第154期 #5
冷蔵庫の辛子明太子が気になった。
恋人の仁志が白米好きの私の為にと、出張後は必ずその日の内に届けてくれる辛子明太子。
私はそれを冷凍庫に納めた。
確かな記憶ではないが、ラップは掛けていなかった筈だ。
あれから、一週間が経つ。
詰まり、これだけの時間が経てば必然的に勢いを失った紅い細かな美しい宝石の様な粒は、硬く無気力な塊に変貌しているに違いない。
冷蔵庫ではなく冷凍庫に入れておけば良かったのかも知れないとも思うが、帰宅出来ない時間がこんなにも長引く等とは思いもしなかったのだから仕方ない。
とにかく、私は予定しなかった外出を未だに続けているのだから、あの場合。
冷凍庫と言う選択肢は有り得ない。
『坂下君!頭!2時の方角から!気をつけて!』
隣で叫ぶ、新野慎二係長の声で現実に引き戻された。
『はい!』
右手でヘルメットを押さえ込む様にして瓦礫の隙間に身を捩じ込む。
喧騒の中心点である、駅前ロータリー跡に造られたバリケードでは無くその奥の建物を覗き込むと、屋上から小さな炸裂花火の様な閃光が見える。
しかし、闇雲に撃つのは素人の証拠だし連中の手にしている銃の性能では私達に届くのは奇跡に近い。
思った瞬間。
目の前で、コンクリートの瓦礫が弾けて私は小さな悲鳴をあげた。
『坂下君!危ないと言っているでしょ?分からない?野党の連中は本気なんだよ!』
怒鳴り声をあげた新野係長が今度は私のヘルメットに覆い被さる様にして、私を更に、瓦礫の隙間に押し込もうとする。
『係長……苦しい……』
圧縮されたまま仕方無く私は覆い被さる新野係長を首の筋力を最大限に使い。押し上げる様にして呻きながら頷いた。
数年前のTPP可決が事の始まりなのは誰もが理解している事実だが、全野党連合が結集して武装するなど当時の与党は想像だにしていなかったに違いない。
そして現在。
自由謳歌党は砂糖の自由接種と国保再開を求めて与党にゲリラ戦を挑んできている。
そりゃ、私だって砂糖をふんだんに使った生クリームが乗ったケーキをたらふく食べたいと思うときもある。
甘くない小倉餡も食べた瞬間、吐き出してしまいたくなるときもある。
だが、しかし、砂糖の摂取量は法律で、細かく定められているのだから仕方が無い。
砂糖入りのどら焼きなど食べたら、その後二週間は間違いなく甘味から遠ざからなければならない。
食べたいから食べるでは済まないのだ。
私達の闘いは始まったばかりなのだ。
了