第159期 #3

彼の娘のユートピア

「汚い話、していい?」
「……」
「きれいな話でもあるんだけど」
「……」
「とりあえず出発点は汚い話になっちゃうから一応は汚い話ってことに」
「うるせえ!言えよ!そしてスッキリして黙れ!」
「耳垢のない世界に行きたいなって」
俺はもうダメかも知れない。受験を控えていた。とても大事な時期だ。そんな時に妹が耳垢のない世界に行きたがっている。
「あたし耳垢が気になっちゃうとほじりたくて仕方なくなる。で、ほじってみるんだけど取れない。ここだよって感覚があるからなんとかほじくり出そうとするんだけど終いには血が出ちゃう」
「なに言ってんの?」
「だからね耳かき棒の先に小型カメラなんかをつけてみたらどうかな?幽霊には視認できない怖さがあるじゃない?それと同じ怖さが耳垢にもある」
「ねえよ」
「カメラで耳垢がないと知ればあたしは解放されるし、あると分かれば意地でもほじくり出すよ。けれど今のあたしには棒にカメラを搭載する技術がない。これは由々しき事態です」
「もういいか?」
「ならいっそ耳垢なんて存在しない世界があればいいのにって思ったの。すごく素敵じゃない?まるでシチリアの海岸沿いに佇む白い家の窓辺に置いたカゴに積み重なるレモン越しに覗く絶景から潮風を感じる爽やかさ」
「今すぐ消えろ!」
「でもね、それはそれで寂しい。秋になればその孤独に耐えられない。想像して。意義を失ってしまった耳かき棒。普段どこにやったかわからなくてほじりたいのに無いって状況にあたしは発狂してデビルリバースみたいになっちゃってたのに意義を失った途端きっと耳かき棒はその存在をこれでもかと主張してくる。でももういいんだよ、だってこの世には耳垢が無いんだから。耳かき棒は尻のボンボンを揺らして言うの。『悔しい』」
俺も悔しい。俺もお前のいない世界に行きたい。
「お兄ちゃん、あたしね、これはもう恋なんじゃないかって。耳垢がうだつの上がらない、社会から抹殺されても、他の生きとし生けるものが見向きもしない無駄でしかないダメ野郎だったとしてもあたしの母性ってやつが彼を愛したがってる。とめらんないよ。この恋は。だからあたしはこれからも耳垢を消し去りたい気持ちだけは捨てれないけれど一方で耳垢を愛したがってるあたしを否定しないで生きてく。あぁあほじりてぇええ」
どうかお願いです。誰か耳かき棒に小型カメラを付けてやってくれ。



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