第153期 #12

トンネル

搭乗手続き終了間近を知らせるアナウンスが流れる。
もう、行かなければ。

私の隣にいる彼はさっきから何も喋らない。
もう永遠に会わないかもしれないのに。
最後に何か言うことはないのだろうか。
ほら、もう後10分だ。

大学で君に出会った。
何度か会ううちに付き合い始め、私達はとてもうまくいっていた。
そして2年生になった頃、私はかねてからの希望だった留学を決めた。

出国の日を伝えると、じゃあ空港まで送るよと車に私の荷物を積んでここまできた。
いつもと同じ笑顔。同じ会話。
今日はいい天気だね。そういえば昨日妹がこんな事言ってたよ。今日はこの後バイトなんだよね。
私達が話をするのはいつも「今」の話。
まるで明日も今日と同じ日が繰り返されるかのような錯覚に陥る。
向こうに着いたら連絡するね。一時帰国が決まったら電話するね。
いつ、日本に帰ってくるの。
そんな「未来」の話は一度も出てこない。
明日からは別々なのだ。
何となく始まった私達だから、何となく終わるのだろう。

立ち上がってスーツケースに手をかけた。
「じゃあ」
視線が彼の胸あたりを泳ぐ。
さよなら。

「君は」
独り言のような声がして。
「それで、平気なの」
私の肩に彼の腕が伸びてくる。
息をのみ、逃げるようにしてゲートへ向かった。
「さよなら」
振り返らなかった。

周りの音が遠い。
飛行機の飛ぶ音もアナウンスの声も水の中で聞いている音のように篭もっていて。
彼の言葉が耳の奥で何度も繰り返される。

ふいにその力強い腕を思い出した。
目尻にしわを刻んだ優しい笑顔、触れる指、固い手のひら。
広く暖かな胸、髪の香り、少し冷たい唇。
私の名を呼ぶ、声。
うつむくとぽたぽたと涙が落ちた。
彼が触れようとした肩を抱きしめると、びりびりと痺れた。

これで彼も決意するだろうか。私とは別のあの国への留学を。
もうすぐだったはずだ、最終の締め切りは。
私と離れたくないから留学を迷っていると。
友達との話を立ち聞きしてしまった時、繋ぐ手に未来を見つけることができなくなった。

地面が遠くなっていく。
暗い夜の空を飛ぶ。
飛行機の細長い天井を見上げる。トンネルのようだと思った。
過去と未来を繋ぐトンネル。
ここを抜けたら。
私は新しい光の中に立つ。

窓を覗き込むと、太陽の名残がうっすらと地平線を浮き上がらせていた。
日本のある方向だ。
たまらずに指を伸ばすが、冷たい窓ガラスに弾かれた。
震える呼気が窓を曇らせる。
私は長い間そのまま動けなかった。



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