第169期 #7

於:心斎橋クラブクワトロ

 ドリンク券握りしめうろうろしている、伸ばしかけの無精髭がなまなましい黄色いシャツの男子大学生が、プラカップ入りのビールをカウンターで受け取るときょろきょろ辺りを見回し、喧噪の中で目を閉じてそれを味わったり、うつむいて自分の靴を見つめたりしていた。ひょろりとした百八十センチは超える身長で泡の消えたハイネケンに唇を湿らせてまた会場を見回すが、知った顔は一人もいない。そのことに少しの満足を覚えて、しかし開演時間が近づくにつれ高揚感も薄らぎ、徐々に寂しさが立ち上りかけていた。

「あ、すいません」
 背中にぶつかられてそちらを見ると自分と同じくらいの年齢の女性客と目が合った。
「い、いえ」
 黒い髪、大きな黒目、大きくバンド名がプリントされた黒いTシャツ。きっと背中にはそのバンドのその年のツアー日程が書いてある。なぜなら
「そのライブ俺もいきましたよ」
 ……とは言えない。コンサートは今日が初めてなのだ。
「初めてですか?」
 何も言えずにいるとにっこり話しかけられた。唾を飲む。
「私名古屋のも行ったんですよ。ほら、これがその時のTシャツで」
 Tシャツの前のロゴを両手の人差し指で指し示す。ロック好きの背の低い女の子の胸は小さい。

 さあやるか、ボウリングのピンどもをなぎ倒すイメージはばっちり、リハも完璧。ドラムス、ベース、ギターが袖からステージへ出ていく。歓声。そして俺、ボーカル。会場を見回す。必死に女の子を口説いてる風の大学生が目に入って思わず苦笑。

「俺は…初めて…はい、ていうかうん、初めてで、でも、CDは聞き込んだし、全曲歌えるくらいで、特に三曲目、シングル盤と違うのがあの最後のところさ、あそこ」 がぎゃーん。ギター。女の子は前を向いてしまった。ステージ上に四人が並んで一曲目が始まる。ハイネケンを一気に飲んだ。

 お前ら、倒れるまで踊れ、一緒になって踊れ、誰だ、うわ、こいつ、気持ち悪い。さっきの大学生、黄色いシャツを着た男がすげー楽しそうでしょ俺、って目でステージ見てる。そいつの踊りの奇怪さといったらない。鶏みたいに首だけ前に出して、がくがく震えるみたいな踊りで全然リズムあってない。
 そして眉毛がとても太い。こいつスゲー眉毛太い。なんか、いまもう俺、すごい自分が格好悪いよ、「Love the Rock …」とか歌って。

 気づいたら女の子もういない。肩で息して、プラカップ持って、一人で帰った。



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