第164期 #20

人の形をしたもの

 すごい勢いで忘れていく。昨日自分がしたことも。いま自分がいる場所も。昨日出会った人のことも。いま目の前にいる人のことも。
 あなたが誰なのか、わからない。
 触れてみる。冷たいその手は、わたしの手を握り返さない。琥珀色に光るその瞳は、わたしの眼を見返さない。わたしの語りかける声に、応じることはない。
 抱きしめてみる。冷たいその身体は、ほんの少しでも動くことがない。
 どうしてあなたにこんなに惹かれるのか、わからない。
 わたしはいつあなたに出会ったのか。どういう経路をたどって、いまわたしはあなたの目の前にいるのか。
 どうしてあなたは、わたしとともにいるのか。
 あなたの名前を知っていた気がする。けれども、今のわたしにはわからない。
 昨日あなたといたのかどうだかわからない。いつからあなたといるのかわからない。今日目覚めてからここにたどり着いた経路がわからない。
 仕方がないので、仮の名前をつけることにする。わたしの名前でもかまわない?
 呼んだ瞬間に、世界がひっくり返る。吸い込まれるように意識が遠のき、気づいたら身動きひとつできないあなたのなか。
 狭い視野のなか、あなたがこちらを見ているのが見える。そして、どうして自分がそこにいるのか、思い出そうとしている。思い出すことができないことを、思い出そうとしている。
 あなたはわたしに問いかける。どうしてあなたはここにいるの。
 答えることはできない。わたしには舌がない。ほんの少し唇を動かすことすらできない。
 あなたはわたしに呼びかける。ねえ、お人形さん。
 その瞬間、わたしの意識は消える。わたしはあなたのための人形。そしてもうそこから動けない。



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