第164期 #6

第一夜

私は夢を見る。
幸福な夢だったのか、凄惨な夢だったのか。私の意識は区別しない。心は恐怖を叫ぶのに意識はさらなる深みを目指す。時折自分が自分でなくなる感覚をもて余す私は夢遊病者に憧れていた。その日のそれは格別に生温かかった。外側から達観するものにはとても冷たく感じたかもしれない。しかし意識が境の判別を放棄するとき、心は感覚を諦める。事実に関わらず、私の感覚は心地の悪い温もりを舐めた。私はいつもそれが始まると座る特等席を決めている。しかしそれは当たり前なことかもしれない。はじめからスクリーンの前には席がひとつしかなかった。

私はスクリーン越しに私を見る。
彼、あるいは彼女は無表情に謝り続けている。
彼、あるいは彼女をとりまく人々や伴っている者は皆、涙を流す。
私はなんと退屈な画だと思いつつ、今日は大当たりだと心の中で歓喜した。
彼、あるいは彼女は死ぬのだろう。病で倒れるでもなく、誰かに殺されるでもない。それは画の中の住人たちだけでなく私にもわかった。
彼、あるいは彼女はその事実の前にただ淡々と別れを告げてまわっている。別れを惜しんで泣き崩れる彼らに彼、あるいは彼女は謝罪を述べている。

しかしいつまで経ってもその最期を映さない。
彼、あるいは彼女はむしろ望んでいるようにさえ見えた。ならばどうして?
私も知りたかった。もちろん、この画の一番の見所は延々と続く別れと謝罪のシーンであることはとうにわかっている。しかしいったいどんな死を遂げるかを好奇心が知りたいと渇望する。
ああ、なんて浅ましい心なのだ。
その最期は到底美しいものではないはずなのに。
一度外の空気を吸ってからまた見にこようか。
その頃には見られるかもしれない。しかしその劇場は一度目を背けた人間に二度とは同じものを決して見せない。
私、あるいは僕は例外なくそれを忘れる。何度繰り返しても忘れずにはいられない。
それは私、あるいは僕だけでなく人間の性であるが故に私、あるいは私は落胆しない。次に来たときにはまた別のものが見られるのだ。それを楽しみにする方がずっと賢いとは思わないか?
私、あるいは彼は自らに問う。しかし今日ほどの生温かさはもう味わえないかもしれない。そう思うと突然、一種の郷愁に似た感情に襲われる。
また明日来よう。それで折りあいをつけたつもりだった僕、あるいは彼女は劇場を出た。

それから一月、私あるいはあなたがその劇場に姿を現すことはなかった。



Copyright © 2016 in / 編集: 短編