第152期 #10
美人あふれる南青山を歩いていても、マリはとびっきり目立っていた。マリとすれちがった誰もがふりむいて、マリが視界から消えてしまうまで呆然と立ち尽くすのだった。このごろニュースにもなっている「あちこちで車が歩道につっこむ」怪奇現象も、歩道を歩くマリをみつめて我をわすれた運転手が運転まで忘れてしまったかららしい。
「歩く閃光だ」
マリのファンクラブを自認する男たちは口をそろえていった。マリはそれを聞いて笑った。きりりと涼しげな眼と開かれた甘い唇に男たちはメロメロになってしまって、皆が手にもっていた生ビールのジョッキを落としたものだから、ある夏のビアホールは大騒ぎになった。だがウェイターは注意ひとつしない。ウェイターもマリにみとれてジョッキをおとした一人だったからである。おまけに窓側にマリが座っているだけで、次々に客がやってきて店は行列ができていた。
マリはほっそりした長身だったが、男たちはマリの服の下に女神の体が隠されていることを感じ取る。事実マリの身体のあらゆるラインは曲線となっていた。
一方的に愛されることにある種の重苦しさを感じてしまうことも多い。マリの日常のほとんどは愛想笑いだった。唯一、心から笑える時間はスポーツクラブのZUMBAにあった。スタジオの前列中央で、太った中年のおじさんがマリと同じ時間に踊り狂っている。おじさんはいつもピンク色のムーミンのシャツを着ていて、頭はきれいにハゲている。
男性の誰もがマリに心を奪われるはずが、この中年おじさんはマリと目をあわせたこともない。ZUMBAの開始まで下着売り場にいる変態おやじのような違和感のあるピンクのおじさんが、曲がかかると突然笑顔になる。
マリは今日も生きているのに疲れていた。歩いているだけで世界中から視線を浴びせられ、自分が原因であちこちで追突事故まで起きている。色目からはじめる出会いには恋心もさめてしまう。そんなときマリは、あのピンクのムーミンを思い出す。踊っているときだけ彼が開放する表情をマリは細部まで思い出してみる。するとマリに優しい気持ちが戻ってくる。
その中年おじさん、コマツタネオはまさか南青山で一番美しい女に思われているとは知らなかった。この日も自分の醜さを憎み、世界中の女を呪い、唯一の楽しみのZUMBAが始まる時間だけを待って一生懸命、今日も駅を掃除して日銭を稼いでいるのであった。