第150期 #15

銀座、仁坐、魂坐

2011年3月スイスから帰国した吉田には地獄の日々が待っていた。日本を外から見続けた期間はまるで地球外から日本列島を凝視する経験したことの無い期間であった。戻って日本は計画停電が鉄道会社にも影響を及ぼし、通勤の足を奪い、物資不足、燃料不足が、物流を仕事としている、吉田の重大な障害となった。しかも海外から救援物資を送り、早く被災地へ届けろと、受け入れ態勢の整わない現地へ何を送りつけているのか、救援活動の真っ盛りの自衛隊基地に海外の軍隊からの緊急援助物資を搬送する、何を本当に必要とされているのかわからない物が数知れず、とめどなく成田空港に届いたのである。ありがた迷惑、まだまだ、救援隊を受け入れるかどうかの時期に人々の食糧にとか、生活物資が、国内での搬送もままならない時期に、道路も確保できず、帰りの燃料も確保できない、車両を送るわけにもいかず、様々なルートで届ける方法を模索の中で余震も数多く続く中、トラックをつけても降ろす場所も確保できないのに、何を目的に被災者にどうやって届けるのか、やはり、物資の戦略的供給、ロジステイックスは何を意味しているのか、長年携わっているにも関わらず、16年前の阪神淡路大震災の教訓は全く生かされていなかった。関東と関西の距離間でその当時もトラックを出して、高速料金が無料だからとこぞって動いたトラックがなかなか帰ってこなかった地域の温度差は、まったく感じられていなかったのと同じ状況であった。また、逆に日本の生産が止まったことで影響を受けるのが自動車生産である。世界中の自動車部品の物量で3割を、金額で半分を生産している自動車関連産業が1週間を経てパンクしたのである。日本の自動車工場が部品の供給を断たれ生産ストップに陥ったのと同様に、日本の部品供給が止まったことにより世界中の自動車生産がストップし、働き過ぎの日本の生産基地は24時間体制で生産を供給し非正規労働者で24時間生産を確保していたことが、この震災の結果世界中に実態を暴露することとなった。日本の自動車生産が滞ったは事実だが、代わりに引き受けれる、生産基地はこの地球上には全く存在しなかったのである。それにより世界一の盛り場、銀座はこの凄惨な時期にもかかわらず、全業界の特に東日本の地獄の日々を救うべく、大いに盛り上がった地獄の戦士の羽を休める最高の安らぎと戦闘に駆り立てる憩の場になったのである。



Copyright © 2015 Gene Yosh (吉田 仁) / 編集: 短編