第157期 #16

存在

 青い猫は存在します。そのことはチョルノーブィリの人なら誰でも知っています。しかしあなたには、まるでおとぎ話のようにしか思えないかもしれません。青い猫というのは、ちょっとした塀の上や、空き地に放置された車のボンネットなどにいるのですが、とつぜん風が吹いた瞬間に、ああ青い猫がいたんだねと誰かがやっと気づくような存在なのです。あるいは青い猫を一度も見たことがなくても、チョルノーブィリでは昔からその噂を繰り返し耳にしているせいで、いつかどこかで見たような気になっている人もいるのです。たとえば子どもの頃の古い記憶は、その事実を確認できないかぎり遠い夢のようなものでしかありません。それに、夢を現実のものと勘違いすることだってあるでしょう。
 しかし「青い土曜日事件」は歴史的事実として存在しますし、あなたも名前ぐらいは聞いたことがあるはずです。

 それは1986年のある土曜日に起こった事件であり、簡単にいうとチョルノーブィリからすべての青い色が失われてしまった出来事のことです。青いドアや青いテーブルクロスを見てもまったく青く見えないという人もいましたし、晴れた空を見ても、なぜか青く見えないことに酷くいらだっている人もいました。始めは理由もわからず、ただ子どものように怯えるしかありませんでしたが、みんなで気持ちを打ち明けるうちに、空が青くなければならない理由など初めからなかったのだと考えるようになりました。リンゴであれ、バナナであれ、色がある必要はありません。ただ、そこに色がなければ、何か足りない気がするというだけの話なのです。
 あれから何十年もすぎた今でも、チョルノーブィリの人々は青い色を見ることができません。たまに外部の人から、青に見えないのなら何色に見えるのですかと質問されるのですが、そこには色が存在しないのです。しかしある人は、存在とは、帰ってこない鳥をずっと待っている鳥籠のようなものだと説明します。鳥籠は鳥を失うことで、やっと自分が鳥籠であることに気づくのだと。

 青い猫は、事件が起こるずっと前から存在していましたし、今でもチョルノーブィリのどこかで、誰かとふいに出会うことがあります。そしてなぜかチョルノーブィリの人にも、青い猫だけは晴れた空のように青く見えるようなのです。しかしそのことを不思議がる人は誰もいません。ただ、とてもなつかしくて後ろを振り向いてしまうだけなのです。



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