第164期 #22
窓の外にタクシー
今宵は月がおおきくてまるい
ぼくは珈琲をのみながら
フルトヴェングラーのことをかんがえている
月までの距離と、フルトヴェングラーまでの距離
どちらが遠いだろう
月は、僕の座っている席から目に見える
目に見えている月のほうが
アフリカよりも近いように思う
それじゃあフルトヴェングラーは
僕の心のなかで鳴っているから
アフリカよりも、フルトヴェングラーのほうが
ちかい?
ベートーヴェンの第五交響曲
はじまりの扉をたたく音
ぼくは
フルトヴェングラーの指揮がすきなんだ
三つならんだ八分音符に
こぶしの重みをかんじた
そのあとの一瞬の沈黙に
動物園のゾウが隣にいるような気持ちになる
ぼくは
運命に重さがあることがうれしい
家にかえったら
フルトヴェングラーと筋肉のことをかんがえながら
腹筋しよう
窓の外のタクシーは
今もとまっているけれども
同じタクシーなのかわからない
月に雲
珈琲カップは空になる
帰り支度をしていると
月が雲間から姿をあらわした
フルトヴェングラーが指揮棒を動かした!
あれぐろ・こん・ぶりお
距離や質量をとびこえて
内側にひろがる
自作の詩を昔の日記にみつけたのだった。タイトルは「フルトヴェングラーが鳴る」で、詩を書いてみようと思ったわけでもなく、ただそのころ集中的にフルトヴェングラーを聴いていて、不意に胸が熱くなったと思ったら書いていたのである。すっかり忘れていた詩だったけれども、再読したとたんに僕はこの詩を書いたあとの夜のことを思い出していた。家に帰って腹筋を1200回したのである。翌朝、まだ夜明け前の時間に恋人が僕のからだに馬乗りになってもとめてきたとき、僕は文字通り腰を動かすたびに腹が裂けるかと思ったものだった。
それは4年前のことで、そんなに昔のことではないかもしれないが、僕の寝起きを文字どおり襲った恋人はおらず、僕は仕事もかわって、いつのまにか音楽を聴く時間さえも少なくなっていて、そもそもリュックひとつで家を出た身なのでフルトヴェングラーのCDも一枚もない。空を見あげることもそういえばなくなっていたから、僕には月もフルトヴェングラーもアフリカより東京より遠いものになっていた。
もう一度、詩を読み返してみる。今度は声にだしてみる。すべて過ぎ去ったことだけど、こうして詩のなかに戻っているとき、なんだかまたフルトヴェングラーのベートーヴェンが当時の親密さで感じられてくる。忘れないために書くのかもしれない。