第165期 #4
「眠っているのかな」
僕の罪悪が言った、暑い夏の日の午後。
汗をかいたグラスの横から、もう残りわずかな光を灯した君の双眸がゆっくりと揺れながら僕を見ている。紅く染まった畳を綺麗だな、なんて思いながらそれとは対照的に色を失ってゆく君の唇を指の腹でなぞる。ひどく乾いたそれをとても悲しいと思った。
思い返すと初めて触れたのもこの場所だった。今と同じように僕の心臓は早鐘のように打っていたけれど、君は温かくて柔らかかった。
「躊躇わなかったね」
僕の罪悪が言った、暑い夏の日の午後。
父の頭を迷いなく打ちつけた僕を感心しているのか、小馬鹿にしているのか。
長い間馬車馬のように働き続けていたのだから、これだけ静かに横たわることも久しくなかったに違いない。僕が誕生日に贈った紺のポロシャツを纏っている父の姿は、かつて大きく見えていたが今見れば畳一枚分に収まる小さなものだった。
「かわいそうに」
僕の罪悪が言った、暑い夏の日の午後。
ただ無垢だった僕の弟を思いやるほど人の心があったのかい。
無知故に何も恐れずまっすぐに見つめてくるその瞳をいつしか僕は避けるようになった。
お前が慕っている僕は生きていることを恥じているような人間なんだと叫んでしまいたかったが、最後まで彼の前では兄で居続けてしまった。
弟をこの六畳間に加えるかどうか、最後まで迷った。裏を返せばどちらでも構わない、取るに足らない存在だったのかもしれない。
「泣かないで」
僕の罪悪が言った、暑い夏の日の午後。
いつだったか、自分のを忘れた僕に手袋を着せてきた時と同じ温度の母のその手を握りながら僕は泣いていた。
少しふくよかで、不恰好な手。
かつて幼かった僕の手を引いていた手。
友達の玩具を盗んだ僕の頬を打った手。
自分で謝りなさいと言いながらインターホンを押した手。
手に入らなかった玩具を息子に買い与えるためにレジを打った手。
顔を綻ばせた僕の頭を撫でた手。
大きく目を見開きながらその手をかざした母を僕は何度も刺した。
「楽しかったよ」
僕の罪悪が言った、暑い夏の日の午後。
横たわる僕の視界のすみに映る彼の姿が水面に落としたように揺らぐ。
この期に及んで自らを横たえることにさえ涙するとは。
僕は自分を抱くようにして一枚分の広さに身を置く。
「ここも手狭になった」
僕の罪悪が言った、暑い夏の日の午後。
彼はつまらなそうに言うと五つが埋まった六畳間の最後の一枚から立ち上がってどこかへ消えた。