第154期 #6

殺人保険

 A氏の息子(当時九歳)の加入した保険は特別なものである。なぜ、彼にその保険がかけられたかというと、それは両親の存在が大きく関与していたからである。A氏がサマージャンボの一等当選者だということは当時のニュースもあって割に知られていたことであるが、それ以外、彼の生い立ちを知る者はあまりいない。当時のA氏は未成年であったし、加害者側の匿名性が際立った時代背景もあったからそれも無理はない。ソーシャルメディアでの情報流出は近年と違って皆無であったし、新鮮さの失われた話題にもはや誰も飛びつかない。
 ここで時間の経緯を簡単に説明しよう。当時十一歳であったA氏が施設から出てきたのが事件から十五年後の八月。後にA氏の妻となる女(以後、女)が知人の保険外交員を殺害したのがその年の十月。女はA氏の事件当時三歳であり、直接A氏の事件に影響を受けたとは考えにくい。しかし、女は逮捕直後A氏の事件に影響を受けたことを警察に告白している。A氏が宝くじに当選したのは三十二歳のとき。この当選金で残りの賠償金およそ一億八千万円は全額返済された。宝くじの当選金で賠償金を返済したことに異議を唱えた被害者家族は追徴金二億円を請求。もちろん、事件と当選金に因果関係のないことから請求は却下された。女が出所したのは逮捕から十年後の二十八歳。その一年後、A氏と女は結婚する。A氏、三十七歳のときである。
 現在A氏ら家族は海外でひっそりと暮らしている。おそらく両親の事件についてA氏の息子はまだ何も知らないであろう。いずれA氏の息子が両親の事件を知ることとなったとしても、そのこととA氏の息子個人のアイデンティティーは関係していないと信じたい。それでもA氏ら夫婦は、遺伝的因果関係が解明されていない以上、自分の息子に保険をかけることを選択したようである。空港を出た私を熱帯特有の重くぬるい風が襲う。ここからA氏の住むであろう町までは車で三十分ほど。私はレンタカーを借りた後、空港近くの雑貨店でヤシ割り用の鉈とロープを買った。A氏の息子のアイデンティティーを信じたとしても、A氏の息子が殺人犯にならない保証はどこにもない。早くに芽を摘むことは必須である。
 殺人保険? もちろん、両親には感謝しているよ。保険があるから殺すのかって? そんな哲学的なこと俺は知らないよ。



Copyright © 2015 岩西 健治 / 編集: 短編