第152期全作品一覧

# 題名 作者 文字数
1 神園ノエル 948
2 雑多な白黒 あめようかん 748
3 消えた双子の物語 たなかなつみ 893
4 はんごろしかみなごろしか わがまま娘 982
5 伊集院さん 岩西 健治 985
6 空腹のいたづらごころ 桜 眞也 1000
7 銀座、琴坐、隼坐 Gene Yosh (吉田 仁) 994
8 ページの向こうに 赤井都 963
9 盲管銃創 キリハラ 1000
10 南青山の美女とピンクのおじさん 宇加谷 研一郎 1000
11 ほこりたかき人 まめひも 688
12 高得点句の響き ロロ=キタカ 993
13 宵闇 かんざしトイレ 1000
14 キジトラ kyoko 895
15 弾丸オンデマンド 伊吹ようめい 834

#1

きっと世界のどこかで、今、人は死にまた新たな命が生まれている。ほら目を閉ざして想像してみよう。死のちかくに立たされている人を。一歩進めば、先も見えぬ闇。
人はいつかこの死の近くに立つのだ。
そして、私も死の近くに立っているのだ。
ピッピッ。シューシュー。
私の命を唯一繋いでいる、機械の音。
意識は、周りの人から見たら眠っているよう見えるかもしれない。だけど、それは瞼が重くて
あがらないだけで、意識はあると自分自身では思う。
音もよく聞こえる。ていうより、周りが見えないから聴覚が敏感になっている。
私のそばにいるのか。いないのか。よくわからないけど、泣き声が聞こえる。
私の為に泣いてくれているの?こんな私の為に?
……ああ。笑えてくる。私の一歩先には闇がある。進めば何があるかわからない。そんなことわかっていたはずなのに、今更怖くなってきている。今更生きたいと思ってしまう。
こんな情けない自分自身が笑えてくる。
生きたいなんて、思ったらダメ。
でも……生きたい。私は生きたい。
「きゃああああっ!」
いきなり一歩先の闇に吸い込まれ堕ちていく私。
ああ……もう、私は死ぬんだ。
堕ちていく間に私の今までの人生が走馬灯野ように頭を駆け巡る。
今までの私の人生。関わった全ての人に言いたいこと、ありがとうとごめんねだった。沢山、人を傷つけた。ごめんなさい。沢山人に感謝しなければいけない。ありがとうございました。

ダンッ。私の体がうちつけられる。
「いった……」
そして、いきなり体が上の方にグインと引き上げられる。
「!?」
「な、何!?」
そしたら、今まで真っ黒の闇のなかだったのに、パッと場面が変わった。
私は空を飛んでいた。下に見えるのは大きな森と小さな集落。家が建っていた。
ここは……天国?

「生きなさい」

するとこんどはどこからか声がした 。

またパッと場面が変わった。

「梨花子……梨花子!! 起きて!梨花子!!」
「ん…………」
「……っ!! 梨花子!!梨花子!!私が分かる!?」
「お姉……ちゃん……。なんで、泣いてるの?」
私は自分のてをお姉ちゃんの頬当てる。
「梨花子……っ、よかった……本当に、よかった!!」
「…………!」

さっきのことを、今までの事を思い出した。

『生きなさい』

ありがとう……。ありがとう……!
私は、生きる。精一杯生きます。


#2

雑多な白黒

名前も知らない小さな花、意味の分からない落書きがされている自動販売機、たくさんの車の排気ガスで体に悪い気がする生ぬるい空気、何かに焦燥したり誰かとおしゃべりしたりして過ぎ去ってく何人のも人、雨が降りそうで降らない微妙な曇り空。
ひとり、時間が止まっている、わたし。
わたしはついさっき振られたの、三年間付き合ってた彼氏に。そこそこに格好が良くて素直な彼。そこそこに可愛くて面倒見の良いわたしとお似合いのはずだったし気が合ってたはずなの。
彼は、二ヶ月前くらいから「忙しくて……」と何度も会うのを断って。今日久しぶりに会ったら携帯ばかり気にして。わたしはピンときた。女の勘ってやつ。二人で入った喫茶店で「浮気してる?」って聞けば明らかに動揺してまだ熱すぎるコーヒーに砂糖もミルクも入れず飲む彼。ブラックコーヒーは飲めないって言ってたのに。そういえばそれを聞いたのは初めてのデートでこの喫茶店だったな、なんて今は関係のないことを考える。彼は何を言うか色々思考を巡らせているようで、ちらっと私のことを盗み見る。わたしは余裕そうに少し微笑んでコーヒーを一口飲んでみせた。少しの沈黙のあとに聞こえてきた「……別れて」という声。その声はわたしが大好きな彼の声ではない気がして。「そうしようか」とわたしの声が言った。カップを見れば半分以上なくなっているコーヒー、口の中に残るざらっとした感触と苦味。会話が続かなくて「どんな女の子なの?」と聞いたわたし、言ったことを後悔するわたし。「うーん、どこか危うくて守ってあげたくなるような」いつもの彼の口調で出てきたわたしと正反対な女の子。その後はそれと言った会話もなく喫茶店をでて別れたわたしたち。いつも通り彼がわたしの分のお金も払う、最後の別れはいつもと変わらず呆気なく。


#3

消えた双子の物語

 その街には大きな公園がある。スポットごとに白板があり、市民のために開放されている。イベントや催し物の開催を告げる掲示が、その白板の至る所に貼付されている。あるいは、ペンで所狭しと告知が書かれている。
 その隙間にいつのころからかわからないが、物語が書き記されるようになった。それは、つながりあって、労りあいながら、ひっそりと生きる双子の物語。かれらは同じように生活し、同じように喜びと痛みを感じ、それを同じように分かち合う。
 物語はどこからどう読んでもかまわない。どの順番で読むのが正しいのかは誰にもわからない。ある者はそれを愛の物語だと言う。ある者はそれを残酷な物語だと言う。ある者はそれを神から愛されているふたりの物語だと言う。ある者はそれを虐げられたふたりの物語だと言う。そのすべてが誤りではなく、正しくもない。物語は日々書き換えられる。
 ある日、その物語に番号が付された。人びとは「正しい」物語を読むために、こぞって公園を訪れた。けれども、その番号はあまりにもランダムで、それまでそのとおりに読んでいた人間はただのひとりもいなかった。番号の順番に読み進めても、なにがしかのストーリーが見えてくるわけではなかった。
 人びとは嘆息した。あるいは、怒った。我われは騙されたのだと。ありうべきストーリーは我われのなかにあるのであり、付された番号はでたらめなのだと。
 そうして、人びとはその「落書き」を消した。番号だけではなく、物語そのものを消し去った。双子の足跡はそこで止まり、人びとの記憶からも消えていった。
 真夜中の公園に、ペンを持った双子が現れる。かれらはつながりあい、支えあい、歩きにくい姿態でよろよろと歩を進める。そうしてかれらは知る。かれらの物語が終わったことを。かれらは街を去る。その姿を見た者は誰もおらず、かれらがどこに行ったのかを知る者も誰もいない。
 ある日、物語が書き継がれる。それは、つながりあい、傷つけあいながら日々を生きる、哀しい双子の物語だ。人びとはそれを見て笑う。そして即座にその「落書き」を消す。
 双子の存在を信じる者は、この街にはただのひとりもいない。


#4

はんごろしかみなごろしか

「だからね……」
ドアの向こうでいっちゃんの話声がする。多分、いっちゃんの実家からの電話だろう。
仕事をしながらウトウトしてしまったようで、気が付いたらPCの画面にはrが連打されていた。軽く溜め息をついて、大量のrを消すためにバックスペースキーに指を置く。
「わかんないよ、そんなこと……」いっちゃんの困ったような声が聞こえた。
「はんごろしでもみなごろしでも、零くんは構わないと思うけど……」
は? 半殺しでも皆殺しでもオレが構わないって、何?
「あ〜、でもこの前、みなごろしのほうが好きそうな感じだったかも。多分、どっちもみなごろしのほうが好きなんだと思うけど」
オレ、今まで皆殺しなんてしたことないけど……。いっちゃんにはそういう風に見えてるってこと? オレってそんな卑劣なヤツ?
「え? だから、今零くん仕事中だから、声かけられないんだって」いっちゃんがちょっとイラッとしたような声。
「仕方ないじゃない。なんか、急に明後日までの仕事が入ったって言うんだもん」
そうだ、昨日会社から急に仕事の連絡があって、オレは……。
「ぅわぁ!!」
オレの大声にいっちゃんが「どうしたの?!」って、慌てて部屋のドアを開けた。
「いや、ごめん。データ、全部消しちゃっただけ……」
オレは、いっちゃんに引きつった笑いを向けた。そんなオレに、いっちゃんは苦笑いを浮かべる。そして、急に思い出したかのようにいっちゃんはオレに尋ねた。「牡丹餅と御萩とどっちが好き?」って。
「えぇっと……」困惑するオレに、いっちゃんが言った。「おばあちゃんがオハギ作るから、零くんの好みを教えてって」
「零くん、こし餡のほうが好きでしょ? お餅はしっかり潰してある方が好き?」
「あ、あぁ。しっかり潰してある方が好き、かも」
「わかった、ありがとう。お仕事頑張って」
いっちゃんは笑顔を浮かべて、部屋のドアを閉めた。オレは、困惑したままだけど。
「聞いてた? やっぱり零くんどっちもみなごろしのほうが好きなんだって」と、ドアの向こうからいっちゃんの声がする。
あぁ、はんごろしとかみなごろしって、餅や餡のツブツブのことか。怖いことを想像していただけに、ちょっとホッとした。

こっちに越してきて半年。
まだまだいっちゃんの地元は、知らないことが多いなって思うとクスッと笑みがこぼれた。そして次の瞬間、データを消去した画面にオレは大きく項垂れた。


#5

伊集院さん

 この人はかっこいいと思っているのだろうか、と伊集院さんの小指を立てたリボンビールを飲む仕草を見て私は思った。伊集院さんと待ち合わせをしたホテル最上階のバーは、伊集院さんのご指定であった。この店が初めてだった私は、ここの名物はリボンビールだと、伊集院さんの語ったうんちくで知った。どんな製法ですか、と私が聞くと、伊集院さんはまた一口、リボンビールを飲んだ。教えてはくれなかったんですけどね、ベリー系の果物を使っているらしい、ほら、だから、ピンクがかっているでしょう、と答える。だからリボンですか、と私が聞いて、そうだと思う、バーオリジナルなんです、と伊集院さんはうれしそうに答える。
 伊集院という有名人を私は二人しか知らなかった。ひとりは作家で、ひとりはタレントである。私の前に座っている、リボンビールを飲んでいるこの伊集院さんは取引先の伊集院さんで、だから、有名人ではなかった。ペンネームや芸名ではない、本名の伊集院さんは私の知る限りこの人だけだ、と思っていたところに私のリボンビールも運ばれてきた。伊集院さんに目配せして、一口飲むと、微かだがベリーらしき香りがする。ただ、私には甘過ぎる気がした。それでも、独特の風味がいいですね、と当たり障りのない賛辞を伊集院さんのために贈った。
 伊集院さんとしばらく雑談を楽しんだ私はトイレに立った。小便器の上の壁におでこをなすり付け目をつぶると、何も見えていないのに頭がぐるぐると回った。昨日行ったビルの、エレベーターのドア脇に乾涸びたネズミの死骸があって、それが今でも後頭部に張り付いている感触。放尿姿勢のまま手首だけを回転させて腕時計を見るが、目がかすんで時間が確認できない。チャックをあげ、右手の指先を申し訳程度に湿らせ、濡れた指先を頭髪の流れに沿って這わす。乾涸びたネズミの体毛のような頭髪は、それでも律儀に姿勢を整えようとするが、それ以上、自分の頭髪でさえ触る気にはなれなかった。私は目やにを取ってから、できるだけ清々しい振る舞いを装ってトイレを出た。
「お強いですね伊集院さんは」
 私はもはや気力だけの言葉を振り絞った。少し休みますか、と伊集院さんに言われた私は、はじめ断っていたのだが、どうも、足も立たないし、ろれつも回っていないようである。だから、半ば強引に、階下の伊集院さんの宿泊している部屋へと連れて行かれた。


#6

空腹のいたづらごころ

 今日僕は定食屋に行くことにした。ここ数日コンビニお握りしか食べていなく、足が上手く動かない。つい道路に出そうになると大きな衝突音が聞こえた。近づくとヘルメットを被った男が倒れている。気の毒に。
 さて、何処に入ろうかな。
 おぼつかない足取りで歩道を歩いていると路地の方から美味そうな香りが漂ってきた。自然と足が動く。細い道を通り、僕はその匂いの元と思われる店の扉をガラッと開けた。
 中を見渡すと結構混んでいる。ボーっと見ていると奥からウエイトレスらしき男が来た。
 「いらっしゃいませ。ご予約の斎藤様でございますか?」
 僕は斎藤じゃない。違いますと言おうとしたのだが、どうやら斎藤さんは予約を取っているらしい。このまま斎藤さんのフリをしていれば、すぐにご飯にありつける・・・
 「はいそうです。斎藤です。」
 どこかの斎藤さんには悪いが、先にご飯を食べれる。
 席に着こうと一歩踏み出すと
 「ではお客様、こちらの席へどうぞ」
と言われた。そのウエイトレスについていくと奥の部屋に案内された。とりあえず部屋に入ろう、と一歩踏み出す。すると
 「あの、斎藤さんですか?」
 後ろから女の声がした。美しい声が耳に。ゆっくりと振り返るとそこには美少女がいた。
 「よかった・・・今日は遅れると先ほどメールがあったのでびっくりしましたが、宜しくお願いします・・・」
 その刹那、全て合点した。つまり、こういうことだったのだ。
 
 『斎藤さんはこの娘と会食する予定だった。』
 
 全身から気持ち悪い汗がぶわっと噴き出してきた。いますぐその場を去りたかったが、そうもいかない。咄嗟にこう言った。
 「やあ、僕が斎藤だよ。こんにちは。」
 僕の貧しい語彙の中で当たり障りのない挨拶といえばこれしか思い浮かばなかった。
 「じゃあとりあえず中に・・・」
 美少女が僕の手を引きながら部屋へ引きずり込む。やばい、どうしよう、どうやってこの場を乗りきろう・・・と思った矢先、
 「桐谷さぁん!」
と野太い声が聞こえた。振り向くとヘルメットを抱え、頭から血を流しこちらを睨みつけている男が居た。顔が僕と瓜二つだ。
 まさか、斎藤さんって、さっきの・・・
 「すいませんしたぁぁぁ!」
 僕は出口に向かって一目散に走り出した。
 「おい待てえええ!」
 先ほどの野太い声が近づいてくる。
 やばい、追いつかれる・・・
  
 
 
 帰りに食べたコンビニのお握りは、血の味がした。


#7

銀座、琴坐、隼坐

5月に入り、満天星ツツジが鮮やかに咲き誇り、今年は4月に花寒が続いたためか、新緑も一部は紅葉し落葉してしまう季節に敏感な木々の中、夏日を迎える気温の上昇で、私の夜の街は見事に咲き誇る、菱憐な花々は輝きを益しております。今年は景気回復、吉田のビジネスの顧客、外国タレントさんは外国人観光客と同様に大挙押し寄せ、これからの数年は東京オリンピックのための会場整備で改修工事にかかるため箱が多くなり、希望に合った大きさの会場が予約しづらいようです。2011年は放射能におびえた輩は公演を中止し、世界から見放された感のなか、いわゆる夏フェスは外人一色から大物日本人からアイドルまで、代替え出演でしのいだものでした。結果それが功を奏し、日本のタレントも海外進出のチャンスに乗ったりしております。それらタレントも移動手段に使い、また、機材輸送の航空会社は燃料の安値からサーチャージの変更や、こみこみ運賃の多様により、大幅な増益を達成しているようです。日本から出かけるビジネス、観光客に加え、日本へ来る観光目的の来日、外国人数は毎月倍々の数字をたたき出しております。しかし、ビジネス客は出張などの移動の機会が少なくなり、会議などはネットで行い、毎日、国際会議がネット上に開催され、ますます、移動は少なくなっております。バブル時期に全国各地に開場した、コンサートホールなどの地方自治体のコミュニテイ空間は維持費などの問題があり、稼働率が低くなっているようですが、この数年は再活用しないと、押し寄せる外国人タレントに活躍の場がないことになってしまいます。その結果、小規模のライブ会場も彼らの対象となり、収益が悪いからもっと滞在する悪循環につながると恐れられております。彼らはもっと、もっと稼ぎにやってきます。そこで連れて行くところがなくなってくると、おもてなしのメッカにどっとなだれ込みが始まり、体のでかい外人が座るもんだから、店は超満員で秋のプロ野球の優勝時期が毎週やってくる状態で、足が遠のくのであります。
毎年、桜祭りだ、コスプレだ、浴衣、クリスマスだ、祭りの時期により行事で集客につなげるのですが、吉田は全く縁のない行事でどの娘がどんな格好をしているのか全く分からないでいるのであります。その時期はお土産代含め、衣装代の割り増しがあり、飲み代は1~2割割高であると聞いております。あ〜ぁ忙しい、忙しい。


#8

ページの向こうに

 もし人生が開かれた本なら、私はその上に立って、一ページぶんの過去と一ページぶんの未来を読むことができる。このページをめくれば、君はそこにいるだろうか。
 しかし、私は開かれた本ではない。過ぎたことは一瞬で隠れ、少し先の未来すら読めない。私が立つ今の地点にだけ黒い文字がある。言葉は自分が思う瞬間にだけ言葉になり、次の言葉へ思考が移ったとたん、落ち葉のように体から離れてゆく。
 はらはら数限りない落ち葉の向こうに、私は君の姿を見る。君は公園をゆっくりと歩いている。日光と戯れるようなしぐさが、しなやかな手首が、君を印象づける。またいつもの君だ。まだ、いつもの君だ。
 目が合うと、ぱっと鏡のように笑顔を返してくる君は、鏡の下では誰もいない公園を歩いているから、並んで歩くと、君の心はすぐに私の隣を離れてうつろな横顔になる。私は君に、今からここで二人に始まる物語を読んでほしいのだけれど、言葉がせめぎあいすぎて、行く先が真っ黒に隠れてしまう。そして君は君のページの間で、その先の君の物語を読まないようにしている。これから先のページには、悲しいことや苦しいことが書いてあるに違いないから。そんなことを、読みたくないから。そう決めつけて、澄んだ瞳で君は梢の間の青空ばかり探している。
 私たちは別々の本だ。言えない全ての言葉を散らして今の一行の上に立ち尽くす私と、閉じたページを持つ君は今日も出会った。明るい陽射し。揺れる木漏れ日。私は君を手振りで池のボート遊びに誘い、君は断った。――そんな気分には、なれない。
 今日も、君は新しいことを始めたいとは思わない。
 ――でも、ありがとう。
 私が今日も誘ったことを君は励ましと受け取める。君の視線は私の体の包帯箇所を通り過ぎ、遠くへ行く。
 ――私も、もっとがんばったら、いいのかな。
 君は次のページをめくろうとして逆にさかのぼってしまう。君は現在から離れて前のページに戻り、君だけが知っているそこを何度も何度も繰り返し歩く。誰も現れない公園。落ち葉がはらはらと散っている。君しかいない公園。悲しいことは全て起きた後。濡れた地面に靴が埋まり、足跡の型がつく。私が君にかける言葉はページの裏側に隠されたまま。私はページのこちらで君への言葉をしきりに振り落とし、君が私のページに現れるのを待っている。


#9

盲管銃創

 日がな一日喫茶店の窓辺に座っている。一昔前より学生やカップルの数が増えた。女子もよく来る。時に三十代の女子も。大人女子なんて論理矛盾に気色悪さを感じないのだろうか。
 サードウェイヴ珈琲の影響か、豆に拘る連中をよく見る。シングルオリジンなど得意げに嘯きながら、貴様、実のところ説明無しでは味の違いなど分からないだろう。気付けに良い豆とは何だ。目の覚める珈琲が飲みたければエスプレッソをダブルで頼め。
 彼らは鼻で笑うものだが、珈琲フレッシュは、蓋に花言葉など書かれた安っぽいものが良い。植物性油脂とか言ってマーガリンと一緒くたに忌避される所が素晴らしいのだ。
 しかしクリームと呼ばないのは何故だろう。舐めても脂肪の味しかしない。むしろ珈琲デブと呼ぶべきではないだろうか。
 やば、あの子の耳可愛くない?
 可愛いに決まっている。
 女子は昭和っぽい純喫茶が好きらしい。そう、レトロも欠かせない。平成生まれの癖に昭和レトロと連呼するのは政治的発言かもしれない。イデオロギー抜きに昭和レトロは語れないからだ。貴様、昭和は昔に決まっているし、昔はレトロだろう。おい。同語反復だ。そのくせ偽物を嫌う。
 今こっち向いたー。
 向いたら何だ。
 彼女らの花言葉は怠惰と暴食だそうだ。二人して不満顔だが、そんな言葉と付き合わされるマツバギクやルピナスの方がよほど不愉快だろう。私がそんな名で呼ばれたら、やさぐれたに違いない。
 また店が揺れ、マスターの珈琲をドリップする手が不安げに止まる。今日は三度目か。見えないのも含めたら十倍以上と誰かが呟く。
 西日はヤニ染めの窓ガラスをくぐってセピア色に染まる。私の首筋に当たると、メラトニンに変わって毛穴から忍び込む。ここは常に良い時を紡いでいる。春は陽光が細やかで、クロートーの指先を思い出す。オハイオの冬に飛び立つロケットもこんな心地だったか。
 古き良き時代など何処にもなかったよ、貴様。古いものと良いものがあるだけだ。貴様の今も、いずれ古き良きものに変わる。それは妄想でしかない。
 アトロポスが運命の糸を切るように、或いはラケシスが終わりを決めたように、私も貴様も以後の世界を生きている。一度撃ち込まれた銃弾は二度と抜けないが、誰しも痛みと恐怖は抱えざるを得ない。珈琲フレッシュを舐めない貴様達も、春先に学んだはずだ。
 眠そー毛並きれーやばいよね。
 学ばないのが幸せな事もあるが。


#10

南青山の美女とピンクのおじさん

美人あふれる南青山を歩いていても、マリはとびっきり目立っていた。マリとすれちがった誰もがふりむいて、マリが視界から消えてしまうまで呆然と立ち尽くすのだった。このごろニュースにもなっている「あちこちで車が歩道につっこむ」怪奇現象も、歩道を歩くマリをみつめて我をわすれた運転手が運転まで忘れてしまったかららしい。

「歩く閃光だ」

マリのファンクラブを自認する男たちは口をそろえていった。マリはそれを聞いて笑った。きりりと涼しげな眼と開かれた甘い唇に男たちはメロメロになってしまって、皆が手にもっていた生ビールのジョッキを落としたものだから、ある夏のビアホールは大騒ぎになった。だがウェイターは注意ひとつしない。ウェイターもマリにみとれてジョッキをおとした一人だったからである。おまけに窓側にマリが座っているだけで、次々に客がやってきて店は行列ができていた。

マリはほっそりした長身だったが、男たちはマリの服の下に女神の体が隠されていることを感じ取る。事実マリの身体のあらゆるラインは曲線となっていた。

一方的に愛されることにある種の重苦しさを感じてしまうことも多い。マリの日常のほとんどは愛想笑いだった。唯一、心から笑える時間はスポーツクラブのZUMBAにあった。スタジオの前列中央で、太った中年のおじさんがマリと同じ時間に踊り狂っている。おじさんはいつもピンク色のムーミンのシャツを着ていて、頭はきれいにハゲている。

男性の誰もがマリに心を奪われるはずが、この中年おじさんはマリと目をあわせたこともない。ZUMBAの開始まで下着売り場にいる変態おやじのような違和感のあるピンクのおじさんが、曲がかかると突然笑顔になる。

マリは今日も生きているのに疲れていた。歩いているだけで世界中から視線を浴びせられ、自分が原因であちこちで追突事故まで起きている。色目からはじめる出会いには恋心もさめてしまう。そんなときマリは、あのピンクのムーミンを思い出す。踊っているときだけ彼が開放する表情をマリは細部まで思い出してみる。するとマリに優しい気持ちが戻ってくる。

その中年おじさん、コマツタネオはまさか南青山で一番美しい女に思われているとは知らなかった。この日も自分の醜さを憎み、世界中の女を呪い、唯一の楽しみのZUMBAが始まる時間だけを待って一生懸命、今日も駅を掃除して日銭を稼いでいるのであった。


#11

ほこりたかき人

 建前で話せばうさんくさいと嫌われる。
 本音で話せば、よくそんなひどいこと言えるなと詰られる。

「でも私はそんなあなたが結構好きよ」
 と彼女は笑ってそう言う。切り揃えられた短めの黒髪が彼女の微笑に揺れてさらさらと光る。ため息しかでない。

 うさんくさくて嫌われものの僕の悩みはただひとつ、彼女の台詞が本心なのか、それともこれから僕に高額な絵や壺を売るための準備運動なのかが分からないということだ。

「当然後者」
 数少ない友人は言う。
「で、あってほしいよね」
 面白そうにそうつけ加える。
 いい気なもんだ、僕は案外純粋に悩んでいると言うのに。
「というか、聞けばいいじゃないか。俺の前でうじうじするより、本人に聞くのが一番早い」

 ばかやろう。
 おおばかやろう。
 お―おばーかやろう。
 聞けるもんなら最初から、お前の前でうじうじするか。
 いかんせん、僕は彼女のことがだいぶ好きなのだ。どう転んでも傷つけるような言い方スキルしかない俺が、彼女の本心なんて聞けるものか!

「おまえその辺案外めんどくさいよなぁ」
 友人はそういうと、それ以上僕の悩みには付き合ってくれなかった。


 考えに考えて、結局のところ本気ならOKもらえるだろうし、壺を買わせる気でもむしろOKもらえるだろとわけのわからない思考迷走の果て、彼女に告白したのは三日前。彼女は驚き、微笑んで、わっと泣き出した。

「私、だめよ、だって」

 泣き疲れた彼女の告白。彼女は彼女ではなく彼だった。心は女性、体は男。名探偵でも見抜けないほど華奢なのに!


「じゃあ僕たち渋谷区に住もう。将来はオランダに住もう!」

 思わずそう叫んだら、殴られて振られた。


#12

高得点句の響き

ちょっと早めの夕食で牛丼を食べて居るとすごい音量でシャッターが下りて来て高得点句も響きだした。「一山を絞りつくして滝落つる 松村洗耳 父の日や凹みし鍬の握り艶 ジロー 露天商「風はおまけ」と風車 渡邉静風 東京がよく見える日の袋掛 水戸吐玉 スカーフを初夏の長さに結びけり 樋口紅葉 一人泣いて皆叱られるこどもの日 きわこ 退院の妻はしづかに蕗を煮る 田居吾十歩 貼れるだけ貼って五月の掲示板 吉原波路 サングラスいつもの街がみんな嘘 泰山木 古民家の暗がりにある花の冷 遠藤甘梨 豆の飯ふわりと母の戻りくる 田居吾十歩 憂きことやざくりと切りし春きゃべつ 廣瀬布美 加齢とは静かに速し花は葉に いもけんぴ のどけしや一本指で弾くピアノ 博石 針箱に妻の旧姓春惜しむ 水谷よし 駅前の一方通行つばめ来る 菊鞠潤一 幸せを手に転がしてさくらんぼ 山田梦二 少年のまどろみに似て枇杷青し 翠雲母 ここだけの話横切る黒揚羽 平野悠里 金魚にも母の告口一人っ娘 昌司 廃線は陽炎の中を曲がりゆく 新井国夫 耕運機馬の貌(かお)して休みをり 大塚正路 もう二度と戦せぬ国武具飾る 遊人(ゆうと) 地下駅を出れば祭りのど真ん中 遠山悟史 少女らの鎖骨のくぼみ聖五月 福々 そら豆のひよつとこ面にかるく塩 風々子 その中の一つは遠出しゃぼん玉 大野ゆう子 たくさんの素足が見えて爆心地 宮本悠々子 足音に齢のありて半夏生 石川秀也 麦刈りて遠山少し近づけり 花泉 白球のまっすぐはねる立夏かな 牧野晋也 岩壁をくすぐるてふの薄さかな けんG キリストにすべて打ち明け夏の空 快風 陽をためて百面相のシャボン玉 彌助 麦の穂の百億のとげ空を刺す い特にマネキンや眼のやり場無き更衣 ひろや やり烏賊の肌透き通る薄暑かな 酸模(すかんぽ) ひよつとして春愁の中かも知れぬ 北浦日春 風孕み溯上の構え鯉のぼり 長野遊 水満ちて田毎に赤き西日かな 玉緒 かたちいま整えている花筏 takato17 尊徳の焚き木の上に花吹雪 米鮫夢猪 島の子の旅立つ波止場花菜風 倉基七三也 逃げ水を追ふやうな恋もう二年 雅風 むき出しの白き二の腕夏来る 晴耕雨読 青い目の園児も担ぐ神輿かな 窓野斜光 薄皮のぬるりと剥ける春の昼 佐藤佳菜子 いとほしき声も朧の水枕 佐藤佳菜子 禅僧の生まれ変わりや雨蛙 徳田呑気・・・」


#13

宵闇

「世界が終わるときに僕は何を見るのだろうか」
 背の高いシルエットがマッチをするような仕草をしながら言った。炎が彼の手元でゆらめいた。
「君が見ているものはすべて幻だろう。君にはあるのかい、その、いわゆるクオリアというものが」
「あるさ」
「本当だろうか。昔はあったような気がしているだけなのではないかな。君は本当に何かを見ているのか。見ようとすればするほどそれは実感とは遠ざかり、その見ているものがなんであったのかさえ分からなくなってくる。奇妙な違和感に襲われて目眩がしてくるばかりだ。だが一瞥しただけで分かった気になっているのではやがて新鮮味がなくなり、現実味がなくなり、自分がどこに立っているのかさえ確信が持てなくなってくる。そういう事象には名前まで与えられているくらいだ」
「高尚な物理学の話をしているのか」
「ちがう」
「下世話な心理学の話をしているのか」
「ちがう」
「生きている実感というものは、それも一つの感覚の種類だよ。目や耳、味覚や触覚のようにある種の感覚器官がその役割を担う。だがそれも時が経つにつれて鈍くなる。もっと強い感覚刺激がなければ脳味噌の奥まで信号が届かなくなる」
 背の高いシルエットは煙草に火をつけて口にもっていった。吸い込まれそうな闇の中にぽつんと光が浮かんだ。
「君はその、生きている実感を感じる器官を持っているのだろうか。それは万人の持つ、いや動物や他の大抵の生物の持っているごく普通の知覚の集合にすぎないのではないか。君に生きている実感が薄れてきているのだとしたら、それは耳が衰え、目の水晶体が曇り、地肌が寒風にさらされ続けて麻痺してしまったせいだろう」
「目がなくても見えるものがある。耳がなくても聞こえるものがある」
「君には目も耳もあるじゃないか。君は君の持っている五感の世界で生きているのであって、それ以上でもそれ以下でもない。ないものはないし、なくてもいいんだ」
 背の高いシルエットがゆっくりと、まるで顕微鏡のピントを合わせるみたいに腰をかがめ、ついにはしゃがみこんでしまった。
「世界が終わるときに僕は何を見るのだろうか」
 弱々しい声が救いを求めるように言った。
「世界が終わっても、きっと世界は続いていく。時間が行き止まりにぶち当ったら上下左右どこへでも、もしかしたら別の次元に、方向を変えて進んでいくように」
「世界が終わるときに僕は見たいものを見よう。僕の大切なものを」


#14

キジトラ

眩しかった。
開いたばかりの目に刺さる光、耳にはなうなうと無数の鳴き声。
暖かい毛玉のかたまりの中に自分はいた。
新緑の季節だ。

バタンと扉の閉まる音がして車が去ったあと、自分と白い毛玉の2匹だけがいた。
早朝の田んぼのあぜ道。
しばらくすると女の子が向こう側からかけてくる。
自分と白いのを見つけて目を丸くした。
息を切らしながら屈み、おそるおそる伸ばす手で頭をなでられたので喉を鳴らしてみる。
女の子は穴の空きそうなほど自分たちを見つめていたが、学校、と呟くと去って行った。

日が真上を過ぎた頃、雲が出てきて雨が降り始めた。
まだしっかり歩けない白いのが、よちよちと転がり、あぜ道の溝に落ちた。自分も落ちた。白いのはどろでよごれて茶色くなり、キジトラの自分は黒くなった。なうなうと鳴いた。
日が落ちる頃、薄暗い中でなうなうと鳴いていた茶色くなった白いのが、誰かに抱き上げられて去って行った。黒くなった自分はおいて行かれた。
あたりが闇に包まれた頃、なうなうとまた鳴いてみた。誰かがばしゃりと溝に入ってきて、自分を抱き上げた。朝の女の子だった。
思い詰めたような目をして自分をタオルでくるむと、そっと鞄の中に入れた。

あれからどのくらいたっただろうか。
ふかふかだった自慢の毛並はボロ雑巾のように艶をなくし、目は物の形をとらえるのが難しくなった。水の匂いも最近感じにくい。
後ろ足は曲がりにくくなり立ち上がるのもやっとで、トイレに間に合わなくなってきた。
それでも女の子であった女性とその家族は毎日自分を撫で、話しかけ、トイレまで抱き上げて連れて行く。

爪を研いではげた畳の上に、何度も洗濯を繰り返し柔らかくなった古い毛布が敷かれていて、その上で丸くなる。
よじ登って穴だらけの網戸からの風が心地よい。
粗相をしてシミになった絨毯の上に影が伸びる。
暖かい日差しの中でのうたた寝。
眩しい。
また、新緑の季節がやってきた。
あの暖かい毛玉のかたまりにいた頃を思い出す。
次に目を閉じたら、またあの中に戻れる気がした。
そしてまた、あのあぜ道が目の前に広がるような。
女の子であった女性が、そっと頭を撫でてくる。
ごろりと喉を鳴らし、なうと鳴いた。


#15

弾丸オンデマンド

 淫乱しか取り柄がないからAV会社に就職したはいいんだけど、周りは学歴しか誇れるもののない頭でっかちのトンカチ男ばかり。一人試しにちょっと誘惑してみたら飛び上がってひっくり返って死んでしまった。情けないったらない。
 企画会議でもそう。普通のAVはもう売れないとばかりに変なアイデアばかり持ってくるけど、こいつらの考えるイロモノなんか過去の劣化コピーでしかないんだよ。第一自分でも良いと思ってないものを持ってきてるのがミエミエでそこにとにかく腹が立つ。AVのプレゼンしてるくせにアナル、やら騎乗位、やらの単語を口にする時だけ少し声が小さくなるやつがいて、てめえ中学生かよチンポ付いてんのか! と手を伸ばしたら本当に何もついてなくてこっちがびっくり。一部の人間は退化が進んでるとは聞いてたけどまさかここまでとはと思った。あの指先が階段を踏み外したような感覚は今でも忘れられない。
 誰にでも遠慮なく、かつ公平に意見をぶつけるあたしの評判は社長の耳にも入り、「君にメガホンを握ってほしい」なんて言われて。これ監督やってほしいって意味だったらしいんだけど、あたし淫乱でバカだからシモい意味で捉えてしまって、「一番上の人間がつまんないこと言わないでよ!」って思いっきり蹴っちゃった。うずくまって悶絶してる社長を見ながらだんだん事の重大さが分かってきて、ごめんなさいだか許してくださいだかわーだか叫びながらなぜか蹴った右足の方のミュールだけそこに脱ぎ捨てて、とにかく遠くへと思って中野から奥多摩?まで行って帰れなくなってメソメソ泣いてたらいきなり白いハイエースに押し込められて、これさすがにヤバいかもとなったんだけどよく見たら乗ってたやつら大体知り合いで、わー偶然ーとかみんなでゲラゲラ笑いながらお菓子食べたりお酒飲んだりしてそのうち仲良くなった人となんやかんやあって結婚して子ども二人産んだところでパッタリと性欲がなくなってただのバカになっちゃった。今は夫婦で登山にはまってます。


編集: 短編