第161期 #4

憧れの幽体離脱

電気を消して雑念を振り払い丹田に意識を集中させ、飛ぶことをイメージする。天井が徐々に近付いてきて私は21グラムになる。さあ今日こそ外へ、とそのまま上昇を続けーーごん、と音を立てて天井に頭をぶつける。……ああ今日も失敗。私は狭い部屋の中を飛び回る。どうしても部屋の外に出ることができない。幽体離脱研究を始めて6日目のことだった。
次の日恋人の司くんが泊まりに来た。幽体離脱のことを話すと俺もやってみたいと言ってきたのだ。私がやり方のコツを伝授すると司くんは真剣にメモを取りイメトレをしていた。夜。電気を消して手を繋ぎ、いくよ、と囁いた。ごくりと唾を飲み込む音がした。いつも通りの手順を踏むと案外簡単に、二人同時にふわっと離脱した。すごい、と司くんが言う。私にとって大事なのはここから。手を繋いだまま浮上を続け、ついに天井にぶつかる所まで来た。思わずぐっと目を瞑ると風が吹き抜けるような不思議な感覚に襲われ、気が付くと私たちは夜空を飛んでいた。「成功だ!」「やったあ!」嬉しくて二人で両手を握り合い、『天空の城ラピュタ』のワンシーンのようにくるくる回った。空から見下ろす街は幻想的だ。遠くには東京タワーが、新宿が、スカイツリーが見える。しばらく空の散歩を楽しんでいると、自分達以外にも幽体離脱をしている人がちらほら居ることに気付く。みんな二人組だ。そうか、「恋人と一緒じゃなきゃ幽体離脱はできないんだ」司くんが言った。よく考えてみれば当たり前かもしれない。魂が肉体を離れるのだから。みんなみんな楽しそうな、幸せな顔をしていた。私は司くんを見る。司くんも幸せな顔だ。
空が白み始めた。夜明けが近い。楽しかった空中散歩もお終い。みんな名残惜しそうに帰っていく。「私たちも」「戻ろうか」家に向かう途中、あるアパートの部屋の前に立ち尽くす男女を見た。二人はしばらく見つめ合った後、意を決したように上りつつある太陽に向かって飛び始めた。すれ違った彼らの顔はとても満ち足りていた。
家に帰ると私と司くんが眠っていた。私たちはそれぞれの肉体に戻っていく。「楽しかったね」「気持ちよかった」「またやろうね」興奮しながら話し合い、そのうち疲れて眠ってしまった。
何週間か後、太陽に向かって行った二人の居たアパートの前を通った。彼らの部屋は「空室」となっていた。まだ飛び続けているのだろうか。でも、二人は今もきっととても幸せだろう。



Copyright © 2016 前田沙耶子 / 編集: 短編