第162期 #16

机上の空談

僕の中学には、数学科室なるものがあった。どうやら視聴覚室や音楽科室などと同じ類の代物らしい。大抵そんなものには、映像関連の媒体があったり、値段の馬鹿高い楽器が置いてあったりと一定の役割が付与されているものだ。

だが、この数学科室には何もない。強いて言うならば、黒板に机椅子といった最低限の構成物に、古代数学者の有り難さげな名言が、壁という壁に張り巡らされているだけ。わざわざこんな教室作る必要があったのか。何の用途があるのか。案外闇めいた部分である。

そんな数学科室は全学年の生徒が扱うためか、落書きの量が尋常じゃない。学生特有の汚い下ネタ、〜参上と言う謎の自己紹介…。呆れる位内容が多岐に渡っていた。そのせいか僕が机を汚しても何の問題もない様に感じた。集団心理とは恐ろしい物だ。

とは言ったものの、別に書きたいことも無かった。真っ当に落書きをせずに授業を受けるという発想も無かった。結局、偶然目に留まった

「授業だるすぎ」

という女子特有の丸っこい字の稚拙な書き込みに対し、

「同感、デブハゲ教師辞めちまえ」

と続いてみた。人のことを稚拙という割に、なんて幼いコメントだろう。そして授業を終え、僕は用途不明な空間から脱出した。

翌週。再び僕は数学科室に舞い戻ってきた。定位置に座り、まず黒板に見向きもせず机に視線を向ける。まさかだ。先日の僕のコメントに対し、

「わかるわ、教え方下手くそすぎ」

と綴られていた。この言われよう、先生も涙目であろう。でも、そんなのはどうでも良かった。見ず知らずの人と会話が繋がった。その事実に僕はある種の興奮を覚えていた。そして高揚感のままにペンを走らせる。

「本当にな。受験期なのにあんなんが教師で大丈夫なのか?」

そもそも授業を聞いてないだろ、というツッコミは控えてくれ。それは僕が一番分かっていることだ。まあともかく、こうして誰かと話すのは中々気分の良いものだった。顔を見ないから、相手を知らないから話し易いこともある。匿名の利点だ。まだ2回しか会話を交していないものの、僕は彼氏彼女の様な間柄になったと錯覚していた。

が、それも長くは続かない。教師共は割と僕らを見ているものらしく、落書きの件がばれ、呼び出された。こっぴどく叱られた。当然の報いだろう。

そして僕の悲しい筆談は終わりを告げた。短い様で本当に短かった。これは後から知った話だが、あの相手は男だったらしい。クソが。



Copyright © 2016 田ん穂 / 編集: 短編