第168期 #6

See you in NYC

吉田はJFK空港に降り立った1999年9月15日、早朝6時のこと。迎えは誰もいなかった、当時は同時テロの前で、国内線でも国際線でも出迎えは保安検査所を通れば、乗客でなくても、出迎えでもゲートの前まで入れるのに、日曜日の早朝でもあり、迎えは誰もいなかった。LAからの国内線でNY観光者も帰宅者も出張者もそそくさとターミナルビルから退散し、数名の乗客しか残っていなかった。NYCは日本に比べて1か月早い、9月半ばは10月中旬、紅葉の時期である。11月のインデイアンサマーが少しあって、一気に真冬へドカ雪で空港も閉鎖されるあの光景。夏は雨季はなく5月から湿気たっぷりの真夏で35-40度、華氏でいうところの100度越え、真冬はマイナス10度以下の華氏一桁この温度差が、人間を緊張させるのだろうか。ビジネスでもスポーツ、アートでも世界最先端と行く街なのかと。
香港勤務を終えて、日本に帰国後、管理職として部署も用意してもらいながら5か月でNYCに転勤。前任者が退職のため、急遽、白羽の矢が立ったのだが、引き継ぐ退職希望者が、迎えに来ない現状からこの先どうなるのかと心配をよそに、ご本人やっと迎えに来た。昨晩も仕事で遅かったので寝坊したと言い訳しいし、1週間で退職も帰国せず、2週間後、同じ建物の斜め前で同業他社に移り、営業を開始するとは、様々な妨害工作を行いながら、こすっからい人間にどうしてこんなにひん曲がってしまったのか、当社の環境がそうしたのかと自戒の念に駆られる1年を過ごす始まりであった。
日本人のコミュニテイは駐在員の職種によるもの、家族形成により居住地区によるものが多く、職場中心に車、電車などの通勤圏に広がっているが、中心はマンハッタンであることに間違いはない。夜の店も49-53丁目に広がっていて、飲食店とクラブが集中している。日本人が耐えられる和食の店は少なかったが、ニューヨーカーにも認知されて、そこそこ人気であった。しかし娘達のいるクラブはアルバイトの学生が中心で、専業のホステスを抱える店は韓国人ママの高級店で別格であった。昼間は学生、夜はアルバイトの若い娘たちは寝る間を惜しんで勉学ではなく小遣い稼ぎに生を出しているのである。なんといっても衣食住すべてで世界のトップを行っているNYCだけに大変苦労しているとのこと。初めて通った店は和食店の2階の韓国人ママの「再会」という店であった。



Copyright © 2016 Gene Yosh (吉田 仁) / 編集: 短編