第160期 #4

いいひと

わたし、いい人だと言われるのが嫌いなんです

開口一番にそう言い放った。その言葉を吐き出したのは自分の正面に座る小綺麗な女性で、いずれ私の妻になるかもしれない人物なのであったがどうにもこちらを見ようとしてくれない。
「何故、嫌いなのですか」
「だって、わたしが誰かのためを思っていい人役をやったところで誰もわたしにとってのいい人にはなってくれないのです」
なるほど、と私はひとつ頷く。彼女は自分ばっかり人のためを思うのに疲れてしまったのか
「ならば私があなたのいい人になることは出来ないのでしょうか」
「え」
カコン、と彼女の声と共に鹿威しが音を立てる
「私が、あなたの為に、あなたの喜ぶ事をすれば、あなたにとってのいい人になれると思うのですが」
「そんな、申し訳ないです」
「夫婦となれば、申し訳なさも感じなくなるでしょう」
「いえ、いえ、そんな」
彼女はやっと私の顔を見てくれた
綺麗な瞳だ
私はこの瞳に恋をしたのだ。この瞳が私を写してくれるのならなんだってできる
だから、町一番の色男、墨色の御髪の君だと言われた私は彼女を選んだのだ
しかし、おかしいな。彼女の瞳にどことなく違和感を感じる
「あの」
「はい?何でしょう」
「あなたは誰を見ているのですか」
「え?」
「あなたの瞳に写映っているのは、誰なのですか」
「それは、」
ああ解った、彼女の瞳に違和感を感じたのではない
彼女の瞳に見知らぬ男が映っているのだ
「あなた様です」
ああそうか、私か
私?
「あなた様は、鏡をご覧になられることはありますでしょうか」
「いえ、あなたが私の髪を整えてくれるから、もう何年も見ておりません」
私の言葉に合わせて彼女の瞳の中の男が口を開く
ああそうか、私なのだ
「わたしのために、いい人であってくれたのですね」
「そう、なのかもしれません」
「別れたいのですか」
「ええ、申し訳ございません」
私は一度宙を仰ぐ。そうか、すまないことをした
「きみは、人を外見で判断する人でなしだ」
私が笑ってそう言うと、彼女は今日初めての笑顔を見せた
「ありがとう」

その美しい瞳に写るのは禿と白髪のみすぼらしい私だった



Copyright © 2016 高田千里 / 編集: 短編