第164期 #7

紫陽花

 私の傘は盗られ続ける。今日も雨なのに傘がない。昨日買ったばかりの紫色の、フレームは黒い、傘がなくなっている。私の横をお疲れ様ですと言いながら同僚が色とりどりの傘を広げて帰っていく。私はその場に立っている。
 次の日もまた雨だった。私は昨日買った傘をまた盗られて立っていた。盗られないように印をつけていた傘は紺色だった。部屋に戻ってくしゃみをしながら帰り道買った青色の傘に今度は名前を書いていた。
 梅雨なのか何なのか。今日もまた雨で、私はまた傘を盗られて雨に似合う顔をして立っていた。「傘を貸しましょうか」という守衛さんの言葉を振り切って走って家に帰った。また紫色の傘を買った。部屋の中で広げたり、畳んだりしていた。黒いフレームを見ながら、ため息をついた。
 当然のようにその傘は次の日盗られた。これでもう何本傘を盗られたか。雨の季節は毎日傘を持っていき、濡れて帰って。
 濡れて帰って。傘を持って行って。もう名前も印もつけない。ひょっと、この会社の人数を超える分の傘をもう盗られているのでは、と気付きそうになるのをこらえて私はまた傘を買う。明日が雨でなければいいのにと思うのが70%、新しい傘を買うワクワクが25%、もしかして同じ人間が傘を盗り続けている? という妄想ベースで傘を買い続ける私の変態的期待が5%。その5%になんかこだわって、私はいい手触りの傘を買い、期待を短冊の形で具現化して傘からぶら下げてみたり。

 こんにちは。突然ですが、やさしさと聞いてあなたが真っ先に思い浮かべるのは何ですか。私は雨を思い浮かべます。だって降る場所を選ばないし、みんなの上に等しく降る。あなたが差している傘の上にも、傘がなくて濡れて帰る私にも、優しく降る。でも誤解しないでください。私はもっとあなたと仲良くなりたいのです。もうすぐ七夕ですね。どうかあなたが……ように。

 男は盗った傘の中にぶら下がる一点を凝視していたので避けるには時間がなさ過ぎて車にひかれた。舞い上がる傘の骨の一本に結び付けられた短冊は雨に濡れて文字がにじんでいく。

 人だかりができていた。十はあろうかという紫、黒、紺、水色の傘が折り重なっていた。もぞもぞと動いていたがひとつひとつ去っていき、最後に残った傘は紫色で、ほかの傘が去った後もずっとその場所を動かなかった。とても傘が似合う女だった。

 どうかあなたが濡れてしまいませんように。



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