第161期全作品一覧

# 題名 作者 文字数
1 宵待ち たなかなつみ 754
2 金平糖と僕達 風花 立花 998
3 ひとめみた瞬間に kadotomo 953
4 憧れの幽体離脱 前田沙耶子 1000
5 ねえ、スタン なゆら 1000
6 Death and Alive 池田 瑛 992
7 ××されない化け物 雨砂糖 139
8 銀座・仁坐・寒坐 Gene Yosh (吉田 仁) 1000
9 おら動物になりテェ 美香ちゅー 489
10 人という存在 月見里 姫槊 430
11 スクリャービン 宇加谷 研一郎 1000
12 放っておけない私 岩西 健治 999
13 えび天 わがまま娘 965
14 体内時計 堂那灼風 997
15 夜行船 qbc 1000
16 シューカツが終わるまで 白熊 1000

#1

宵待ち

 客がやってくる。欲しいものは何かと尋ねると、宵待ちで、と答えられる。うちの商品にそんなものがあったかどうか、覚えていない。仕方がないので、店長を呼びに行く。
 店長はゆっくりと店先に顔を出し、またあんたか、と言う。いくら待っても宵は来ないよ。いなくなったままだ。
 客はゆっくりと目を上げる。天井の灯りは煌々とついている。ガラス窓の外側は日射しで明るく照らされている。客は眩しそうにその光を見、目を細める。
 眠れないのだ、と客は言う。宵が来ないと、安心して寝られない。
 宵を手放したのはあんたのほうだろう、と店長が言う。おれは宵がいなくなって清々したね。あれから客足も上がる一方で、儲けも増えた。宵のせいでそれまでは散々だったんだ。あんたがどうのこうの言う筋合いじゃない。
 それでも、と客は言う。おれには宵が必要なんだ。あの深々とした静寂の、あの冷え冷えとした肌触りの、あの暴力的なまでの色合いをもった、完全な宵が。
 待ちたければいくらでも待てばいい、とため息をつきながら店長が言う。それでも、宵は来ないよ。
 手持ち無沙汰にレジまわりを片づけながら、ふたりの話に聞き耳を立てる。宵が一体誰なのかはまったくわからないが、興味は覚えた。
 邪魔をしたね、と言って、客が帰っていく。店長はその後ろ姿を見送りながら、きみももう帰っていいよ、と言う。頷きながらエプロンを外すと、店長は薄く笑った。
 きみには、宵が一体どんなものか、まったくわからないだろうね。
 ジャケットを羽織ってイヤフォンを装着し、つながる相手を探しながら帰り道を歩く。誰宛てというわけではなく、なんとなく言いたくなってみたので、呟いてみる。
 宵待ちで。
 今日も日射しが暑い。気持ちよく汗ばみながら、誰からも反応がないのが気にならないまま、家路を急いだ。


#2

金平糖と僕達

(この作品は削除されました)


#3

ひとめみた瞬間に

ひとめみた瞬間に感じてしまったの
この人が私を長い暗闇の中から救い出してくれる人かもって
手を握るだけで未来も過去も 視ることができ
人の心の中も感じ取れる凄い人

私ね子供にも恵まれて幸せな筈なのに…いつも不安だったの
親にも愛されなかった私の事 主人は愛してくれているの?かって
貴男の手が心地良くって 力が抜けていく気がした
私の苦しみ全部解ってくれたね。嬉しかったよ


僕と出逢って何か感じたみたいだね。僕も助けたいそう思ったんだ
沢山の人を視てきたけど なんて元気で明るい子だと思ったよ
でも親からの愛情が注がれずに大人になったんだね
いつもいつも自分が悪い子だと思っていた
そんなことないのに君の笑顔は可愛いいのにね


私のお母さんの記憶はいつも怒ってる顔ばかりだった
何より辛かったのは泣かれながら怒鳴られた事
褒められた事なんて無かった。何度も叩かれる画像が出てきた
苦しい。苦しいの。
貴男の大きな手を思い出したら
今迄くれた数々の「魔法の言葉」の温かさを思い出したら
会いたくって 息が出来ないの。助けて欲しいの


僕は何も出来なかったね
ただ視る事しかできない君の過去と未来
君に関わる人達の想いを感じて 伝える事しか出来ないんだ
君の心の中に或る閉じられていた箱を開けた。よかれと思って…
でも嫌な過去を思い出させただけだった
今は君の事 愛している人達がいるよ。気付いて欲しい


貴男は何も出来ないそう言ったね。ごめんね。寄りかかり過ぎたね。
でもねつい私思ってしまうの
一人じゃあないって言ってくれたのに!嘘つき!って


君から去ったのは抱きしめてしまったから。唇に触れてしまったから
なぜだろう…君が欲しいって思ってしまったんだ
だから…助けてあげられない。ごめんね 嘘つきだね

僕自身の未来は視ないけど 確信出来る事がひとつだけある

君次第でまた出逢える

僕は傍にいないといけない女の子がいるんだ
きっと好きなんだと思うその子の事を…


私解っていたの。このまま依存していても何も進めないって
それになぜか思ってしまうの…

きっとまた出逢える

私は愛してくれる主人と子供と共に生きていくね
まだ貴男の大きな手と香りを思い出してしまい苦しいけど


君と
貴男と
再び出逢った暁には
二人で行けなかったパンケーキ食べに行こう
きっと凄く美味しいと思うから
いつかその日が来たらね


#4

憧れの幽体離脱

電気を消して雑念を振り払い丹田に意識を集中させ、飛ぶことをイメージする。天井が徐々に近付いてきて私は21グラムになる。さあ今日こそ外へ、とそのまま上昇を続けーーごん、と音を立てて天井に頭をぶつける。……ああ今日も失敗。私は狭い部屋の中を飛び回る。どうしても部屋の外に出ることができない。幽体離脱研究を始めて6日目のことだった。
次の日恋人の司くんが泊まりに来た。幽体離脱のことを話すと俺もやってみたいと言ってきたのだ。私がやり方のコツを伝授すると司くんは真剣にメモを取りイメトレをしていた。夜。電気を消して手を繋ぎ、いくよ、と囁いた。ごくりと唾を飲み込む音がした。いつも通りの手順を踏むと案外簡単に、二人同時にふわっと離脱した。すごい、と司くんが言う。私にとって大事なのはここから。手を繋いだまま浮上を続け、ついに天井にぶつかる所まで来た。思わずぐっと目を瞑ると風が吹き抜けるような不思議な感覚に襲われ、気が付くと私たちは夜空を飛んでいた。「成功だ!」「やったあ!」嬉しくて二人で両手を握り合い、『天空の城ラピュタ』のワンシーンのようにくるくる回った。空から見下ろす街は幻想的だ。遠くには東京タワーが、新宿が、スカイツリーが見える。しばらく空の散歩を楽しんでいると、自分達以外にも幽体離脱をしている人がちらほら居ることに気付く。みんな二人組だ。そうか、「恋人と一緒じゃなきゃ幽体離脱はできないんだ」司くんが言った。よく考えてみれば当たり前かもしれない。魂が肉体を離れるのだから。みんなみんな楽しそうな、幸せな顔をしていた。私は司くんを見る。司くんも幸せな顔だ。
空が白み始めた。夜明けが近い。楽しかった空中散歩もお終い。みんな名残惜しそうに帰っていく。「私たちも」「戻ろうか」家に向かう途中、あるアパートの部屋の前に立ち尽くす男女を見た。二人はしばらく見つめ合った後、意を決したように上りつつある太陽に向かって飛び始めた。すれ違った彼らの顔はとても満ち足りていた。
家に帰ると私と司くんが眠っていた。私たちはそれぞれの肉体に戻っていく。「楽しかったね」「気持ちよかった」「またやろうね」興奮しながら話し合い、そのうち疲れて眠ってしまった。
何週間か後、太陽に向かって行った二人の居たアパートの前を通った。彼らの部屋は「空室」となっていた。まだ飛び続けているのだろうか。でも、二人は今もきっととても幸せだろう。


#5

ねえ、スタン

ねえ、スタン、水割りもう一杯ちょうだい、ちょっと薄いの。スタンはいいよね、そのこじんまりしてんのをただ振ってりゃいいんだから。知ってる。ただ振るだけじゃないってことは知ってる。そこにすごい技術が必要なんだってこと、ちゃんと知っているからそれは言わないで。あえて言ってるわけ。スタンが無表情だから、からかってみたくなっただけ。オーケー。そう、まいってる。色々あった。ちょっとやけになってる。アリクイだった。夫がね。そりゃ薄々わかってた。あたしが作る料理もろくに食べずに生のアリを舐めるように見てたし、舌が異様に長くて細いし、毛むくじゃらだし、産まれた子どもがアリクイだったんだから。アリクイに囲まれる日々、わかる?スタン。夫なんてアリクイってことをもう隠してないからね、開き直ってる。いやんなってね、実家に戻ります、って手紙置いて戻ったの。そしたら実家の地下にね、いや、昔から地下があるってことは知ってたんだけど、入るなって先生に言われてて、あ、先生ってのは実家に住んでるアリクイのことだけど。とにかく地下にはじめて入ってみたのよ、ちょっとした冒険心。ちょうど誰もいなくて、することなくてすごく暇だったから。そしたら、池があってね、なんか暑いし、泳ごうと思ったわけ。服脱いで、浸かったらなんか生暖かいのね。そうか、わかった、温泉だ、天然の温泉が家の地下にあったんだ、なんだ、水臭いなあ、言ってくれればいいのに、毎日温泉生活だったのにまったく水臭い水臭い、臭い、臭いなあ、なんか臭いのね、水の臭さじゃなく、獣臭、獣というよりも臓物?そう思うともう臓物にしか思えない、薄暗くってよく見えないけど、なんか漂ってるからそれを手に取ってみると、生首よ。まじで?ってなるわよね。まあ生首って言うけど、生きてないから、首か、首というより首から上の部分か、とか考えてたらその部分、見覚えがあるわけ。誰?って考えたら、おばあちゃん。アリクイのおばあちゃん、会いたかったわ、50日前からいなくなってたけど、こんなところにいたんだね、皮膚もこんなにドロドロになって、柔らかいこと柔らかいこと、まるでクリーム、上質な油でできたクリームよ、お肌にきっといいに違いない。そうかおばあちゃん、私のために上質なクリームに変身してくれたのね、ちょっと臭うけどありがとう、感謝。ねえ、スタン、アリの水割り、今度は濃いの、いただけるかしら?


#6

Death and Alive

 路上に転がっている死体に蠅が群がっている。誰もそれを片付けたりはしない。なぜならば、その死体を片付けても、すぐに別の死体がそこに転がり込んでくるだけだからだ。
 そんな町に滞在して2日目になる。外国人専用のホテルは文明が残っているようで、蛇口を捻れば水が出る。ホテルの1階のレストランで朝食。スクランブルエッグにケチャップをかけていた時だった。突然、レストランが粉々になった。

 そんな夢を見た。朝だった。起きたのは相変わらずのホテル。妙にリアルな夢だったと顔を洗いながら思う。爆風で飛んできた煉瓦か何かが自分の頭に直撃し、自分の脳みそがスクランブルエッグのようになった感触が後頭部に残っている。予知夢という言葉がある。朝飯は、ゲンを担いで外で食べることにした。
 ホテルを出て、2ブロックほど歩いたところで、後方から爆発音が響いた。後ろを振り返ると、ホテルの場所から埃が舞い上がり、路上へと砂嵐のように広がってきていた。

 正夢って本当にあるのだと路上脇で驚いていたら、俺の前に車が急停車した。車と肩がぶつかるスレスレだった。車の運転席の窓がゆっくりと開き、そこから拳銃が出てきた。銃口は俺に向けられている。「Hand Up」と聞こえた。

 銃を向けられたのは初めてだったが、意外と俺は冷静であった。どちらの手を挙げるように指示されているのか、俺は考えあぐねていたからだ。「Hands Up」と解釈して、両手を挙げればよいのだろうか。それとも、脇に拳銃でも吊るしていないかをこの男は確認したいのだろうか?
 俺の結論が出る前に、俺の胸に2発、銃弾が飛んできた。俺は、路上に転がる死体の1つとなった。

 そんな夢を見た。朝だった。起きたのは相変わらずのホテル。妙にリアルな夢だったと顔を洗いながら思う。1発の銃弾は体を貫通せず、体内に残っている感覚が残っていた。俺は急いでホテルを出て、先ほどとは逆方向の道へと進む。衛生的に問題のないパン屋にたどり着く直前だった。反対方向から歩いてきた男が懐からナイフを俺に突きつける。
「財布を出せ」
「時計と指輪を外せ」
「靴を脱げ」
「ズボンを脱げ」
「What ?」と俺は問い返した。
「黙って言うことを聞け」

 俺は文字通り、身包み剥がされた。男は俺から奪った物を抱えて逃げていった。俺は股間を両手で隠し、ホテルへと走る。生きている。それ以外、もうどうでも良かった。


#7

××されない化け物

私は、化け物なのかも知れない。
私が、深い悲しみにくれると、雪が降る。
初めて雪を降らしたのは、小学生の時だった。
片思いの人にフラれたショックで、雪が降った。
それからというもの、季節に関係無く、雪を降らした。

化け物は、愛され無い。
化け物だから、愛され無い。

誰か、愛してくれないかな?


#8

銀座・仁坐・寒坐

銀座の冬は気温が普通の都市と違い、夜が温かい。これは会食を終え、クラブ活動が活発になる10時から午前0時の人口密度の上昇によるもので、おいしいお酒が入って皆の体温も上昇することに起因するようである。閉店時間を過ぎて、お店を後にするが、お熱いカップルは時間の許す限り、アフターのバーにて別れを惜しむのであります。わたくし吉田は、明るくなるまで飲み明かした経験もありますが、さっさと帰宅して午前5時集合の銀座の街で運送作業の立ち合いをしたことがございました。12月のクリスマスのパーテイシーズン、まだまだにぎやかな紳士と淑女の人通りがある早朝、銀座に戻りますと、午前6時になっても7時になっても太陽はビルに遮られ、なかなか気温を上げることができない。その上、どこからともなく寒い風がビルの間を吹きまくるのである。これがまた寒さを増します。天気は快晴ですが、この気温の変化は銀座の特異な気候でありました。
銀座の町並みは戦前から外堀、運河に区切られた水の街でありました、それを一変させたのが、東京オリンピックの首都高速を通すために東京湾に流れ込む川以外、すべて埋め立ててしまう突貫工事をと土地買収を避けたことによるもの。その際に施設した下水道がかなり老朽化しているようです。高さ制限のビルは建築基準の見直しで、かなり階数も増えて凸凹状態、昨年くい打ちの問題もありましたが、地下は道路の下も駐車場や地下街を作っている大通り以外は上水道、ガス、電気の共同溝により整備されているものの、下水道はもともと堀や川にに流していたものを無理やり埋めたようなもの、この24時間動き続ける街の排水を自然の雨水を処理するには限界を超えているようであります。そのため、街を歩くとかなり異様な香りが漂っています。何とか花の香りに変えてもらえないか、恋の物語を語るには清々しいインフラを整備していただきたいものであります。
華といえば毎年1月初旬、銀座のクラブのママたちのパレードがございます。強引な客引きを防止して安全安心な社交の街を守りましょうと、横断幕を手にメインストリートを練り歩きます。公共放送のニュースでも毎年取り上げられ、やはり銀座、新宿や、渋谷ではない、目を見張るきれいどころが集合するので、なぜか普段目にできないこれぞ淑女という華がこんなに咲き誇る真冬のフラワーショーでニュースを見てドキドキするのは私だけでしょうか。


#9

おら動物になりテェ

就職しないと人間ジャナイから就活ヲセキニンカンだけでノリキって20年通ったこの職場。灰色灰色⁉︎

上司が怒ってる。誰に?俺に?言葉じゃなくて鳴き声ダネフシギダネ
「ゲットだぜ!」

両親は云う。
「辛いのはみんな一緒」
みんなの話ジャナクテおれの話をしてるんダヨ。
30代も後半になってこんな子供っぽいコトイッテ御免なさい。
でも大人なんて年取ったコドモって言葉もあるじゃないじゃない?

人生がね、面白くないの。美味しいモノも食べたらなくなるし、働き始めたら友達もお金と異性のハナシしかしないの。

常識人の皮被ったおれニハ人間向いてないみたい。あそこも剥いてない。だからコドモっぽいノカモ。

ついでに短編って言葉にも皮被らせて遺書つくっちゃった的な。
ミンナしラナイだろうからおじさん教えるね。死にたい理由に面白くないっていうのは十分で尊いんだよ。
辛いことがあった冬の日、タンクトップで外を歩いたら乳首ギンギンでね、初めておれ生きてるんだなって思えた。

こうなる前に気づいて欲しい。人生を責任感で送る惨めさに。やりたいことやっちゃいけないって勝手に自分で決めてる惨めさに。

合掌


#10

人という存在

人との巡り合わせは偶然じゃなかった。
いつも、いつでも人との出会いは必然なのだと実感した。
それは、つい最近のことだった。

小学校からずっと一緒だった男の子に「好きなんだ」と言われた。
何が起こったのか頭が理解するのに時間がかかったぐらい驚いた。
今まで友達として接していた子から突然告白されたのだ。
やっと理解した時には顔は熱く真っ赤になっていただろう。
そう、リンゴみたいに。
きっと、女子みたいに男子も告白は緊張するんだろうな。そう考えたのもつかの間、「付き合ってほしい」と言われた。
さらに赤面。

が、気はないので「ごめん…。」と謝りその日は帰った。
後日「これからも友達としてよろしくな」と言われ終止符を打たれた。


自分には縁のない事だと思っていたが人に想いを寄せ、告白して、両思いなんてみにはなかなか無いのだと身近に感じた。
自分もいつか恋をして結婚して生涯を終わるのか、はたまた結婚せずに終わるのか。
自分で自分の将来が楽しみだ。

人と人との縁は絶対に偶然なんかではないのだ。


#11

スクリャービン

疲れはてていた大介にとって、カフェは夜のオアシスであった。一杯の珈琲と、足をゆっくりとのばせるソファ席があればよかった。音楽までこだわるつもりもなかった。大介は望みどおりの熱い珈琲がたっぷりとはいったマグカップを手に、沈みゆくソファに身をまかせて心地よい休息のひとときに満足しているのであった。

大介はなにも考えていなかった。なにかを考えなければいけないという義務から解き放たれ、自分は今、砂漠のまんなかで水をジャブジャブ浴びているかのごとく、時間を無駄に使っているのだ、という実感がまもなく大介を包みこみ、大介は心を無にするのである。

そのとき大介の真横のソファに一組の客が座った。女性二人組なのだが、最初、大介は相手にたいしてまったく興味をもたなかった。

喫茶去という言葉が禅語にある。大介はこの言葉が好きだった。一杯の茶の前で、人はみな平等である。どんな金持ち、どんな貧乏人、どんな美男美女、或いはその反対であっても関係がない。茶を飲む人同士、互いのやすらぎの時間に幸あれ!

ところが大介は不意に胸に嵐が吹くのを感じた。それはネットリしていて、深い森を歩いている感覚に大介を導くのである。無我の境地にいたはずの大介は、いつのまにか体を巨大な蟷螂に舐めまわされていた。その粘液のネットリしたものが大介の体の自由を奪ったかと思うと、粘液はいつしか一匹の大蛇となって、大介の股間にからみついていくのだ。視線の先に巨大な蟷螂がいて、体には大蛇。おまけに周囲は熱帯雨林である。

ハッと我にかえると、大介の隣には20代後半の女性たちがいて、真横の女性から凄まじい腋の臭いがしているのであった。その臭いの主が、年をとった宿無しであったなら大介は無我に戻れたであろう。喫茶去の精神で律せたはずであった。ところが女性は大介からみて美しかったのである。

店内は現代風のカフェであるにもかかわらず、アート・ブレイキーのJAZZがかかっていた。強烈な腋臭とブレイキー楽団の咆哮があっていると大介は思って、なんだか可笑しくなった。どこか静かなバーで、ウォッカを飲みながらスクリャービンのピアノソナタを聴きたくなった。そして女がほしくなった。

大介はすっかり、ただの人間らしい人間となっていて、すっくと立ちあがると夜の歓楽街に向かって歩いていった。頭のなかでスクリャービンを鳴らし、喉はウオッカを求め、体はカッと熱くなっていた。


#12

放っておけない私

 私は俺の死に泣いた。
 俺が欄干の上に立っている。あぶない、と思った私はきっと、とっさに目をつぶった。顔に水しぶきがぶつかろうとして、同時に押しつぶされた。頭が下にあって、引力がこんなにも強力だと今さら知った。浅瀬のせいか水の抵抗少なく、川底にぶつかり砕ける顔であろう塊。体が三分の一ほどに縮む勢いのある。骨の鳴く。水に溶ける悲鳴。
 私はこのとき既に死んでいたらしい。人々が集まって、橋の上から、飛び降りだ、飛び降りだ、と騒いでいる。誰かの呼んだ救急のサイレンと警察のサイレンが響く中。こりゃぁ、即死ですわ、とマスクの救急隊員がモスモス言う。だから、私は俺が死んでいることを今更ながら知った。どうやら、俺だった私は自殺したらしい。マスクの救急隊員とマスクでない救急隊員が検査キットで何やら調べてから、私は川岸へと運ばれた。テレビで観たことのあるブルーシートに四方が覆われている。

 自殺の葬儀は初めてである。焼香の回数はバラバラ。上辺だけ泣いている人の集まり。本当は泣いていないんだ、ということは見ているだけで分かったから、両親の方はなるべく見ないから。辛いから。死ぬ前とあまり変わらない感覚。死ぬ前の俺は随分と考えていて、飛び降りた橋で浮遊霊にでもなるのかな、と死んだ私は考えている。顔は生前を真似て整えられてはいたが、焼かれても別に熱くはなかったし、残った骨だけでも浮遊霊にはならなくて済んだと私は考えていたい。全てがはじめてのことだから、慌ただしかったことは確か。肉体がないので言葉が上手く伝わらない。もどかしさ。

 半年くらい経つ。私は、俺が死んだあの橋へ行った。そして、なんだか昨日のことのような時間を待つ。天気が晴れ。誰か歩いてきたので憑けるかなと、その誰かの肩をつかもうとしたけれど上手くはいかなかった。何かコツのようなものでもあるのかしら。呪文とか時間帯とかで違ってくるのかも知れない。夜ためしてみよう。私は考えていたい。またあとで、何回かためそうと決めた矢先、橋にいた憑けなかった誰かも本当は死んでいたと分かって、お互い照れくさく会釈を交わした。その際、あとで憑き方教えたるね、と耳打ちされ、私は、お願いしますたと言った。私は別に色々な場所へ遊びに行けるけれど、俺はここにとどまっていたいと思う。俺が浮遊霊になったことを知って、私は放っておけなくなった。
(短編読者の皆様、さようなら)


#13

えび天

隣でうどんを啜る彼女は一体何を考えているのだろう。
こうやって、合コンの帰りにラーメン屋ではなく近所のうどん屋で待ち合わせるのもいつものことだし、当然合コンで知らない振りするのもいつものこと。
そもそも合コンに彼女が欲しくて行っているわけではないし、多分彼女も彼氏が欲しくて行っているわけではない。では、なんのために頻繁に合コンという名の集まりに出かけていくのか。
そんな俺達を見て、お互い好きあっているのにそうじゃないみたいに振舞って、馬鹿じゃないの? と言った友人の呆れ顔が頭をよぎる。
馬鹿は過去の自分以外ありえない、と心の中で大きな溜め息が出る。
こうやって合コンの帰りにうどん屋によっている間はまだいいが、こんなくだらないことを続けていればいずれ彼女は誰かに食われてしまうだろうことは明白だ。
彼女が俺ではない誰か別の男に抱かれる日を想像する。その時は、同意の上、ということになるのか。ま、合コンの帰りなんだから、割り切ってそういうこともあるだろう。
そう思って、うどんに乗っかった汁をたくさん吸ってぽたぽたになったえび天を持ち上げた。
ベチャッ、と音を立てて衣は再び汁の中に戻っていく。箸に残ったのは衣を失ったえびだけだ。確かに合意の上だと、彼女もすんなり着ているものを脱いでしまうのだろう、などとえびにちょっとだけ彼女を重ねてから、俺はえびを口に入れた。
隣では、食べる気のない彼女がえび天を突いてチビチビと衣を破りながら口に運んでいた。
もし同意の上ではなく、何かのはずみで彼女が別の男に持ち帰られたら、あんな風にジワジワと迫られて、ジリジリと着ているものを剥ぎ取られていく感じになるのだろか。少しずつ甚振られるかのように。そして最後は……。
そこまで考えて、俺は身震いした。嫌な汗が背中を流れていく。
「どうしたの?」とうどんを1本つまみ上げた彼女は、俺に聞いた。「そのえび天、食べないなら頂戴」と、俺は直前まで考えていた嫌な想像を飲み下すように彼女の丼からふやけたえび天を奪い、自分の口なのかに流し込む。でも、俺ではない誰かに無理矢理抱かれる彼女の影は消えなかった。
彼女が「えび天、そんなに好きだっけ?」と一気に食べきった俺を不思議そうに見ながら言う。その瞳の中に映る自分が小さくて、不安になる。

「なぁ、いつまでこんなこと続ける気?」


#14

体内時計

 脳内にけたたましいアラーム音が響く。午前6時半きっかりにセットされたそれは俺にとって最も不快な音で俺を叩き起こす。意識が覚醒するにつれ音は止んでゆく。
 余裕を持って朝食をとり調整された通勤時間に従って職場へ赴く。今では画一的な通勤ラッシュというものは存在しない。いわゆる社会人たちはそれぞれの体内時計に従い職種ごとに割り当てられた時間割で生きる。例えば俺たちは午前0時頃にはたいてい眠くなり6時間半の睡眠時間を与えられ午前9時に出勤する。リアルタイム通信で管理された体内時計は俺たちの意識状態と位置情報をモニターし適切な干渉を行う。今や時間外労働は筒抜けとなり前時代的な規則違反の労働環境は一掃された。もはやタイムカードは必要なく、俺たちはただそこにいて覚醒しているという事実を以て就業時間を証明する。
 席に着けば隣の同僚が今朝も強力なエナジードリンクを空けている。彼女は自称するところのショートスリーパーで、6時間半の睡眠では却って頭が重くなるのだそうだ。余分なカフェイン摂取が常態化した現状は哀れですらある。
 誰のための制度なのだろう、ふと考える。流入し続ける安価な労働力、対抗して自らを投げ売りせざるを得なくなった多くの日本人労働者。止まらない労働市場のダンピングに移民たちが音を上げ始めた頃、満を持してもたらされた政府による救済。それがこの体内時計だったはずだ。睡眠時間を確保し労働時間を管理する。あらゆる不正競争は排除され労働者の生命が保たれる。体内時計を得ることが大人になるということ、つまり社会に出るということを意味し始めてもう10年が経つ。
「やってられませんよねえ」
 俺は卓上カレンダーにチェックを入れながら隣に話しかける。働き始めた時点で負け、そんな言葉が返ってくる。しかし続けて「でももう少しマシなところに転職します」
 今の労働市場は白すぎる。どこに行っても労働基準は完璧、休日を除けば生活リズムの乱れすら生まれない。
「私ね、こないだ知人にいい仕事口を紹介されたんです」
 だから彼女のような存在が生まれてくる。自ら日陰を探し求め、あるいは作り出す者たち。
「じゃあもうインストールを?」
 ええ、彼女は答える。今月末で退職する手はずだという。体内時計をごまかす違法パッチが出回り始めたのはいつだったか。今も彼女の頭に鳴り続けるアラームは今月限りで役目を終えるということだった。


#15

夜行船

(この作品は削除されました)


#16

シューカツが終わるまで

 牛の形になぞらえられる県の、ちょうど下腹部の所にある温泉地に来た。海を見下ろすように、急勾配の坂にホテルが並んでいた。看板は古く、錆びたり欠けたりしていた。しかし、古くても高級ホテルで、昭和のたたずまいだった。
 以前に僕の授業を聴講していたこの子と、二人で来た。三年生になった彼女は、インターンシップなど、就職活動が始まろうとしていた。就職が決まるまでは、会えなくなるよと連絡があった。第一希望に見事通るとか、一番に決まることはないだろうが、内定を取り損ねることもないだろう。就職が決まるのは、八月から九月頃になるはずだ。
「ああ、わかってるよ、頑張れ」と、返事をした。三十を迎えても非常勤講師に甘んじている僕は、彼女が就職を決めれば、二十二歳のこの子に先を越されてしまう。そんな気持ちになった。年が上というだけで、後ろめたさがあった。彼女は非常勤講師の収入を知らない。
 期末の試験期間を終えた大学は、春休みに入った。頑張れと言った舌の根も乾かぬうちに、温泉旅行に誘った。一泊分の用意を持って、自分の古い車で連れてきた。受付で二人の名前を書いて、エレベーターに乗り、和室の一室に案内された。平日で、客の姿はほとんどなかった。温泉も貸し切りだった。高くはないが、会席料理も食べた。

 部屋に敷かれた布団の上で、彼女の大腿部を枕にして横になる。食後にもう一度、温泉に入ってきた彼女は、くしで髪をなでている。体には温泉の熱が残っている。
 目をつむる。「寝ようか」と、僕の耳元で言う。頭を優しくどけて、部屋の電気を消しに行く。入り口の所だけ電気を残す。窓の外は月の光で明るい。僕は横になったまま、布団をめくって中に入る。彼女も続いて、僕の体の上に乗るように布団の間に入ってくる。部屋の電気を落としても、月明かりで顔が見える。僕の首に両腕を伸ばす。浴衣の袖が首筋を触る。柔らかい胸があたる。頭に右手を回して、頬を重ねる。彼女の石鹸の匂いを吸い込む。
「離れたくない」
 背中に回した左手を、浴衣の上から下着の紐に沿わせる。性格は子供だが、丸くて肉付きのいい背中だ。右手を下へ持っていく。指先が下着の縁に触れる。足を浴衣から出して絡ませる。裾がめくれ上がり、布一枚を隔てて、お互いにこすりあう。
 両手で強く背中を抱いて、頬にキスをした。耳元で「する?」と彼女は訊いた。
「シューカツが終わるまでは、しない」と僕は答えた。


編集: 短編