第16期 #13
老人ホームのゆったりとした残酷なくらい遅すぎる時間の流れの中で私は思う。
「あとは死ぬだけか。」
老人ホームの食事は不味い。
「銀ちゃん。死ぬのは怖くないかい?」
銀ちゃんは、デザートのヨーグルトを食べている。少し考えてから銀ちゃんは言った。
「お迎えは、もう来ているさ。」
「なぁおいら、こんな所で死ぬの嫌だよ。」
「じゃあ抜け出せばいいじゃねぇかよ。」
とぼとぼと部屋を抜け出すと廊下にでる。車椅子に乗っているウメさんに出会うと、ビニール袋を足に乗せたまま車椅子を動かしていた。ビニール袋の中には蜜柑がいっぱい詰まっている。
ウメさんは笑いながらオレンジ色に輝く蜜柑を袋から取り出すと、ウメさんは差し出してくる。
蜜柑を貰い小躍りした。遠い昔に忘れ去られた盆踊りのリズムだ。汗と笛と太鼓と林檎飴。全てが一体となって、同じ時間を皆と共に刻む。軽快な笛の音につられて思わず輪の中に身を投じると、開放される。林檎飴を持ったまま。
メインエントランスを目の前に立ちすくんだ。これから自分はどこへ行こうというのか。考えていなかったことに今更気がついて、しばし玄関脇のソファーで考える雀の鳴き声がすると、顔を入り口の外に向ける。その向こうには山が。山が赤から黄色、そしてその上にはまっさらな紺碧の空。足をもそもそと動かすと、身体は自然とそちらに向かった。
風が吹きすさむ中、浴衣の裾をおさえながら、あの山を目指す。老人ホームから抜け出て道路の脇に立つと、純白な老人ホームの全体像が見え隠れする。
「こんな所で、死んでたまるか!」
大きい声で言った。
木々が揺らめいた。生命のざわめきを聞き、足は山へと向かう。
山林の途中で大きな木を見つけた。手で木々に触れると、そこから撓り、折れてしまいそうな感覚が伝わってくる。
「君はもう、何年生きているんだね・・・」
黄色や赤に彩られた葉をなびかせて堂々と大地に根をおろす巨大な幹に尋ねると、枝を揺するばかり。
「つかれた。」
その場に座ると、まるで山に完全包囲された気分になる。山の外側から見た景色とは違い、内側から見た景色は黒さが増し、またそれはそれで美しいものである。頬に当たる風と、鼻腔をくすぐる土の匂いを感じながら過ごした。もう何時間、その場所に居るのだろうか。山の中は何かの動物のようにうねうねと動いた。横に置かれているポテトチップの袋を手に持つと。
「飽きた。」
そう言って、また歩き出した。