第158期 #5
僕は罪を犯した。
それもただの犯罪ではない。ひとごろし、殺人だ。つい3日前、僕は自分の目の前で、僕の意志によって他人の命が消えるのを見た。
事の発端はよくあることだった。決してアクションムービーや時代劇のように、正義だのなんだののためではない。誰しも触れられたくないことに執拗に介入されると嫌気がさすだろう。奴は、もうこの世にいないのだから今更悪口を言うつもりもないが、僕のそういう領域を侵害する才能だけは図抜けていた。
衝動殺人の場合、犯人は驚くほど迅速に逮捕される。限定された人間関係からの絞り込みもあるが、なにより物的証拠が山のように出るからだ。隠ぺいしようとしても完全に自分とのつながりを消滅させることは不可能と言っていい。このことに、僕は普段から気にかけていた。しかし、理解していることと実践できることの間にはこれほどまでに大きな差があるのかと、温度を無くしていく肉塊を前に愕然とした。
しかし、状況はいささか僕の味方をしてくれた。まず、現場が床に倒れている者の家だったこと。ここには以前何度か訪問したことがあり、自分を関連付けるような微細証拠が出ても不思議はない。そして、クッションを凶器にしたこと。特殊な器具でも、普段家主以外が触らないものでもなく、居間にあったクッションを顔に押し当てて窒息させたのだ。凶器からのトレースはひとつ目と同様の理由から不可能に近い。極めつけは、奴は掃除無精な人間だったことだ。恐らく住み始めてからこれまでまともな掃除をしていないんじゃないかと思えるほどに汚い家であった。
大丈夫だ。
僕は心の中で自分に言い聞かせた。と同時にその後の後始末をもう一度振り返った。当日は、奴の家ではコップとクッション以外には直接触れていない。コップは指紋をふき取ったうえで他のものとまとめて漂白剤に漬けておいた。出るときの内側のドアノブには、その日着ていた人工革のジャケット、安物の大量生産品だ、で開けた。奴の爪に僕の皮膚や服の繊維が入っていないことも確認している。
大丈夫。なんとかなる。
僕は周りの人間に悟られないよう、できる限り平常心を保ちながら仕事をつづけた。突如、僕の心の中の喧騒を知ってか知らずか、新しい仕事が舞い込んできた。僕は鑑識課専用の紺のキャップを手にいつもと同じ神妙な面持ちで現場に向かう。3日ぶりの現場に。