第161期 #11

スクリャービン

疲れはてていた大介にとって、カフェは夜のオアシスであった。一杯の珈琲と、足をゆっくりとのばせるソファ席があればよかった。音楽までこだわるつもりもなかった。大介は望みどおりの熱い珈琲がたっぷりとはいったマグカップを手に、沈みゆくソファに身をまかせて心地よい休息のひとときに満足しているのであった。

大介はなにも考えていなかった。なにかを考えなければいけないという義務から解き放たれ、自分は今、砂漠のまんなかで水をジャブジャブ浴びているかのごとく、時間を無駄に使っているのだ、という実感がまもなく大介を包みこみ、大介は心を無にするのである。

そのとき大介の真横のソファに一組の客が座った。女性二人組なのだが、最初、大介は相手にたいしてまったく興味をもたなかった。

喫茶去という言葉が禅語にある。大介はこの言葉が好きだった。一杯の茶の前で、人はみな平等である。どんな金持ち、どんな貧乏人、どんな美男美女、或いはその反対であっても関係がない。茶を飲む人同士、互いのやすらぎの時間に幸あれ!

ところが大介は不意に胸に嵐が吹くのを感じた。それはネットリしていて、深い森を歩いている感覚に大介を導くのである。無我の境地にいたはずの大介は、いつのまにか体を巨大な蟷螂に舐めまわされていた。その粘液のネットリしたものが大介の体の自由を奪ったかと思うと、粘液はいつしか一匹の大蛇となって、大介の股間にからみついていくのだ。視線の先に巨大な蟷螂がいて、体には大蛇。おまけに周囲は熱帯雨林である。

ハッと我にかえると、大介の隣には20代後半の女性たちがいて、真横の女性から凄まじい腋の臭いがしているのであった。その臭いの主が、年をとった宿無しであったなら大介は無我に戻れたであろう。喫茶去の精神で律せたはずであった。ところが女性は大介からみて美しかったのである。

店内は現代風のカフェであるにもかかわらず、アート・ブレイキーのJAZZがかかっていた。強烈な腋臭とブレイキー楽団の咆哮があっていると大介は思って、なんだか可笑しくなった。どこか静かなバーで、ウォッカを飲みながらスクリャービンのピアノソナタを聴きたくなった。そして女がほしくなった。

大介はすっかり、ただの人間らしい人間となっていて、すっくと立ちあがると夜の歓楽街に向かって歩いていった。頭のなかでスクリャービンを鳴らし、喉はウオッカを求め、体はカッと熱くなっていた。



Copyright © 2016 宇加谷 研一郎 / 編集: 短編