第170期 #6
圭子は、叔父の圭一に初めて会った母智美が「次男なのに一の字が入るんですね」と言ったことを和室の隅で聞いていた祖父友義が毎朝の通勤時いつも期せずして乗車駅と降車駅と通勤(通学)時間帯が重なる女子高校生優美香の向かい側に座るとき、そのミニスカートから覗く生足と覗き込めば見えそうになる白布を思い浮かべて目を閉じた頭の裏で毎朝ダウンロードして聞いているポッドキャストから流れるカナダ人のバーバラが操る英会話が鳴り響き、それに合わせて英単語を呟くのを横の席でにらみつける、今日が入社試験だというのに横でのんきに爺がにやにや口をもごもごしていることで集中を削がれた文系大学生明彦が、覚えていた自己PR、つまりは学生時代にはボランティアに打ち込み、しかし徒党を組むということはなく主に自主的に缶が落ちているときには拾ったり、混雑した場所で携帯電話を使う輩の近くで意識的に舌打ちしたりしたことを、考えている中で電車が目的の駅を過ぎてしまった責任は当然アナウンスを怠った運転手の文之に負わされるべきであり、アナウンスがないことに気付いた車内のうちの一人、主婦秋絵はしかしいつもとは違う車窓から見える風景が学生時代付き合っていた彼氏武彦とよく遊んだ公園にとてもよく似ていることでつい懐かしく目を細めるとその視線の先では小学生四五人、竜樹、愛流、七羽、綺羅、あと一人健太郎がいたかどうか、今時の子供には珍しく木登りをして上から下の子供にボールや石を投げつける猿蟹合戦ゲームの真っ最中に樹から仰向けに落ちた竜樹が遠い青空にキラリと見つけた成田―ダラス便のエコノミーで大きな体を小さくしているアメリカ人ケントが土産として秋葉原で買ったフィギュアを食事用テーブルに立て悦に入っているうちに眠った夢に出てくる大きなパイナップルを両脇に抱えて突進してくる学生時代のラグビー部のテリーの歯を矯正した歯科医師ダニエルが歯磨き粉に入れた麻薬を運ぶトラック運転手スティーブが運転席から投げ捨てる吸いかけのラッキーストライクを拾って口をつけるホームレスの雅夫の顔の影によく似ているイエス・キリストが処刑されたゴルゴダの丘に立ち、自分の名前に十字架が二つ隠れているなどということにはまったく考え及ぶこともなく次の都議選に立候補する際は、自分の苗字は山口なので、名前のほうを簡単に、けいこ、とひらがなでポスターに刷ろうと思った。