第163期 #17

行路

 後ろから追いかけてくるので、ほかにどうすることもできずに、ただ逃げている。先日傷めた左足首はまだ大きく腫れていて動きづらいし、背中の筋もこわばっていて走るたびに痛む。けれども走り続けざるをえないので、そうしている。
 前を行く少女には羽根がある。軽やかに羽ばたきながら、軽やかに駆けながら、こちらを振り返っては笑っている。彼女の羽根から飛んでくる鱗粉が気管に入り込み、苦しくて仕方がない。私の前を行くなと叫びたくなるが、そうすることもできないぐらいに疲れている。痛む足を引きずりながら、時に咳き込みながら、だらだら坂を上り続けている。足音は後ろからずっと聞こえてくる。それは時に忍ばせるように、時に音高く、私を苛む。
 雨が降ってくる。前を行く少女の羽根が濡れて萎れて畳まれる。これで鱗粉に悩まされることはなくなったと安堵するが、今度は降りしきる雨が口のなかに入ってきて、呼吸のしづらさは変わらない。服がしとどに濡れて肌に貼り付き、気持ち悪いうえに冷たくて寒い。着替えは鞄に入っているが、取り出して着替えるための時間も場所もない。背中の向こうの足音はずっと聞こえ続けている。足を止めるわけにはいかない。走り続ける。
 目の前を行く少女が足をとられて倒れる。助け起こすわけにはいかないし、そうしたいとも思わない。青ざめた顔で横たわる少女をわき目に、力の限り脚を動かし続ける。少女の責めるような瞳が目に入るが、声をかけようとは思わない。後ろから追いかけてくるものの足取りはゆるまない。雨音の合間に霞むように、けれども力強い足音が響いてくる。
 道は下り坂にさしかかる。笑い声が聞こえる。四方八方から聞こえてくる。耳をふさぐことができないので、聞き続けるしかない。笑い声はどんどん甲高くなっていく。仕方がないので私も笑い始める。天を仰いで笑いながら、両腕を大きく振って走っていく。
 やがて夜になる。もう息が続かない。脚も身体も疲れ切り、もう一歩たりとも動きたくない。けれども立ち止まるわけにはいかない。振り返ればそこにいる。それを目にしたら終わってしまう。終わらないためには走り続けるしかない。すでにすり切れてちびてしまった脚を小刻みに動かしながら、ゴールに向かってひた走り続ける。
 ゴールの向こうにあるものを、おそらく私は知っている。



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