第169期 #8

香港不夜城

1996年4月に香港へ駐在員として赴任した吉田は就労ビザを使用せず、観光旅行者として入国してしてしまったため、1か月を経過して不法滞在者となってしまった。マカオに仕事で往復5時間程度の滞在で香港入境において御用となり、事情を説明して、就労ビザを使用して正式に入国した。当初の入国後1週間程度でIDカードを申請したが、役所の人間も説明出来ず、そのまま放置されていたのである。正式に入国できたので再度、申請に行くとIDカードもすぐ取得できた。当時の香港は日本に比べると、社会制度は日本の30年前高度成長時代と同じであり、土曜日も半ドン勤務、日曜日も働く程忙しいのだが、都市を動かすシステムは日本の10〜20年も先を行っていた、未来都市のような高層住宅が林立し、吉田のマンションは地下鉄会社MTRの車両基地の上人工地盤で蓋をし建設されたものが20棟近く並び26階建ての25階の部屋であった。地震の起きない岩盤の上に立っているため、築10年程度の建物は50階以上と東京の当時の超高層ビル並みで乱立しておりました。地下鉄の自動改札、スイカならぬ、オクトパス(八本足の快速パス)とはバス、フェリー、中国への鉄道も含めあらゆる交通手段に使用できる優れものであった。クレジットカードもリボ払いのようなミニマムペイメント額を収めれば、自動的に融資を受ける状態で、3年後帰国時には危うくカード破産になるところであった。当初、トラぶったIDカードも運転免許証もICチップによりIDに乗せられる。当然本人の就労ビザの情報も会社名や資格、役職もリーダーにかざせばすぐ読み取れる。びっくりしたのは香港テレコム(日本のNTTみたいな会社)のビルに民放の香港支局さんが入居していたが入口の受付にいたガードマンが吉田のIDカードを読み取り、勤務している会社の名前を読み上げていたこと。また、夜飲みすぎてタクシーで帰宅途中、警察の検問に掛かり運転手とお客のIDを本部に照会して問題ないか確認する。こちらもやっと導入が始まったマイナンバーカードと似ているが、犯罪履歴から税金の滞納に至るまで高性能な社会システムのツールになっている。眠らない街だからサービスも眠らない、レストランは大抵24時間営業朝昼晩夜食と継ぎ目のないサービスを提供している。これが今から20年前の香港。当時の検問の警官から一言『ジャパニーズ、カラオケ、ハッピーね』と。



Copyright © 2016 Gene Yosh (吉田 仁) / 編集: 短編