第154期 #10

欲望

 そこにあるのは、ひとつの瓶である。なかには透明な液体が入っている。たぶん水なのだろうと思う。けれども、それを飲むことはできない。私の身体はその瓶に手が伸ばせないところで縛られている。
 喉が渇いているわけではないと思う。けれども、そこにある瓶が目に入ってしまうと、飲みたい気になってしまう。それをおれに寄越せ。けれども手を伸ばすことはできない。
 喉が渇いているのですかと問われる。そういうことではないと私は考える。ゆっくりと落ち着いて考える。唾液を飲み込み、これが欲しいわけではないと思う。欲しいものは別にある。視界に入っているあの液体ではない。
 そのことはわかっているのに、それでも私はそれを欲するようになる。手が届かないと思えば思うほどに、それが欲しくなる。それをおれに寄越せ。けれども手を伸ばすことはできない。
 あれを飲みたいのですかと問われる。そういうことではないと私は首を振る。静かに落ち着いて考える。唾液を飲み込み、喉が渇いているわけではないと考える。欲しいものは別にある。あなたはそれを知っているはずだ。
 あなたも私もそのことを知っている。私が欲しいのは別にある。けれどもあなたはそれを絶対に口にのぼせず、私は縛られたまま、目の前にある瓶をじっと見つめている。瓶は汗をかいている。滴がつーっとその表面をなぞるように流れ、地面を濡らす。
 突如、尿意に襲われる。気づいた途端、我慢ができなくなる。出させてくれ出させてくれ出させてくれ。けれども、縛られたままの身体は動かすことができない。
 喉が渇いているのですかと問われる。私はそうだと答える。目の前の瓶のキャップが外され、口元に持ってこられる。否も応もなく、透明な液体が私の口のなかに流し込まれる。水ではない。ほんのりと甘い味がする。けれどもそれが何の味なのか、思い出すことができない。
 尿意は留まるところを知らずに高まっていく。私は身体を縛られたまま、空になった瓶を睨みつけ、喉が渇いていることに気づく。



Copyright © 2015 たなかなつみ / 編集: 短編