃん
今まで何してたの?
いえないのよね。分かってあげるわ。
とっても疲れた顔してるん。
私の内臓でおねんねなさい
でもね、可愛いいいコちゃん。
神様は言わなきゃいけない義務があるの。
蝉時雨が、聞こえない。
そう気が付いたのは、ついさっきのことだ。そういえば、もうしばらく蝉のなく声を聞いていない。この前まで鬱陶しいくらいだったのに、聞こえなくなったら結構さみしいものだ。
もうすぐ、夏休みが終わる。
今年の夏は去年よりだいぶ暑かった。でも、八月二十八日、昨日は少し肌寒いくらいで、クーラーをつけずに一日生活した。
蝉の命は、七日間だという。人間の命はどれくらいだろう。大体八十年とか、日本人だとそれくらいかな。そんな中の、貴重な、とても貴重な二カ月。
私は、この二カ月にあったことをすべて覚えている。
七月のはじめに、病気があると知った。胸が痛くて病院に行ったら、入院を勧められた。一カ月入院して、とりあえず退院。だけど私は知っている。毎夜、両親が泣いていることを。そして、その理由が、たぶん、私の人生の短さを嘆いてだということを。
もうすぐ死ぬのだ、と根拠もなく確信したときから、世界が違って見えた。蝉の声が聞こえなくなったなんて、去年の私なら気づかない。去年の私なら、今日の肌寒さなんて良かったくらいにしか思わない。
去年の私なら、きっと、病気になるなんて思ってもいない。
窓の外に、入道雲が見える。光り輝く庭のひまわり。ああどうか、私、あのヒマワリが枯れていくのを、せめて見届けられたらいいのに。
同級生たちと一緒に、中学校生活最後の夏休みを消費していく。私たちは、人生を消費していく。その中で、いつか、もういなくなった蝉たちみたいに、思いっきりないてみたい。
「生きたいよ」、って。
吉田はJFK空港に降り立った1999年9月15日、早朝6時のこと。迎えは誰もいなかった、当時は同時テロの前で、国内線でも国際線でも出迎えは保安検査所を通れば、乗客でなくても、出迎えでもゲートの前まで入れるのに、日曜日の早朝でもあり、迎えは誰もいなかった。LAからの国内線でNY観光者も帰宅者も出張者もそそくさとターミナルビルから退散し、数名の乗客しか残っていなかった。NYCは日本に比べて1か月早い、9月半ばは10月中旬、紅葉の時期である。11月のインデイアンサマーが少しあって、一気に真冬へドカ雪で空港も閉鎖されるあの光景。夏は雨季はなく5月から湿気たっぷりの真夏で35-40度、華氏でいうところの100度越え、真冬はマイナス10度以下の華氏一桁この温度差が、人間を緊張させるのだろうか。ビジネスでもスポーツ、アートでも世界最先端と行く街なのかと。
香港勤務を終えて、日本に帰国後、管理職として部署も用意してもらいながら5か月でNYCに転勤。前任者が退職のため、急遽、白羽の矢が立ったのだが、引き継ぐ退職希望者が、迎えに来ない現状からこの先どうなるのかと心配をよそに、ご本人やっと迎えに来た。昨晩も仕事で遅かったので寝坊したと言い訳しいし、1週間で退職も帰国せず、2週間後、同じ建物の斜め前で同業他社に移り、営業を開始するとは、様々な妨害工作を行いながら、こすっからい人間にどうしてこんなにひん曲がってしまったのか、当社の環境がそうしたのかと自戒の念に駆られる1年を過ごす始まりであった。
日本人のコミュニテイは駐在員の職種によるもの、家族形成により居住地区によるものが多く、職場中心に車、電車などの通勤圏に広がっているが、中心はマンハッタンであることに間違いはない。夜の店も49-53丁目に広がっていて、飲食店とクラブが集中している。日本人が耐えられる和食の店は少なかったが、ニューヨーカーにも認知されて、そこそこ人気であった。しかし娘達のいるクラブはアルバイトの学生が中心で、専業のホステスを抱える店は韓国人ママの高級店で別格であった。昼間は学生、夜はアルバイトの若い娘たちは寝る間を惜しんで勉学ではなく小遣い稼ぎに生を出しているのである。なんといっても衣食住すべてで世界のトップを行っているNYCだけに大変苦労しているとのこと。初めて通った店は和食店の2階の韓国人ママの「再会」という店であった。
ついにラスボスを倒した。コンティニューなしで十回勝ち抜くとようやく現れるラスボス。特別に強いわけではないが、紙一重の差がいつも埋められなかった。金と時間をつぎこんでようやく奴を上回った。これで世界が救われたのだ。
邪悪で醜悪なモンスターどもを次々と葬り去ってきた。画像が妙にリアルで、見ているだけで吐き気がしてくるモンスターどもだった。生理的な不快感をわざわざ刺激してくるような気持ちの悪さ。奴らを叩きつぶしたい。消し去りたい。それがこのゲームにのめり込む要因の一つであったことは確かだ。
このゲームはそんなに流行っているわけではない。そこがまた気に入っていた。今のところ周囲でやっている人は誰もいない。自分だけが知っている優越感みたいなものだ。
ラスボスを倒して世界に平和が戻ったはずなのだが、敵の襲来がなくなるわけではなかった。ボス級の異常に強い敵がふいに現れて襲いかかってくるのだ。少しも油断できない。
「先輩もこれやってるんですか」
意外な奴が話しかけてきた。
「ああ。お前もやってんの」
「ラスボス倒したんですか。すごいなあ。おれもいいところまでいってるんですけど」
自分だけのテリトリーを侵されたようで不愉快だったが、興味を引かれたことは確かだった。お前がどれほどのものか見せてみろという気分。
「ほら、だいたいラスボスまではたどりつくんですけどね」
奴の画面を見るとボスの一つ手前を倒しかけていた。「死ね、死ね」とつぶやきながら攻撃コマンドを出すこいつもかなりの中毒者だ。横から見ているとあぶない奴としか思えない。
「よっしゃ。倒した」
場違いな声のボリュームに動揺した瞬間、ポケットのなかの端末が通知を受け取った。取り出して確認するとあのゲームが起動している。またしても敵の襲来だった。何だかうんざりしてきた。ラスボスを倒したら世界に平和が戻るのではなかったのか。終わりなき戦いは幸せなのか。しかももう自分だけのひそかな楽しみでもない。
隣り合って仲よくゲームしているのも実にくだらなかった。でもすぐに気がついた。隣の画面のラスボス、あれはおれだ。自分は正義の味方のはずだったのに、いつのまにかラスボスになっていた。醜悪な姿で全国のプレーヤーからありとあらゆる悪意を向けられる存在。そんな馬鹿な。おれの画面と隣の画面、どちらが真実なのだろう。どちらが真実から目を逸らすための変換情報なのだろう。
多分呪いだ。
由緒ある寺に飾ってあったのを、坊主が座禅組んで集中している隙にくすねてきた。なんか古めかしくてほしくなったんだよね。
狐の仮面がそうさせたんだろう、わしを手に取り盗め、そして付けるのじゃ、と言われているような気がした。
家に帰って鏡の前に立ち、付けてみたが、何か変わった感じもしない。
やはり気のせいか、と外そうとすると外せない。仮面をつかんで外すだけなのに手が動かない。大きな力で押さえつけられているよう。
途方に暮れようとしたが、いやでもさ、仮面があることが当たり前のような気さえしてきた。狐の仮面はぴったりと私の顔に張り付いている。皮膚感覚だ。突然右頬が痒くなる。仮面の上をかりかりやると、心地よい。歯がゆい思いをするのではなく、右頬を直で掻いているような感覚だ。すばらしい吸着力。仮面はすでに私の一部になっていて、今後、私はこの狐の仮面とともに生活をするのだという自覚が芽生えた。
狐の仮面をかぶったまま日常生活を送るなんて、仮に在宅仕事を中心にして、極力人と会わないようにすればなんとか成り立つ。けれど、現在、私は学生で、恋人もいるし、授業に出ないと単位はもらえない。狐の仮面がとれなくなったから授業に出られませんは認められないだろう。仮にこのまま授業に出るとして、それとりなさい、となるのは必至で、いやとれないんですこれ呪いで、とか言い訳しようものなら、あの中年女は自分が馬鹿にされたと激怒して、出て行け、と怒鳴られるのがオチだ。じゃあ外してくださいよ、と泣きつこう。ひとしきり引っぱり、なるほどこれは呪いやわ、じゃ病院紹介するわと紹介された病院に行くと、呪い、いや阿呆か、じゃ試してみて、なるほど、という同じ件を何度か繰り返した末、手術台にのせられて、麻酔されて仮面と皮膚を切り離す手術をはじめられるかもしれない。無駄無駄、呪いなんだから、切り離したところで、包帯が取れる2週間後には再生しとる。皮膚と同じようなもの、いやそれ以上に強力な呪いなんだから。仮面は再生する。プラナリアの遺伝子が入っとるからね、切っても再生する。なるほど無敵じゃない。わし、無敵、どけどけお狐さんが通る。油揚げを供えんかい。甘塩っぱいだしをたっぷり吸った油揚げを見れば腹は膨れる。マジで?つかお前だれ?お狐さん?わしはお前自身じゃ。あかん、あたし、おやじ化しとる!恋人がそれとなく離れていく予感。
キミが大きな毛糸玉を持ち出して、編み物を始めた。正直そんなに大きな毛糸玉があるんだと初めて知った。大きな業務用のミシン糸みたいな大きさで。そもそもそれ、一体いつ買ったの?
テレビを見ていて急に編み物がしたくなったらしい。編み物は冬ってイメージだったけど、夏もやるんだって思った。春は春の、夏は夏の、秋は秋の、冬は冬の編み物があるのだそうだ。なのにキミは何故に今冬用のそんなモサモサした毛糸で編んでいるの? 昨日のテレビは確かサマーベストって、もっと薄くて涼しそうだったけど……。
そもそも編み物って棒2本でやるものだと思ってた。なのに昨日のテレビは何やら工具みたいな先の曲がった針金みたいなのでチクチクやってた。
そして、今日のキミはまたボクの知らない道具で編み編みしている。
棒を輪に通して糸を引き抜いてを繰り返して、端っこまで行ったら今度は糸をひっかけて引き抜いてを繰り返して戻っていく。
棒2本でやるのは棒編みというらしく、昨日テレビで見たのは鉤針編みというらしい。今日キミがやってるのは、その間の子で何とか編みっていうらしい。ごめん、覚えられなかった……。
編み図には「ベスト」って書いてあるけど、どう見てもサマーベストと言えるほど涼しげではない。生地は厚いし熱がこもりそうだ。
「これさ、いつ着るの?」答えは大体わかっているけど聞いてみた。そしたら、「数年後の冬?」ってこちらも見ないで返事がきた。
冬なのはわかっていたけど、何故に数年後?
「今年の冬は無理ってこと?」
「飽きなかったら、今年の冬、もしかしたら着れるかもしれない」
「飽きちゃったら?」
「死ぬまでに完成したらラッキーだと思う」
真面目な顔をして編み進めるキミを見ながら、既に数年後ではないんだ、と思う。
「そもそもさ……」とキミが何かを話し始めた。
セーターとかって、作るより買った方が断然安上がりで良いんだよね。毛糸って一玉いくらすると思う? セーター編むのに何玉必要だと思う? 圧倒的に買った方が安いんだよ。しかも、手編みって重いんだよ。気持ちが重たいとかではなくて、本当に手編みって重量あるんだよ。
ブツブツ言いながら編み進めるキミにボクはふと思った疑問を投げかけた。
「じゃぁ、それどうすんの?」
「う〜ん、出来上がってから考える」
多分出来上がらないと思うから、とキミがボソッと付け加えた。
そうか、それが前提なんだね。
何気ない事だった。
お母さんとの喧嘩で家を飛び出した。
後ろで聞こえる声を振り切って、ただ走った。
お母さんのばか。なんて思っても、そればかりが本心な訳じゃない。お互い様、よりももっと、私の方が悪いのはわかっていた。それでも止まらなくて、悲しくて、無我夢中だった。
いっぱい、いっぱい、もっと遠くへ。
そうしてたくさん走って。体力には自信があるけれど、次第に息が切れてきた。
やっととまって、肩で息をする。顔を上げると広がる真っ赤な空。川も草むらも全部染めて、いつもなら美しい景色も、何だか怒ってる。責めてくる。
真っ赤と黒が交わる中で、小さく輝く一番星だけが、私のこんなギザギザな心を許してくれてるみたい。
一番星を見上げながら、ヘタリ、と座り込む。
きっとお母さんが心配している。わかっている。すぐに帰る気にはなれないだけ。我ながら子供だと思う反面、もう大人なんだと、心は主張してくるから、板挟み。
なんだか、ぐちゃぐちゃ。視界もぼやけてくる。
言葉にならない感情は、涙と一緒に出てくる仕組みなのかも知れない。
どこかへ行きたい。
悲しくなくて、温かい場所。
私はそこを知ってるけど、それをまだ、認められない。
自転車に乗る女はあの女に似ていた。
光速バスから降りてトイレへ駆け込む。手鏡と歯間ブラシで乗車中ずっと気になっていた繊維を取り除く。
隣の個室に人の入る気配。
カラン。また、カラン、カラン。
手鏡を使い足下の隙間から隣を覗くと和式便器に乾電池の落ちるのが見えた。ぼとぼとぼとと十数個の乾電池が連続してぬると出るその流れに息をのむ。
排出された乾電池はビニル袋に入れられた。私は慌てて後を追ったが、誰がその人であったのか判別はできなかった。
窓側のシートに深く座りシートベルトを装着すると肛門がわずかにむずがゆい。ほおづえついて車窓の景色を見やる。雨はまだ降らない。私なら乾電池は持ち帰らず、サービスエリアのごみ箱に捨てるであろう。あそこのごみ箱がトイレに一番近い。
隣に乗っていた女性客が時間ぎりぎりで駆け込んできた。
「一本当たったんです」
女はそう言い、缶コーヒーを私に差し出した。私より少し若いくらいの女。
「サンキュー」
受け取り際に、女の匂いを嗅いでその後すぐ深呼吸をする。煙草くさい。女と煙草の匂いが入り乱れる。
目をあけるとタイヤと路面の摩擦がなくなり、音の遮断された世界に落ちた。既に月か、いいや、まだ高速道路の上である。異空間にいる錯覚の中、対向車線には選挙カー。忘れた期日前投票をバスの中から悔やんでも無駄であることは承知。空を占拠する二羽のカラス。あの議員は乾電池を捨てた。そう考えると議員の滑稽さに説明がつく。選挙とは滑稽なものなのだよ。分かったフリするなよなオマエ。窓に映った自分の顔は知らない顔に見えた。
彼女は新宿で降り、新宿は私にとって通過点。ここから月までノンストップ。光速でやがて福島へ、そして熊本へ。それぞれ滞在は一時間。熊本から月へ向かうための準備に二時間、月から太陽を周回してまた熊本へ戻り、新宿へ。
新宿で乗り合わせた女は手にポーチを持っていた。月旅行。日帰り。月のモノ。手には缶コーヒー。呪文のように唱えると女は私の隣に座った。
自転車の女はバスで乗り合わせた女に似ていた。女はイヤホンを付け、歌声に合わせた振り付けの手放し。朝曇りのアサ。そのツンと抜けた鮮やかな背筋に私は紅潮する。月へ向かおう。その勢いならきっと行けるさ。私も後を追おう。二人で缶コーヒーをのもう。
バスの女と自転車の女、月のモノ、月旅行。月間ランキング。朝曇りのソラ。ラララ。
できるか。長男の肇は訊いた。アナグマと同じ。次男の中は答えた。三男の光宙は倒れている女をしきりに気にしていた。
頼むぞ。わかった。肇と中は男の死体の足首にワイヤーをくくりつけ、ぶら下がり健康器に逆さまに吊るした。
まず血抜きをしなくちゃ。中が男の首に刃を当てたが肇がそれを制した。中、それをやる意味は。中は手順を改め、腹に傷をつけ背のフックを傷口に当てた。随分上からやるんだな。黙っててくれ。中は一呼吸で腹の皮を切り裂いた。腹から灰色の内臓がぼろんと飛び出した。棚の上に仔猫がいた。
必要なのは顔の皮だけだぞ。そうだった。中は眉間に皺を寄せた。とにかく内臓をどかそう。血も抜かないと。中は首に刃を立てて動脈を裂き、肇はホースで床を流し、光宙は女を車の中に寝かせた。女の身体はまだ柔らかく、洗剤と香水のいい匂いがした。
二人は血抜きもそこそこに内臓をポリバケツにまとめた。中は首周りに切り込みを入れ、スキナーで皮を丁寧にこそいだ。
ガレージの後ろでは車が激しく揺れていた。なにをしてるんだ。肇は訊いた。せっかくだから。光宙は答えた。もう大人だ。中が口を挟んだ。だな、よし、やれ。肇は許可した。棚の上に仔猫がいた。
兄ちゃん、手伝ってくれ。中は首の皮を力強く掴んでいた。肇も皮を掴もうとしたが、水で濡れた手ではまったく力が入らなかった。兄ちゃん? 大丈夫だ。中は皮をめりめりと剥がし、肇はナイフで肉ごと乱暴にこそいだ。ガチャガチャな切り口だった。棚の上に仔猫がいた。
そして皮は遂に剥がされた。ほぼ同時に部屋の後ろで光宙が艶っぽい雄叫びをあげた。
『さあ光宙、被れ』
二人は剥がしたての皮を光宙に手渡した。ありがとう兄ちゃん達。光宙はよろこんで皮を被った。どうかな。すっかり一人前だ。三兄弟は絆がより深まったように感じられた。
肇と中は実の兄弟だが光宙は違う男の種だった。彼らの母は光宙の父と蒸発し、三兄弟は父親に虐待されて育った。あるとき光宙に対する父親の暴力が度を超えた。兄二人は弟への暴力を許さなかった。父親は現在、埋まっていたり餌になったり下水を流れたりしている。知性ではなく彼らは自らの尺度に忠実であることで障害を結果的に乗り越えてきていた。
こうして彼らは車と自由とを手に入れた。次に彼らは光宙の父親探しの旅に出る。自立した三兄弟の初めての共同作業だった。空には仔猫に似た雲が浮かんでいる。
機械室で印刷機から排出される紙を眺めていたら、頭の中で「亡き王女のためのパヴァーヌ」が流れていることに気付いた。
この曲が何故急に頭の中で鳴るのかしばらく考えてみたが結局わからなかった。
間もなく昼休みに入る社内は冷房機の音のみが静かに唸っており、電話も鳴らずFAXも届かず来客も業者も来ない。上司も席を外していて、事務所内の社員数名が緩んだ空気を纏って気怠そうに仕事をしていた。
加工された窓硝子からは見えないが僕は今日の空の色を的確に思い浮かべている自信があった。そしてふと窓を開けたときに見える街路樹や自動販売機、斜め向かいのカピタンという喫茶店、隣接する駐車場なんかが無くなっている気がした。
その代わりに見渡す限りずっと砂漠が広がっており、空と砂の景色の中に、薄汚れたグレーの外壁の僕の会社が不自然に建っている。
事務所内から送信されるメールは社内で紙に印字され、相手先に届くことなく会社のどこか一角よりひらりと砂漠に捨てられる。それは熱風にさらわれ、やがて破れて砂に埋もれてゆくのだ。
僕たちはそんなことに気付かず、今日の来客が少ないのはこの暑さのせいであろう、と思ったり、たまにはこんな日もないといけない、と御褒美的に受け止めたりしている。
取引先へ幾度となく電話をかけてみては首を傾げて
「この電話機、壊れているかもしれません。」
と女子社員が云う。
「電話会社に電話し給え。」
と僕の同期の男。
「でも電話機が使えないのですけれど。」
「もうすぐ昼休みだから少し様子をみよう。この暑いなか修理に来て貰うのは気の毒だし。」 と先輩。
僕の頭の中のラヴェルはまだ静かに続いていて、この曲はそれほど長くはなかった筈なのに、と思う。
その金糸のような旋律は繰り返しをしていると感じさせないよう巧妙に発想標語を変えて鳴り続けているのかもしれない。
硝子張りの機械室からゆらゆら歩く同僚と、何やら笑っている女子社員の姿を眺める。
ふと見上げた時計の、針が全く進んでいないような気がして目を伏せた。
僕たちはここに閉じ込められたのかもしれない。
ここには世界から溢れた行き場のない光が集まり、対象物を見つけられないままに空しく白光するのだ。
砂を孕む熱風と最終小節に辿り着かないラヴェル。
僕たちはここで昼休みが来るのを永遠に待ち続ける。
僕にはそれが幸せな御伽話のように思えた。
彼は本を読むことが好きだったが、多くの本好きがそうであるように、あるとき気がついた。読むべき本が無限にあるのに自分に残された時間はそんなに多くない。読んでも読んでも、読みたい本が増えてくるというのに、好きなだけ本を読みつづけるためには金も時間も、なにより体力も視力も必要である。働かないと生きていけない。読書を数時間続けるには少なくとも健康な肉体の維持が不可欠である。
それで、多くの本好きがそうであるように、あるとき彼は読書量を激減させた。日に2時間。本棚に500冊あれば十分。そう考えるようになった。ところがである。身銭を稼ぐための仕事をしていても、本のことを考える。小説、辞典、伝記、研究書。なんでもいい。なんでもいいから別の世界につれていってくれる本を。読む時間をくれ。そう思っても、やはり彼は働かなければ生きていける身分ではないのだった。
或るとき、彼は考えた。仕方がない。文字じゃないものを文字だと思うことにしよう。彼の仕事は駐輪場の管理人で、そこは昼夜とわず自転車の利用者が多かったから、彼はなんとなしに自転車の山を眺め、駐輪場にやってくる持ち主たちの顔や服装をながめ、飛び交う通行人の会話の断片に耳をすまし、そこに何かしら「シミ」のようなものを探そうとした。
「シミ」とは本における文字のかわりのようなものである。1人の男性が通りすぎるとき、男性のネクタイがピンク色であった。彼はそのピンク色を文字の一種「シミ」だと捉える。目の前の女性がピストルのネックレスを身につけている。赤毛の外国人。駐輪場に迷い込んだ蝉の鳴き声。パンクした自転車をひきずる中年女性の疲れた顔。
彼はぼんやりと「シミ」を頭のなかで拾い集めて、繋げていった。そこに通俗的な物語はなかったし、意味もみあたらなかったが、そういえばマルクスの資本論を彼が読破したときも、ただ読むのが好きなだけで理解力があるわけではなかった彼には、資本論そのものが大きなシミ、ときどき興奮するマルクスの口調を思い出すだけだった。だから読書に意味や理解を求めている彼ではなかったのだ。
「最近は街を読もうと思っているんだ」と上記の話をきいたのが半年前のことで、昨日また彼に会ってきたのだが、彼はとてもヘタな絵を私にみせて「ヘタだけどシミを絵にしてみたんだよ」と言ってニッコリ笑った。私はなんとなくそんな彼の生き方がいいなと思っているのである。
改札を通る前にICカードを出す手の仕草。黒光りする靴の先についたわずかな埃を見つめる、二秒間。帰り道のバス停、ベンチの隙間に挟まった吸い殻に落ちた影。風のないのに揺れるブランコ。思ったより明るい夕焼けと青空のベタなコントラスト。ラーメン屋でちょうどいい温度で口の中に溶ける味玉。友人の葬式でしびれた左脚。すべてはいい走馬燈を見るために。子供の目をして鏡にアップで近づける眼球に走る赤い血管。「朝日のようにさわやかに」うずくまって聞く眠れぬ夜。外出先で出会った人の悪意をジップして家に持ち帰りこっそり開けて飲むビール。深夜帰宅して寝ている息子に向けるほほえみ。すべてはいい走馬燈を見るために、自分だけの世界を貯金して毎日を過ごす。
そして俺はある日あっけなく死ぬことに。死因は交通事故、しかも高速道路で急ブレーキをかけた過積載のトラックから飛び出した鉄筋材が俺の見開いた右目を突き抜いて即死。というショッキングなものだった。
視界がまず半分。警鐘を鳴らす各々の神経の力強い主張が、意識ごとブルドーザーで均されていく。ああ今聴覚が逝ったね。優しい気持ちや怒りも、伝えられないのがもどかしいが、ちゃんと箱の中で座っていて、すみ分けられているのが、一つ一つ、死んでいく。左の視界も逝って、意識に幕が下りる。いよいよ撮り溜めていた走馬燈が流れる。俺の、俺だけの、ティッシュも使わない、自慰行為。俺だけが知る、俺が生きてきた証。俺が弔う俺の、俺性、俺の、俺の。
カラカラカラカラ……。灰色のスーツに身を包み出勤、定時後2時間残業、電車で帰宅。ICカードを出す仕草の部分はカット。靴の部分もカット。見たくもない自分の姿ばかりが強調される。意識的に覚えていようと思った光景はすべてカットされて、会社で罵倒される姿や、疲れた横顔や、そんなものばっかりが映る。目を背けようにも視神経はすでに逝っていて、流れ込むのは暑苦しいくらいにみじめな姿ばかり。カラカラ……ラーメンのくだり。味玉を何も味のしないもののように咀嚼。息子のくだり。自己愛にまみれたゆがんだほほえみ。こんなはずじゃなかった。こんなもののためにナルシストでいたわけじゃなかった。こんなことならなぜもっと早く気づかなかったのだろう。でも俺はまじめに毎日、効率的に生きてもきたし、人を愛することだってできてい「たった今入ったニュースです。幸せだとのことです」。
最初の地震を起こしたのはクミで、二日後の地震を起こしたのはミクです。
最初の地震が起こるまえ、クミとミクはお母さんのお腹の中にいました。でも、自分たちのことを「クミ」と「ミク」という、二人の、別々の子どもではなく、まだ名前もない一人の子どもだと思っていました。なにしろお腹の中には、「あなたたちはふたごですよ」と教えてくれるひとがいるわけではないのですから、自分たちのことを一人だと勘違いしても無理はありません。背中に虫がとまっていることや、地球が回っていることだって、ほかの誰かに教えてもらわないと分からないでしょう。
「クミは生まれたくなかったの、だから地震を起こしたの」とクミは言います。
「ミクはクミに会いたかったの、だから地震を起こしたの」とミクは言います。
クミはお母さんのお腹の中から押し出されるとき、もう一人の自分を見ました。自分はお腹の中にちゃんといるのだから、狭い穴の中をぎゅうぎゅう進んでいる自分は夢の中の自分なのだろうと。そして夢が終われば、暗いお腹の中でまた眠れるのだろうと思っていました。
しかし夢が終わった場所は、ずいぶん騒々しくて、ひとが沢山いました。
ここはどこなの、とクミがたずねると、腰に手を当てながらタバコを吸っている女が振り向いて、ここはクマモトさと答えました。
「あなたは私のお母さんなの?」
「違うよ。あたしはクマモトの看護師さ。でもさっきの地震で病院壊れちゃったからな」
「ねえ、ここは夢の中なの? 私は、あの場所にまた帰れるの?」
「ここはクマモト。あんたの名前はクミ。帰るのは無理」
一方のミクは、もう一人の自分が穴から出ていったとき、お母さんのお腹の中にいる自分は誰なのだろうと思いました。お母さんにそのことをたずねても、フフフと笑って返すばかり。
もしかしたら、穴から出ていった自分が本当の自分で、お腹の中にいる自分は嘘の自分かもしれない。きっと穴の向こうへ行けば、そのことを確かめることができるだろう。でも本当のことが分かった瞬間に、嘘の自分は消えてしまうかもしれない……。
そんな恐ろしいこと考えていると、穴の向こうから声が聞こえました。
「おーい、ミクー。そこにはもういられないよー」
「あなたはだーれー」
「私はクミで、あなたはミクなのー」
穴の向こうから白い光が見えます。
「ここは夢じゃなくてクマモトよー。寒くて酷いところだから早く会いにきてよー!」