第15期 #4

裸の男

 久しぶりの帰郷だった。
 固い背もたれの感触が懐かしい。私がこの散髪屋に世話になったのは中学の頃。目を閉じて聞くオヤジの声は昔のままだった。
「こんな町にもコンビニが出来て、商店街は寂れる一方だよ。どの店も年寄りばかりで後継ぎがいない」
「何処も同じです」
 オヤジの世間話は愚痴と同じである。朴訥な口調で、手先だけは別の生き物のように髭を剃る。
「そういえば」と私は、昨夜の奇妙な出来事を思い出した。
 真向かいの「鮨源」に鮨を食いに行くと、夕方だというのに客が一人しかいなかった。
「店主の源さんも店を畳もうと考えているらしい。あれだけ暇ではね」
 オヤジが口を挟んだ。
 それでも昨夜の客はいい客ではなかったろう。私と同じ草臥れた中年営業マンという感じで、なぜか一言もしゃべらない。
 目の前で鮨を握っている源さんも、ただむすっとしている。奇妙な雰囲気だなと思ったが、しばらくして、客の方が驚くべき行動をとり始めた。ネクタイをするりと外すと、上着を脱ぎ、シャツを脱ぎだしたのだ。
 源さんが見て見ぬ振りをしていると、男はどんどん服を脱ぐ。上半身裸になったかと思うと、ズボンまで脱ぎ始めたのだから尋常ではない。
「ばか者!」
 さすがの源さんも、ついに怒声を上げた。すると、裸の男は、何ともいえぬ笑顔になり、そのまま裏寒い店外へ出て行ってしまったのである。店は元の静けさに戻り、源さんは再び無口になった。
 奇妙なことだが、そこに一種不思議な厳粛さが漂っているようだった。
 ふと気がつくと、今の話を聞いていたオヤジの態度が少しおかしい。
「源さんが大声を上げたって…そうか、それはよかった」
 オヤジは、感動に震えた声を出すのである。私には何のことかさっぱりわからない。
「どういう事ですか?」
「二人は、親子なんだよ。ぐれて家を飛び出した息子が、勘当を解いてもらおうと何度も店へ通っていたんだ。源さんが怒ったのは、親が子をついに認めたという事だ」
「しかし、服を脱ぐことに何か意味でも…?」
「親と口をきくことが出来ないのだからしかたなかった。刺青を消すには、皮膚をやすりで削ったり、酸を塗って洗い流したりしなければならない。大変な根気と苦痛がいるものだ。親子の絆を取り返すために、あの子は一生懸命がんばったんだろう」
 かみそりを持つ手が止まったままになった。
 オヤジは自分の顔を隠すように、私の目の前を温かいタオルで包んだ。



Copyright © 2003 のの字 / 編集: 短編