第169期 #3

キーオ

キーオは姉の帰りをずっと待っていた。
姉はキーオがまだ尻の割れたズボンを履いていた頃に、どこか遠くに行ってしまった。
その時、キーオは旅支度をして玄関に立っている姉を、嗚咽する両親の足の間から見ていた。キーオにはいつも優しくほ微笑んでいてくれた姉の美しい顔が、決意に満ちた、厳しい顔になっていた。優しい顔を与えてくれていた時間の方がずっと長いはずなのに、キーオにはあの眼が「くっ」となった顔が焼き付いている。
姉は歌が好きだった。夜を怖がるキーオを安心させるために、優しい声で歌ってくれた。歌声はキーオの心を実に穏やかで温かいものにさせた。そうして姉の両腕の中で知らず知らずのうちに眠るのが好きだった。
姉がいなくなってからの夜は、心がちぎれてしまう様な寂しさと共に過ごさなくてはならなくなった。キーオは耳の中に残る姉の歌声の再生を何度も試みたが、寂しさばかりが募るのであった。
あの日以来、両親は姉の話をしない。キーオが姉の話をすると、ふたりとも押し黙ってしまう。
ある日キーオがいつもよりしつこく、姉は何処に行ったのか、どうしているのかと問うたところ、父が「いい加減にしろ、二度と聞くな」と怒鳴り、母はしくしくと泣いた。
両親が嫌いになったキーオは、深夜に家の扉をそっと開け、裏手の林に入る前にある切り株に腰掛けた。姉がいつもキーオを抱いて、星々を眺めながら歌った場所だ。
今晩はよく晴れていて、三日月がしらしらとキーオの横顔を照らし、天の川銀河もはっきりと見える。
姉がいつも耳元で優しく歌った歌。キーオは耳の中に残された姉の歌声と一緒に、小さな声で淡い星々へ歌った。
口から流れるか細い歌は、徐々に幾つもの細く輝く糸となり、天に登っていくき、ゆらゆらと力弱く、天の川銀河にタッチした。
キーオは切なる願いを歌声に混ぜる。どうか、どうか姉とひと目合わせてください。
天の川銀河はキーオの歌声と十分に混じり合った。薄いミルクのような星々は、キーオの願いを聞くと、明滅を始めた。
姉は星たちの知らせを聞き、天の川銀河まで来ていたが、姿を見せることはなかった。キーオの歌声を天の川銀河の中から掬い上げると、しみじみと飲み干した後、また元来た道に帰って行った。
キーオはもうすっかり歌声を絞りきった。しばらく切り株で休んでいたが、もはや家に帰りたくなかったので、風になって、消えた。



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