第168期 #11

乾電池 月末月旅行

 自転車に乗る女はあの女に似ていた。

 光速バスから降りてトイレへ駆け込む。手鏡と歯間ブラシで乗車中ずっと気になっていた繊維を取り除く。
 隣の個室に人の入る気配。
 カラン。また、カラン、カラン。
 手鏡を使い足下の隙間から隣を覗くと和式便器に乾電池の落ちるのが見えた。ぼとぼとぼとと十数個の乾電池が連続してぬると出るその流れに息をのむ。
 排出された乾電池はビニル袋に入れられた。私は慌てて後を追ったが、誰がその人であったのか判別はできなかった。

 窓側のシートに深く座りシートベルトを装着すると肛門がわずかにむずがゆい。ほおづえついて車窓の景色を見やる。雨はまだ降らない。私なら乾電池は持ち帰らず、サービスエリアのごみ箱に捨てるであろう。あそこのごみ箱がトイレに一番近い。
 隣に乗っていた女性客が時間ぎりぎりで駆け込んできた。
「一本当たったんです」
 女はそう言い、缶コーヒーを私に差し出した。私より少し若いくらいの女。
「サンキュー」
 受け取り際に、女の匂いを嗅いでその後すぐ深呼吸をする。煙草くさい。女と煙草の匂いが入り乱れる。

 目をあけるとタイヤと路面の摩擦がなくなり、音の遮断された世界に落ちた。既に月か、いいや、まだ高速道路の上である。異空間にいる錯覚の中、対向車線には選挙カー。忘れた期日前投票をバスの中から悔やんでも無駄であることは承知。空を占拠する二羽のカラス。あの議員は乾電池を捨てた。そう考えると議員の滑稽さに説明がつく。選挙とは滑稽なものなのだよ。分かったフリするなよなオマエ。窓に映った自分の顔は知らない顔に見えた。

 彼女は新宿で降り、新宿は私にとって通過点。ここから月までノンストップ。光速でやがて福島へ、そして熊本へ。それぞれ滞在は一時間。熊本から月へ向かうための準備に二時間、月から太陽を周回してまた熊本へ戻り、新宿へ。
 新宿で乗り合わせた女は手にポーチを持っていた。月旅行。日帰り。月のモノ。手には缶コーヒー。呪文のように唱えると女は私の隣に座った。

 自転車の女はバスで乗り合わせた女に似ていた。女はイヤホンを付け、歌声に合わせた振り付けの手放し。朝曇りのアサ。そのツンと抜けた鮮やかな背筋に私は紅潮する。月へ向かおう。その勢いならきっと行けるさ。私も後を追おう。二人で缶コーヒーをのもう。

 バスの女と自転車の女、月のモノ、月旅行。月間ランキング。朝曇りのソラ。ラララ。



Copyright © 2016 岩西 健治 / 編集: 短編