# | 題名 | 作者 | 文字数 |
---|---|---|---|
1 | 人形 | 連利 | 658 |
2 | 迂遠に手を伸ばす | 秋澤 | 1000 |
3 | ピアノマン | ただつむり | 932 |
4 | 六畳間 | in | 1000 |
5 | 蜜柑 | aki | 991 |
6 | ラクダ | 岩西 健治 | 994 |
7 | 立看板 | テックスロー | 987 |
8 | 整える石川芙美子 | なゆら | 872 |
9 | カレー451 | かんざしトイレ | 1000 |
10 | 水に映る月 | 杉 ユリエ | 756 |
11 | 銀座・仁坐・鎮座 | Gene Yosh (吉田 仁) | 1000 |
12 | 世田谷怪奇小説 転落願望 | Mima | 964 |
13 | 忘却の街 | たなかなつみ | 851 |
14 | 世の中って…… | わがまま娘 | 984 |
15 | 郷愁のコロンビア | 宇加谷 研一郎 | 1000 |
16 | 女神 | qbc | 1000 |
17 | 巨人 | euReka | 1000 |
この世界で暮らしている私以外の人はみな、機械じかけの人形だ。
毎日同じことをやり、言われたことだけをし、命令されたことしかできない。
繰り返し繰り返し同じことをする。
朝起きて、朝食をとり、仕事に行く。
「あぁ、おはようございます」
同じ人に会い、同じ挨拶をする。
生きるためのことをする。
お昼を食べる。
「こんにちはー」
同じ人に会い、同じ挨拶をする。
家に帰る。
「ただいま」
誰もいない部屋に向かって声をかける。もちろん、何も返ってはこない。
「おかえり」
自分で自分の言葉に返す。
風呂に入り、夕食を摂る。
少しの間、散歩に行く。
「今晩は」
前夜と同じ人に会い、同じ挨拶をする。
「おやすみなさい」
今日という日に挨拶をし、一日が終わる。
そんな毎日。
あきるほど同じことを繰り返しても、日々は変わることはないし、終わることもない。
私はまだいい。私は機械ではないから。決められたことをしなくてもいいから。私は、自由。
でも、私以外の人形達はいったい誰が造ったのだろう?
誰が命令を与えているのだろう?
――――――あれ、私は、周りが人形だらけなのにどうやって生まれたのだろう?
おかしい。なにが?どうして?
どういうこと?
歯車がだんだんとずれていく。
どうなっている?私は?人形?なにが?どれが?
なにもかもがわからない。
嫌だ、私は。
私は、何なのだろう?
この世界で暮らしている、私以外の人はみな、機械じかけの人形だ。
なぜこんなことを思ったのだろう?
私は、私は、私は―――――――。
ナニ?
納豆を一粒箸でつまむと、離れることは耐えがたいというように糸を引く。ケーキをナイフで切れば、無念であることを示すようにその刃にクリームやスポンジをつける。つるりとしたとした紙を引き裂くと、別れを惜しむように繊維が手を伸ばしあう。あのさらりとした水でさえ、遮られると涙を流すようにぽたりぽたりと雫を落とす。
この世にあるものは、別れを突き付けられたとき多少なりとも感慨を抱き、惜しむように手を伸ばすものだ。
それに比べて僕らはどうなんだろうか。
「それは君が私になんの未練も感慨も抱いてないってこと?」
「うん、そうだね。ただ未練っていう言い方は少し違うかもしれない。それじゃあまるで恋人か何かだったみたいだ。」
僕と彼女は、正しく関係を表す言葉をお互いに持っていない。幼馴染ではない。クラスメイトではない。恋人ではない。部活の仲間ではない。友達でなければ血縁者でもない。
それでも赤の他人以上の関係である僕らは、日々のんべんだらりと屋上でとりとめもない話をする。
「明日も僕は屋上に来る。それは君が屋上に来なくても変わらない未来だ。」
「そうね。きっと君が屋上に来なくても、私は屋上に来るわ。」
「君が来ないからと言って、僕は何も思わない。」
「そうね。ただ来てないと認識するだけね。」
「うん。今まで二人だったのが一人になった。たぶんただそれだけなんだろうね。」
僕らのするとりとめのない話は、何の役にも立たない。本当は話し相手すら必要のない、独り言ですら構わない話。誰でも良いどころか、誰も居なくても良い。
「それで、突然そんな当然のことを言いだした君は、いったい何になりたいの?」
「うん、そうだね。味気ないと思ってね。」
「味がないってことも味の一つじゃなくて?」
「その味でさえも、存在するために分子同士で手を繋いでいるんだ。」
「あら、君は私と手を繋ぎたいの?」
「いや、そういうわけじゃないよ。」
何といえばいいのだろうか。ひねくれ者同士の会話は酷く迂遠で、言葉遊びばかりだ。
「ただね、僕は今まで一度だって君を引き留めようとは思ってなかった。でも今は思うんだ。」
「私を引き留めるための口説き文句が見つかったの?」
「引き留めないよ。でもね、離れる時が来たら、僕は手を伸ばしたいんだ。だから君も手を伸ばしてくれるかい。」
すこしだけキョトンとした彼女は、柵の向こうでくすくすと笑った。
「もう昔の話だけどさ、少し話させてよ」
あ、君だよ、そうそう。そこのあんた。
そんなつまんない話じゃないし、聞いてくれよ。
俺はさ、どうやら記憶がなくしてたらしいんだ。
あ、記憶喪失ってやつさ。
やっと最近やっとまともに会話ができるようなったんだ。
なんでかって?そりゃ記憶なくしたら言葉だって忘れるだろ。
目覚ましたら、どっかの海にいたんだよ。え?ああ、上下黒スーツにネクタイだよ。それで海岸に打ち上げられてたんだ。おかしな話だろ?
まぁ、そして目覚ましたら知らねぇおっさんがさ、なんか、言ってんだよ。でも分からんからさ、困ってたんだ。
なんでもいいから覚えてたこと伝えようして、なんか書くもん貸してもらってさ、頭に浮かんだもの全部書き込んだんだ。
なんだっけな?あ、思い出した。
そんなかにさ、ピアノって奴があったんだ。
あ、楽器のよ。ほら、そこにあるやつ。
そいつだけは覚えてたんだ。
思うに俺は、ピアニストかなんかだったと思うんだ。
いや、ピアノ書いたときに、自然と頭んなかにメロディが流れたんだ。
それほどやるなんて、多分ピアニストとかぐらいだろ?だからさ。
弾けば弾くほどなんか思い出せそうだったから弾いたよ。
地元のテレビ局とかの前で弾いたこともあったな。
まぁ、だからといって思い出せたかと言われれば、そんなわけでもないんだかな。
不幸かって?
まさか、足りないから不幸とは限らねぇだろ?
むしろ再発見の日々さ、楽しめるもんだよ。
ああ、だから今の俺の記憶は海岸の景色からさ、そう、知らねぇおっさんになんか言われてるところからはじまってんだ。
哀れかい?そうか、そうか。
まぁそういう感情なんだな。わかるぜ。
ああ、父も母も兄弟だってもう覚えてねぇよ。
あ、でも新しい友達はいるぜ。
そりゃピアノだけは覚えてるんだ。
弾けばさ、まぁ話のタネにはなるだろ?
以外とあれだな、愛情とかも忘れちまったほうが、より感情込めて弾けんな。
よく言うだろ?なくなって初めて気づくって。
そんな感じさ。
弾けばさ、忘れちまった感情をまた作れそうな気がするからさ、今もピアノやってんだ。
どうだい、聞いてみるか?なに、金は取らねぇよ。
まぁ酒代くらいはおごってくれよ。
あとは、そうだな。また、俺の話を聞いてくれよ。ここでまってるからさ。
「眠っているのかな」
僕の罪悪が言った、暑い夏の日の午後。
汗をかいたグラスの横から、もう残りわずかな光を灯した君の双眸がゆっくりと揺れながら僕を見ている。紅く染まった畳を綺麗だな、なんて思いながらそれとは対照的に色を失ってゆく君の唇を指の腹でなぞる。ひどく乾いたそれをとても悲しいと思った。
思い返すと初めて触れたのもこの場所だった。今と同じように僕の心臓は早鐘のように打っていたけれど、君は温かくて柔らかかった。
「躊躇わなかったね」
僕の罪悪が言った、暑い夏の日の午後。
父の頭を迷いなく打ちつけた僕を感心しているのか、小馬鹿にしているのか。
長い間馬車馬のように働き続けていたのだから、これだけ静かに横たわることも久しくなかったに違いない。僕が誕生日に贈った紺のポロシャツを纏っている父の姿は、かつて大きく見えていたが今見れば畳一枚分に収まる小さなものだった。
「かわいそうに」
僕の罪悪が言った、暑い夏の日の午後。
ただ無垢だった僕の弟を思いやるほど人の心があったのかい。
無知故に何も恐れずまっすぐに見つめてくるその瞳をいつしか僕は避けるようになった。
お前が慕っている僕は生きていることを恥じているような人間なんだと叫んでしまいたかったが、最後まで彼の前では兄で居続けてしまった。
弟をこの六畳間に加えるかどうか、最後まで迷った。裏を返せばどちらでも構わない、取るに足らない存在だったのかもしれない。
「泣かないで」
僕の罪悪が言った、暑い夏の日の午後。
いつだったか、自分のを忘れた僕に手袋を着せてきた時と同じ温度の母のその手を握りながら僕は泣いていた。
少しふくよかで、不恰好な手。
かつて幼かった僕の手を引いていた手。
友達の玩具を盗んだ僕の頬を打った手。
自分で謝りなさいと言いながらインターホンを押した手。
手に入らなかった玩具を息子に買い与えるためにレジを打った手。
顔を綻ばせた僕の頭を撫でた手。
大きく目を見開きながらその手をかざした母を僕は何度も刺した。
「楽しかったよ」
僕の罪悪が言った、暑い夏の日の午後。
横たわる僕の視界のすみに映る彼の姿が水面に落としたように揺らぐ。
この期に及んで自らを横たえることにさえ涙するとは。
僕は自分を抱くようにして一枚分の広さに身を置く。
「ここも手狭になった」
僕の罪悪が言った、暑い夏の日の午後。
彼はつまらなそうに言うと五つが埋まった六畳間の最後の一枚から立ち上がってどこかへ消えた。
俺はいつも仕事で疲れ果てていた。まるで関節にサビが詰まったかのように鈍く、頭は黒く濃い液体で満たされているように、重かった。鼻の毛穴から染み出す茶色い汁は、体内の疲労度を叫んでいるようだった。
ともかく、疲れていた。
もう35歳になる。
小さなころはどうだったっけ。
兄よりかは活発な子供だと思っていたけれど、はしゃいでいると、子供らしい子供が大嫌いだった父親から厳しく叱責を受けたんだよな。35にもなって、未だに父親の支配から逃れることができない。父親だけのせいではないけれどね。家庭でも、学校でも自分の気持ちをどんどん殺していった。
社会に出てからもそうだった。主張をしない自分には、明らかにひどい仕事が山積みになっていった。
いつも先に帰る同僚達を後頭部で感じながら、「なんで俺ばかり無賃残業に精を出さなければならないのだ地獄に落ちろクソども」と呪詛の言葉を心のなかで吐き散らかすが、また、そのような境遇に置かれても、不満を告げられない自分に対しても、本当に情けなく思うのであった。
やりがいもない、稼ぎもない様な仕事に時間を奪われ、モニターの前で人生を無駄遣いしている毎日は、とてもとても死にたくなるのであった。
俺はいつもの様に終電で家の最寄駅で降りた。
冷たい空気を振り切るように、下車した帰宅民が黙々と改札口に至る階段を登っていく。
俺の両親はもういない。兄弟もいない。恋人もいない。
かつて両親と祖父母とで暮らしいていた住まいは、一人では管理できず、父親の残した大量の古ぼけた家電や書籍や、自らが購入したコミックスや気まぐれに買って使用していない加湿器やたこ焼き器やサイクリングマシーンを下敷きに、たくさんの埃が積もっている。
またあの家に帰るかと思うと、うんざりした気分になってくる。
嫌な記憶を呼び覚ます物に囲まれて、俺は窒息したように眠るのだ。
「やだなぁ、疲れたなぁ、全部放り投げたい」
乗車券を認識した電子音が、客のいなくなった構内に鳴り響いた。
自宅に向かう道は、林に面した細い道路で、対面には林に沿うように、家々が建っているが、明かりは消えている。
心もとない街灯が明滅している。
たまに、風が吹く。葉を揺らす。
見上げれば、赤い月。
ミカンの木が伸びていて、月の光のせいでうまく顔が見えないけれど、木の上には体のしっかりした男が座ってこちらを見ている。
「お前は俺の子でなくていい」
と言った。
午前中、背中を掻く棒のようなものを探していた。午後一番、小包を持ったキリンはサインを催促しながら、掻きましょうか、と言った。いえ、まだ陽が高いですからねぇ。それに、今夜は満月ですし、月が出るまで、だいたい六時くらいかなぁ、その時間まで待ってもらって。随分待たせるんですねぇ。楽しみは長い方がいいでしょう。まぁねぇ。
包みの中は死体であった。キリンを促して部屋へ通す。首が天井に当たり、中程で直角に折れ曲がったまま、キリンは出した茶をどぶ色の舌で器用に絡めとるように舐めた。
「どうしてまた、宅配を?」
わたし、元々ラクダだったんですよ。ある時期からギャンブルに溺れましてね、所謂、依存症ってヤツで。借金返済にコブ売りましてね。豊胸パックに使うんだそうで。フタコブだったんですがね。コブがなくなったのにラクダ名乗るのも気が引けるんでね。それで、顔が似ているキリンになったんです。だから、普通のキリンよりちょっと短いでしょう首が。依存治療が終わって、コンビニで働きはじめたんです。最初は珍しがられて、それなりに繁盛してたんですよ。でも、あるとき、女性客の谷間を覗いちゃって。上から丸見えでしょう。軽犯罪法違反ですよ。動物なんだから、多めに見たっていいじゃないですかねぇ。で、罰金払って、今の職に就いたんですよ。隣の三○三号室、その女の部屋なんです。この意味分かります?
それからぼくは女の部屋に出向いた。
ちゃんと言いましたよ。あなたに恨みがあるって。償いにニンジン百本要求しているんだって。ぼくの部屋でね。今。で、断るんだったら、死体にカンカンノウ踊らすって。そしたら、はぁ、この変態、ってドアバタンと閉められてそれっきりですよ。えっ、背中向けろですか。まだ、月出てないでしょう。せっかちですねぇ。
「こいつはキリンさぁ」
ラクダであったキリンはそう言って、包みの中の死体=キリンを殺してそいつの仕事であった宅配業を奪ったのだと言った。ラクダであったキリンは合鍵を持っていた。それで女の部屋に入ると、ぼくの背中の死体を踊らせながら、カンカンノウ歌えと言う。
「この変態キリンもどきめ」
女はそう言ってラクダであったキリンの首をへし折った。ラクダであったキリンは「へげっ」と言ってその場に崩れた。
「キリンとラクダは持ち帰ります。だから、ぼくの背中を今すぐ掻いて下さい」
女の部屋から月は丸見えだ。
高校に体育祭の季節がやってきた。
生徒たちは自主性を発揮し、青春を振りかざしながらリレーをする。綱引きをする。借り物競争をする。17歳と体育祭。ある者は斜に構えながらも選手に選ばれた。ある者は受験勉強の息抜きとして取り組むことにした。またある者は社会性を身に着け、リーダーシップを発揮する機会だと前向きにとらえた。皆が皆思春期であるにもかかわらず学校の仕組んだカリキュラムに抗わず思い思いの熱を発散することで教師たちの期待に応えていた。そうした様々な反応がすべて体育祭の名のもとに統べられ、青春の名のもとに個性に還元された。
しかし素数のような人間はどこにでもいた。四十人のこのクラスにも、割り切れない人間は四人いた。走れと言われれば走るし、体操をしろと言われればするが、それだけ。自分の可能性を微塵もそのようなイベントで発揮したくない、そのようなところで自分のレッテルを貼られたくない四人は消去法でグループとして集められた。一人一人が小さなつまらない個性を隠し持っており、お互いに否定されない程度に少しずつひけらかした。
そんな四人にも組織から課題は与えられた。体育祭で掲げるクラスの立看板を作る役を割り当てられた。仕事は四人を憂鬱にしたが、納期が彼らの手を動かした。工作の素養のない四人は試行錯誤を繰り返し、慣れない鋸で指を切ってしまう者もいた。作業を進めるうちに次第に四人に団結のようなものが芽生え、期日の前日にやっと立看板は完成した。密やかな充足感が彼らを満たした。
そしてその日の午後には彼らの立看板は強度不足として壊されることとなった。クラスの中心人物たちが笑いながら立看板を壊していった。四人はその姿を教室の窓からひっそりと見ていた。最初目を合わせた後は何も言わずただ窓の外の光景を見ていた。
次の日には看板を壊した連中の手により、新しい立看板が模範的な団結の力で作り上げられた。たった一日で作られた看板は体育祭当日もその威容を誇り、コンテストで優秀賞を受賞した。受賞のアナウンスが鳴る脇で四人はやはりひっそりとしていた。四人は卒業まで特に仲良くなりもせず、かといって無視しあうようなこともなく、卒業と同時に連絡を取らなくなった。誰一人として同窓会に参加することはないが、そのうちの一人は今でもたまに手持無沙汰な時などに左手人差し指についた傷をそっとなぞる。
石川芙美子は家政婦だ。
家政婦のプロフェッショナルだ。
担当する家を整えていく芙美子は美しい。
汗ひとつかかずに整える。
無駄な動きはない。
歩いていく芙美子の手は高速で動いているため見えない。
誰かがうっかり手を近づけようものなら、けがをする。
運が悪ければ切断されるかもしれない。
危険だから芙美子が仕事をしているときはおとなしく見ていること。
近づけば安全は保証しません。
ばばばと肉片になりたくなければ、ソファに座っていなさい。
そして奇跡を目撃するのです。
あなたは幸運だ。
奇跡はそう簡単に訪れたりしない。
けれどもここに訪れるのです。
祈ろう。
ほら、芙美子はゴム手袋をはめて、口紅をひいている。
紫の口紅は芙美子によく似合う。
いっさい妥協がない。
めがねはかすかに色が入っていて、UV加工がほどこしてある。
屋外の仕事もある。
芙美子ぐらいの家政婦になれば庭も整えるからね。
庭職人もかねている。
もちろんうまい食事を用意できる。
芙美子が作る料理は健康面も考えられている。
料理人もかねている。
栄養士もかねている。
時々胸が大きく開いた服を着てくる。
割烹着の下は下着だけということもある。
妻もかねている。
同じ昔話を何度も初めて聞くように聞いてやる。
孫もかねている。
フリスビーを投げれば追っていき、宙でキャッチする。
犬もかねている。
口に洗濯物と洗剤を入れれば数十分で洗って脱水までしてくれる。
洗濯機もかねている。
目撃した殺人現場の様子を思い出して自分で整理する。
刑事もかねている。
芙美子は世界を作り、人間を作り、秩序を作った。
神もかねている
芙美子は社会を整える
芙美子は世界を整える
芙美子はあなたを整える
芙美子はあなたを整える
芙美子はあなたを整える
リピートアフターミー、芙美子はあなたを整える
芙美子はあなたを整える
ふみこはあなたをととのえる
ふ・み・こ!
ふ・み・こ!
芙美子を信じなさい、さあ芙美子の整えた壷を与えます
芙美子に捧げなさい
芙美子の割烹着のポケットの中に捧げなさい
たくさん捧げれば、たくさん整える
列を作り捧げなさい
順に並び捧げなさい!
列を乱すものは、芙美子に整えられるぞ!
「おお、いい匂い」
テツトはコンロのなべをかき混ぜているリンの肩を抱いた。
「いいでしょ。もうちょっとだからね」
リンの声には、はずむような調子がある。でも少しだけ怯えたような震えが混じっていることも否めなかった。テツトは幸福感に満たされていた。それにはやはり背徳感というか共犯関係というか、そういうものも一役買っているのだろう。たぶんリンも同じはずだ。
リンは戸棚からビン詰めになっている二つ目のカレー粉をとりだした。テーブルに広げてある分厚い本で確認して、それをなべに投入する。451ページ、カレーの作り方。それなりに本格的だった。
テツトが飲み物を用意しようと冷蔵庫をのぞいたとき、玄関のチャイムが鳴った。そしてほとんど間をおかずに、乱暴にドアを叩く音がした。この来客はよいものではなさそうだ。テツトはリンに目で合図してから玄関に近づき、そっとドアスコープをのぞいた。
「やばい、CIAがきたぞ」
テツトが小声でささやくと、リンの顔色もさっと変わった。
「どうしよう」
リンはなべにふたをしたものの、それをどうしたらよいか分からずにおろおろした。
あの原発事故が起こって以来、エネルギーの節約については数々の施策がとられてきたが、近年ますますそれは先鋭化してきて、ついには家庭の料理までが規制されるようになった。大衆食の代表であるカレーも例外ではなかった。効率化のため、ある程度の規模でいっぺんに作ることが義務付けられたのだ。その結果、セントラルキッチン方式をとっている飲食店以外は事実上カレーを作ることができなくなった。某大手カレーチェーンの思惑が絡んでいることは公然の秘密だった。
ドアを蹴破ろうとする音が部屋中に響く。もしかしたら斧か何かを使っているのかもしれない。テツトはどうしてこうなったのだろうと考えていた。いったい誰がカレーの情報をたれ込んだのだろう。でもこうなっては仕方がない。もうごまかすこともできない。
ドアがこじあけられた。大きなガスボンベを背負って火炎放射器を構えた男たちが部屋に踏み込んできた。調理に使う何倍もの火力でソファーが焼かれていく。
「くそ、そいつを全部ぶちまけろ」
熱々のカレーをなべごとテーブルの向こうに放り出し、テツトとリンはベランダ側の窓から脱出した。男たちは委細構わず火炎を放射しつづけた。ほんの一瞬、部屋中を満たしたカレーの匂いもやがて業火に包まれていくのだった。
Yと知り合ってから17年が経った。
出会った頃から大好きで、その気持ちを手に入れたくて、一度手に入れたけどすり抜けていった。
けれどその後もずっと心に寄り添ってくれている男。
今でも年に数回会ってお酒を飲み、近況を伝え合い、その時の気分で身体を重ねる。
異動と共に少しずつ出世をしているらしく、年々多忙を極めているようだが、約束は何度先延ばしになっても、反故にされることは決してない。
Yは10年前に結婚して、6歳になる息子がいる。
私の前ではめったに家族について語ることはない。
私もいくつかの短い恋を繰り返しているが、そのことをYが尋ねることはないし、私から語ることもない。
見るからに優しい男ではない。時々傲慢な様さえ感じることがある。
けれど、Y以上にやさしい男を他に知らない。
それは、かつて少しでも心を重ねた女に対する、せめてもの思いやりなのか、それとも今でも多少の愛情のようなものを感じているからなのか、私には分からない。
きっとそれは、知らずにいても良いことなのだと思う。
思い描く、理想の男。
美しく、潔く、厳しく、やさしい人。
誰よりも何よりも、特別な人。
私はYよりも特別だと思える人に出会ったことがない。
本当に長く、そしてきっとこの先もずっと、彼に恋をする。
この人と全く同じ人がこの世にもう1人いればいいなといつも思う。
水の中に彼を見る。
やっと見つけた、そう思い、手を伸ばす。
水面は揺れて、彼の姿は滲み、水の底へ溶けていく。
指先にひんやりとした感触だけが残る。
手を伸ばすことはできるけれど、手に入れることは決して出来ないひと。
それでも、その姿は消えることなく、何度でも、水面に映る。
私は何度も手を伸ばし、その心をつかもうとする。
決してつかむことが出来ないことを知っていても。
そうして私はただずっと、夢を見つづけている。
広島の地に合衆国大統領が来訪した、吉田は高校2年の初夏に修学旅行で訪れた、記憶をたどると、当時、映像は記録できない時代で、画像を写真フイルム10本にしたため、山口県、萩、津和野、秋芳洞、岩国、錦帯橋、宮島、最後に広島の都会にて平和記念公園、原爆資料館を訪れた。40年前の場所を約4年間暮らしたアメリカの大統領が訪れた。当時の大統領は息子ブッシュ、2000年のゴア候補と1か月の選挙結果が出ない前代未聞の選挙戦を勝ち抜いたブッシュである。その就任した2001年9月に同時多発テロが発生、オバマ氏は就任した2009年にプラハ演説でノーベル平和賞、この違いはなんだろう。今回はニューヨーク五番街とセントラルパークの角に立つ、トランプタワーでアメリカンドリーム、金満の象徴のトランプ氏が優勢らしいが、2017年は何も起きないで欲しいものですね。
広島の演説はとても抽象的であったが、71年前の原爆ドームと40年前に脳裏に焼き付いていた近代的なビルが今でも同じ風貌で立ち尽くしていた、新旧のビルのコントラストが、オバマ氏の背景にあったことはとても吉田にとって象徴的な映像となった。
アメリカは植民地から独立した、広大な国土と自然の資源に恵まれた、他国の領土を脅かす必要もなく、自給できる食料やエネルギー、人材も多くの移民を許可して強大なパワーも兼ね備えた国である。遠い太平洋を挟んだ島国と戦争をする必要もなく、今でも都会に住む人間以外は田舎で海外へ仕事や旅行をする必要もなく、一生、国外に出ることがない国民も多いと聞いている。そんな国が何故日本と戦争を交えることになったのか、その上、早く戦争を終結させるために核爆弾を使用しなければならなかったのか。そしてオバマ氏が言うように子供の未来を奪ってしまったのか。その手段を廃絶するために核のボタンを鞄に入れ、持ち歩かなければならないのか。謝罪はなかったが、反省と将来へのスタートは立派な謝罪と汲み取った。
人類は生きなければならない、希望を持って将来を構築する意識を次世代につなげなければならない。地球船という星に皆同じ引力で立ち、走り、考え、悩み、幸福を思う。宇宙に侵略を考える前にこの星の中で差別をなくし、同じ人間や生命を尊び、弱者を思いやる皆、神の対応を身に着け、思いやり、すべてを愛し、己を謙遜する。どこかのリーダーにも聞かせたかった、オバマ氏の演説であった。
小走りにガードを抜けて来し靴を ビラもて拭う夜の女は 寺山修司
天国の入口というライブハウスの出口で水を一口飲んだ。
分厚いドアの向こうからはベースの音だけが響いてきた。壁にべたべたに貼られたフライヤーを読む振りをしていたけれど、ライダースの背中が角を曲るのは見逃さなかった。つられる様にして歩き始めた。
壁にもたれて、氷が溶けて味がしなくなったジンバックを啜っていた。ドクターマーチンを履いた男が一緒に来た女友達だけに話しかけたので、私はいつもするように自分の爪先に視線を落とした。我ながらさり気なく出来た。先週買ったばかりのパンプスだった。誰かが思い切り踏んづけて汚してくれればいいと思った。ステージでは何てことないロックバンドが演奏していた。黒いリッケンバッカーを弾く男がぼたぼた垂らす汗を見ていた。途中、酔った客が彼に茹でピーナッツか何かをぶつけたけれど、一向に介せず最後まで演奏すると、ステージを降りて、やけにするりと観客のあいだを擦り抜けていった。またしばらく自分のつま先を眺めた。この店はフロアがチェス盤みたいな白黒になっている。白の正方形のところに両足をそろえてみた。でもこの店で茹でピーナツなんて出してたっけと思い顔を上げるともう男はギターケースを肩にかけて出口への階段を上がっていた。私は点けたばかりの煙草をもみ消していた。
駅前の酔いどれ達の人込みを抜け、男は線路沿いに歩き続ける。ビリヤードの山彦、衝動と言う名の靴屋、安モーテルお洒落貴族。男が振り向いて目が合う。そうすれば私は世界の全てに勝ったことになるような気がした。祭りでもないのに神社の入り口では獣の肉を焼いて売る片目の的屋がテレビの野球中継を見ていた。ライダースのベルトがぶらぶらして金具が通る度ヘッドライトに反射する。私の影が彼に覆いかぶさるのを数えていたけれど、途中でわからなくなってやめた。甲州街道のオレンジ色ライトの長いトンネルに差し掛かって少し怖気づいた。私の靴が引き伸ばされて捨てられたカセットテープを蹴った。男は振り向いた。別に驚いた様子も見せず私を一瞥しまた歩き始めた。私も慌てて踵を返して足を早めた。トラック野郎が派手な音を立てて通り抜けて行った。井の頭線の最終電車にはまだ間に合う。それに気づいた自分に軽く失望した。
目が覚めるとカレンダーにばってんをつけます。今日もわたしはまだ夢のなかです。いたはずの人はもういません。空くはずのお腹はもう空きません。窓辺に寄ってくる鳥ももういません。餌をねだりに来ていた猫ももういません。
空にはぽっかりと穴があいています。そこから降ってくる黒いものは空気にまじって消えていきます。消えていくといってもなくなるわけじゃありません。見えないけれどもそこにあります。そこにあるはずのものを確認しながら日々を送っています。
見えないものとあるはずのものとを繋げて考えるのには正直に言ってもう疲れています。見えないものはないものとして考えるほうがずいぶん楽です。実際のところ一時期は本当にそうしていました。あれもないこれもないそれもない全部ない。けれどもそういうわけにもいきませんでした。そこにあるはずのものはなんとかしてその存在を主張しようとし続けるのです。
わたしにカレンダーにばってんをつけさせ続けるのです。
地面にはばっくりと穴があいています。落ちていくことは簡単ですがわたしは器用にそれを避けて歩くことができます。穴に落ちたらもう出られません。見えなくなって消えてしまいます。確かにそれだけではなくなるわけじゃありません。けれども見えないものを忘れることは簡単です。
わたしはもうたくさんのものを忘れてしまいました。これ以上忘れてしまわないように今日もわたしはカレンダーにばってんをつけます。いたはずのものを数え直します。いたはずの家族はもういません。苦しいはずの呼吸はもう辛くありません。外を行き交っていた車はすべて姿を消しました。高く聳えていたはずの樹々ももうありません。
ときどき穴を覗き込みます。足が震えて落ちそうになります。そのまま落ちてしまってもいいかもしれないと考えます。そうしてわたしは確認します。わたしはまだ穴を怖いと思っています。ここから逃げたいと思っています。わたしはまだ大丈夫です。
今日も空から黒いものが降ってきます。あれはないものです。ないものです。
なんでいつもこんな事態に陥るのか全くわっかんねぇ。大体、水着を一緒に買いに行こう、と理沙に誘われたのは幸希のはずで、珠里、つまり女装した俺は理沙に誘われてないわけで。なんで、お前が珠里も誘ったから、とか理沙に言うわけ? 俺、このパターンにはまるの、これで何度目?
遠く、と言うほど離れてもいないベンチに腰かけて、特設された水着売り場を眺める。あれこれ物色している理沙は、売り場の奥に入って行って見つけられない。
「水着とさ下着って……」と、急に口を開いた隣に座る幸希を俺は見た。
「布面積的にはあんま変わらないのに、なんで水着は男と選べて下着は駄目なんだ?」
「は?」
唐突のなことを言う幸希に、思わず地声が出る。通り縋りのお姉さんが小さく「え?!」と驚いた顔をして去って行った。
一瞬、自分が珠里だって忘れてしまったことに俺は軽く溜め息をつく。そんな俺を見て、幸希が「馬鹿じゃね」と言った。誰のせいだよ……。
「そういえば、最近はさ、『パパ』と買いに来るお姉さんも多いよ」とニコッと笑って言うと、幸希は「パパ?」と言って俺のほうを見て、「あぁ、『パパ』ね」と何か納得したように再び水着売り場に目を戻した。
「最近は、オッサンが人気なんだってさ」
「そういえば、理沙も最近オッサンがどうとか言ってた」
「本当は、自分が理沙の選びたいとか?」
「いや、違うけど」
予想していた回答がすんなり返ってきて、でしょうね、と俺は持っていペットボトルに口を付けた。
「なんで水着、着たいんだろう。普段は体の線が出るのは着られない、とかいうクセして」
オンナってわかんね〜、ってことなんだろうけど、そんなこと俺に聞かれても困る。俺、オンナじゃねーし。
「知らね〜よ、夏マジックじゃねーの?」って適当に言ったら、「夏マジックね〜」と幸希は俺のほうを見た。
「何?」と言った俺に、「声」とだけ幸希は言ってまた売り場に視線を戻した。
スマホが震えて見てみると、理沙からだった。
「どうしたの?」って尋ねると、どっちか決められないから選んで欲しいってことだった。
「行く?」と通話を切って幸希に尋ねたら、「ここで待ってる」と。
「なんで? 理沙の選びたかったんじゃないの?」って言うか、理沙が選んで欲しいんじゃないのか?
「楽しみにとっとく」
「は?」
お前の頭の中が一番わっかんねぇよ、このエロ野郎、と俺溜め息をついてその場を離れた。
気分で珈琲をいれることが山川の日々の習慣であり、娯楽であり、官能の時間なのであった。今朝はコロンビアスプレモとガテマラを2:1で混ぜあわせて豆を挽く。
コロンビア。国民の5分の1が珈琲の生産に携わっている。ブラジルのような大農園とはちがって小規模の農園主たちがコロンビアコーヒー生産者連合会なるものをつくっていて、イメージキャラクターにファンバルデスがいる。昔は香りもよく質の高いティピカ種がメインだったらしいが、今では生産性の高いバリエダコロンビアなどの変種がメインとなっていて、味の特徴はとにかくマイルド。
山川は思う。マイルドコーヒーの代表格という、いいかえれば個性のないコロンビア。その昔の味を飲んでみたかった。
コロンビアといえば麻薬戦争の土地でもある。珈琲産業は表の顔で、裏にあるのは血みどろの歴史である。
ガテマラのキュンとした、オレンジのような爽やかな酸味をコロンビアに加える。コロンビアスプレモが大粒なのに対してガテマラは小粒でかわいいと山川は思う。
できあがった山川ブレンド、今朝は『郷愁のコロンビア』と名づけて、そのマイルドな甘みに加わったほのかな酸味を楽しんだ。それから山川は出勤までの時間、日記帳を開いて明日の日記をつけはじめる。
毎日、シフト表に従ってきっちり10時間拘束される。薄給で特にこの先大金をつかむ見込みもない。ささやかな生活を維持することはできるだろうが年齢と容姿とその割に理想の高い自分の性格からして、このまま独身ですぎていくだろう。
ある日山川は、日々の日記をつけていくうちに、自分の毎日はほとんど同じで、仕事のシフト表が人生そのままであることに気がついたのだった。
『だったら、明日の日記を書いてみよう』
そんなわけで山川は毎日早起きすると、出勤までのあいだに珈琲を飲みながら明日の日記を書くのである。唯一記さないのは、どの珈琲豆を飲むか。それだけは当日決めるのだ。だが何を食べたり何を買いに行ったりするかはあらかじめ前日に決めている。
とくに食事については、一週間のメニューを最初に決めて値段や調理手順まで書いている。この習慣で、山川は初めて貯金の概念を手にしたのでもあった。
山川はコロンビアスプレモとガテマラのブレンドをのみほした。明日の日記も書き終わったので、出勤の準備をはじめる。
『欲望をこえた、何か大きなことのために生きたい』
山川はふと、そんなことを思いはじめる。
ニャーとさえ鳴けばよい、という情報だった。
私はそのとき、広場に現れた一本の市民の列に並んでいた。
ニャーと鳴く仕組みの入った縫いぐるみを一つ抱えながら。
「ほら、アリさんが行進してるよ」と少女は、私の足元を差して言った。「ぜったい踏まないでね、巨人さん」
つまり巨人とは私のことであるが、縫いぐるみを抱えたり、黙って列に並んでいる巨人なんて聞いたことがない。
「だけど、巨人が何したって自由でしょ。うたを歌ったり、おしゃれをする子だっているはずよ。……人間をふむのは駄目だけど」
市民の列は、見えない障害物を避けるように大きく歪んでいた。時間が経てば列の歪みも変わっていくのか、それとも見えない障害物はその場所からずっと動かないのか。
「ねえ巨人さん」と少女は質問した。「どうしてみんな不幸な顔してるの? 鏡で自分の顔をみたら、きっと死にたくなるわ」
今はうたを歌うことも、おしゃれをすることも忘れてしまったのさ。みんな帰る家がないのだ。
「ふーん、ところでその猫、なまえ何ていうの?」
「ぼくは猫じゃなくて熊だぞ!」と縫いぐるみは喋った。「ニャーでも、ワンでも、ガウーでも鳴ける、自由な熊なのさ」
そんな会話の最中、空から大きなヘリコプターが降りてきて激しい土ぼこりを巻き上げた。市民が列から離れまいと爆風に耐えていると、ドレスやスーツ姿の一団がヘリの中から現れた。
「本当はね」と縫いぐるみは言った。「ニャーと鳴く必要なんてないんだよ。みんな、本当はそのことを知ってる」
ドレスやスーツの一団が静かに合唱を始めると、列に並ぶ市民はそれぞれの表情を浮かべながら沈黙した。
私は、そのお喋りな縫いぐるみを少女に渡して列を離れた。
「ねえ巨人さんてばっ!」と叫ぶ少女の声が広場の合唱に埋もれながら響いた。「この子泣いてるよ! 生意気だけど、まだ子どもなのよ!」
それから20年後、遠くの街で少女と再会した。
彼女の顔はすっかり忘れていたが、何度も「巨人さん」と呼ばれているうちにやっと思い出すことができた。
「縫いぐるみはね、しばらくすると喋らなくなったの。電池交換をしても駄目だったから、あたし広場へ行ってあなたを捜した。でもあなたは二度と戻らなかった」
彼女の話では、あの見えない障害物は今でも動かないままだという。
「巨人はね、自由だけど歌うことを知らなかったの。でもそれは、本当の自由ではないような気がして」