第154期 #8

銀座、仁坐、旬坐

梅雨の最中、旬の食材の時期となり銀座の惣菜を売り物の食事処は、魚の産卵時期に入り入荷が鈍い時期はうまさも激減、それに代わり野菜の初物の旬と続く夏野菜の時期は大地の恵みの時期となる。京都風のお晩菜の店が繁盛する時期でもある。蒸し、茹で、煮る、焼く、てんぷら、洗っただけの生野菜、様々ななるから夏の野菜の旬の顔がカウンターの大皿に盛りつけられている。これもまた、コメの恵みの日本酒に麦だ、芋だ、蕎麦だなどの焼酎に合うのである。若い時は野菜で腹がいっぱいになるかと思うのだったが、年を取るというのも体の組成が変わったのか、脂の取り方が、変わったのだろう。30年前とは隔世の感がある。夜の淑女を傍らに相合傘で歩くには今年の梅雨の雨はしとしと感がなくばっと豪雨でさっと上がる。風情もない。霧雨じゃ、濡れて行こうの風情がなくなった。
道中出来れば、雨に濡れたくないもので、銀座界隈、大手町から新橋手前の土橋の交差点まで地下道で結ばれていて、濡れずに歩けるのをご存じだろうか。新旧の地下道の連結で、地下鉄、一般地下通路、駐車場を連続して歩くことができる3キロ程度の遊歩道である。そこには昭和前後の日本の経済高度成長期からオイルショック期、バブル期とその後の消えた20年の年代が思い出の様によみがえる地下道の壁の色、天井の高さ、様々な仕様が次々みられるのである。残念ながら銀座通りは銀座線が直下を走るため深さが浅く、地下街、遊歩道はない。4丁目から8丁目は西銀座駐車場の外堀通り地下の車道を歩くことになる。交差する日比谷線の地下道は十分な深さがあり、東西は東銀座から日比谷駅まで、交差する丸の内線、千代田線はかなりの長距離の地下道を携えていて、かなり縦横な便利道である。
また、夜の遊歩道は地上にも出現する路地の小路、通りを抜ける、人しか通れない、ビルの隙間の通路を抜けると、大通りに突然出る。銀座8丁目から国会議事堂まで一直線に結ばれた、出世街道。大通りを通らずに並行して歩くことができる小柳小路。人の歩いた道が通りになる、江戸の町並みがよみがえる、人通りが道を作る街。これが、現在の銀座である。来年、築地市場は豊洲に移転する。晴海通りは延伸され、銀座4丁目から一直線に結ばれる。銀座の町並みも東に膨張しており、月島、勝島近辺の飲食店も大きく変わろうとしている。NEW GINZAに変わり人通りが新しい小路をつくる。



Copyright © 2015 Gene Yosh (吉田 仁) / 編集: 短編