第154期 #12

四畳半のヤギ

「貸した金が返ってこない……」
 蒸し暑い午後。時間を過ぎても、奴はやってこない。西日が降り注ぐ畳の上に寝そべりながら、己の見る目のなさを嘆く。
 アイツとは、大学からの付き合いだ。飲み会の席で隣り合った。芋焼酎が旨いんだと、飲んでみろと、言うから飲んでみたが、喉が焼けるばっかりでまったく旨くない。そう言うと、じゃあこれを食べてみろとモツ煮込みを勧められた。このモツが旨かったから、学部が違っても、何だかんだで付き合っている。
 そんなアイツに貸した金が返ってこない。
「当たり前でしょ」
 頭の向こうから、声が聞こえた。起き上がるもの面倒なので、顔だけをそっちに向ける。
 そこにいたのは、ヤギだ。手の平に乗りそうなぐらい小さなヤギが畳の上にいた。柔らかそうな黒い毛並みをぶるっと震わせて、言葉を繋ぐ。
「おにーさんはそいつに金をあげたんだから」
 俺はきっと頭がおかしくなったんだろう。でも、おかしくなった頭が作り出したヤギに偉そうにされる筋合いはない。一応、反論しておく。
「あげてない。貸したんだ」
 すると、ヤギは生意気にも鼻で笑いやがった。
「貸す、なんて現象はない。“おにーさんがそいつにあげて”、次に“そいつがおにーさんにあげた”だけだよ」
「何だそれ、返さなくてもいいみたいじゃないか」
「もちろん」
 自信たっぷりに頷くヤギを殴りたくなった。けど、そんな気力もなく、目を閉じる。夕日に晒されてるお陰で、斑な赤が見えた。真っ黒じゃなかった。
「……じゃあ、もし……俺が貸してもらっても、返さなくていいのか」
「もちろん」
 独り言みたいな言葉に、やっぱりヤギは言い切った。その姿を見ると、何だかどうでも良くなってきた。
「なら、いいか」
 胃の辺りにあったモヤモヤや、肩の辺りにずしっと来る重みが少し消えた。息を長く吐く。さっきより、体が畳に近い。
 ドンドンドンドンドンドンッ
 急にドアを叩き鳴らされる。体がビクリと反応して、くの字に曲がる。玄関の方を見れば、部屋の外に、何人か、人の気配がした。
 ドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンッ
 音が増えれば、増えるほど、心臓の辺りが縮こまる。血管が痛い。男の怒声が聞こえた。
どうしよう、どうしよう、と考えても頭が纏まらない。息が浅い。どうしよう、どうしよう、どうしよう――

「僕がおにーさんを貰ってあげようか?」

 さっきのヤギがそう言った。



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