第163期 #9

朝の訪問者

朝の柔軟な日射しの中、彼はやってきた。
主人と息子が出かけた後に。
迎え入れた私は、少しの談話の後、六畳の間に布団を敷く。
「これに着替えて」
大きな掌には、専用のブラとショーツのセットがあった。
私は、それのみを身につけ、布団の上で俯せになる。
大きな手の持ち主は、薄いタオルケットを掛けた後
私の身体の硬質を、弛める施術をしていく。
「凄く 疲れているね」との言葉も無理はない。身体は正直だ。
言葉を発すさずとも、蓄積された疲労を顕にしていたから。

静寂な時が流れる中、心地よい香りが漂ってくる。
「オイル…私、肌弱いけど大丈夫かな?」
「そうなの?敏感肌でも大丈夫なモノだけど。違和感あったら言って」
施術していた手の持ち主は、アロマのオイルを
私の全身に塗擦していきながら「血行悪いね」と感想を述べた。
その手は、私の身体を知り尽くしているかのように
絶妙な力加減で、疲労を快方していく。心地良い。
意識が自然に遠退いていくのを感じた。

「仰向けになって」遠方から聞こえて来る様な感があった。
私は意識を戻し、指示にしたがい、瞼を開けて小声で言う。
「今寝てた。又、寝ていい?」汗ばむ彼は無言で頷く。
今度は私の頭皮から首筋に向けて
10の指に力が入っていくのを瞼を閉じて感じていた。

又もや微睡む私。暫くすると「欲しくなった。いい?」
遥か彼方から響く声と共に、唇に柔らかい感触を私は覚えた。
混沌した意識の中、瞼を開けると彼の顔が目前にある。
彼は私の瞳を見て、耳元で囁く「二人だけの秘密だよ」と。
私はゆっくり頷くと、彼の大きな手の残り香に酔い
いつしか身体に腕を回し、その重さを感じていくのだった。

一年が経ち、時折私は朝の訪問者を思い出す。
今もどこかの屋根の下で、充溢した世界に身を委ね
『二人だけの秘密』を、増やし続けているのだろうか?
アロマオイルの心地良い香りと共に…



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