第155期 #12

腕のない男

 病気明けには無性に誰かに逢いたくなる。もちろん、大病ではなかったが、俺は実家のある山間の景色を無性に見たくなった。母は中学のときに死んで、実家には親父が独りでいる。車でも良かったが、通学で使った押しボタンの開閉ドアの単線が懐かしくなって、新幹線から在来線に乗り換え一時間あまり、そこからその単線でまた一時間かけて帰省した。六年ぶりである。
 山の中腹に開けた母の眠る先祖の墓へ挨拶を済ませる。初めての人なら怖いと思う風情の墓地。線香を供え、何となく墓石に刻まれた名前を順番に見ていると、そういえば腕のないおじさんがいたよなぁ、と幼少期に遊んでもらったその人のことを思い出した。いつ死んだのか。顔の記憶もない。ただ、片腕のなかったことだけは覚えている。
「なぁ、片腕のないおじさんいたよなぁ」
 夕食後、親父に何となく聞いた。
「健治さんのことか」
 親父は手酌でビールを注いだ。
「あの人、何で腕なかったんだっけ?」
「別に聞かなくてもいいはなしだから言わなかったんだがな」
 空を見る目を細めた親父は、変な言い回しで記憶を辿るはなしを俺にはじめた。
「タタライ山には熊が出るわなぁ」
「腕が熊に食われたってのは本当だったのか」
「そうじゃない。タタライ山を守る仕事をしてたんだ」
「あそこって立入禁止の山だろ。あの人の土地だったのか」
「健治さん一族のな。戦争が終わって元々の土地から逃れてきた人間があの山に住み着いたのがはじまりだったそうだ。俺の親父、つまり、おまえのじいさんの世代は部落意識が今以上に強かった。だから、その人たちに食い物を渡さなかったんだな。山に入った健治さんのじいさんが発見したそうだよ。すぐ墓を作って、山は立入禁止にした。実際に見ていない健治さんは、守る仕事を受け継いでもそのはなしをあまり信じていなかったそうだ。それで、行っちゃいかんと言われていた頂の墓に、夜、供養がてら肝試しに行ったそうだ。そこでおぞましい光景を見て必死に逃げ帰ってな。そのとき腕をなくしたと言っていたよ」
「よくできた怪談だよな」
「健治さんが死んで守る者がいなくなってからこの土地では死人が増えてな。偉い坊さん呼んで供養してもらった。それからは平静を取り戻している。だけど、おまえには悪いことしちまったなぁ」
「何だよ俺に悪いことって?」
「母さんだけは守ってやりたかったよ」



Copyright © 2015 岩西 健治 / 編集: 短編