第168期 #15

速報

 改札を通る前にICカードを出す手の仕草。黒光りする靴の先についたわずかな埃を見つめる、二秒間。帰り道のバス停、ベンチの隙間に挟まった吸い殻に落ちた影。風のないのに揺れるブランコ。思ったより明るい夕焼けと青空のベタなコントラスト。ラーメン屋でちょうどいい温度で口の中に溶ける味玉。友人の葬式でしびれた左脚。すべてはいい走馬燈を見るために。子供の目をして鏡にアップで近づける眼球に走る赤い血管。「朝日のようにさわやかに」うずくまって聞く眠れぬ夜。外出先で出会った人の悪意をジップして家に持ち帰りこっそり開けて飲むビール。深夜帰宅して寝ている息子に向けるほほえみ。すべてはいい走馬燈を見るために、自分だけの世界を貯金して毎日を過ごす。

 そして俺はある日あっけなく死ぬことに。死因は交通事故、しかも高速道路で急ブレーキをかけた過積載のトラックから飛び出した鉄筋材が俺の見開いた右目を突き抜いて即死。というショッキングなものだった。
 視界がまず半分。警鐘を鳴らす各々の神経の力強い主張が、意識ごとブルドーザーで均されていく。ああ今聴覚が逝ったね。優しい気持ちや怒りも、伝えられないのがもどかしいが、ちゃんと箱の中で座っていて、すみ分けられているのが、一つ一つ、死んでいく。左の視界も逝って、意識に幕が下りる。いよいよ撮り溜めていた走馬燈が流れる。俺の、俺だけの、ティッシュも使わない、自慰行為。俺だけが知る、俺が生きてきた証。俺が弔う俺の、俺性、俺の、俺の。

 カラカラカラカラ……。灰色のスーツに身を包み出勤、定時後2時間残業、電車で帰宅。ICカードを出す仕草の部分はカット。靴の部分もカット。見たくもない自分の姿ばかりが強調される。意識的に覚えていようと思った光景はすべてカットされて、会社で罵倒される姿や、疲れた横顔や、そんなものばっかりが映る。目を背けようにも視神経はすでに逝っていて、流れ込むのは暑苦しいくらいにみじめな姿ばかり。カラカラ……ラーメンのくだり。味玉を何も味のしないもののように咀嚼。息子のくだり。自己愛にまみれたゆがんだほほえみ。こんなはずじゃなかった。こんなもののためにナルシストでいたわけじゃなかった。こんなことならなぜもっと早く気づかなかったのだろう。でも俺はまじめに毎日、効率的に生きてもきたし、人を愛することだってできてい「たった今入ったニュースです。幸せだとのことです」。



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