第15期 #2

闇と田中

むかしむかし、田中という男がいました。ある日、田中は自分の机の下にある暗闇に入っていきました。田中は勇敢な男でした。暗闇の中をずんずんと進みましたのです。しばらく行くと、田中は暗闇に出会いました。
「真っ暗だな。」
田中は言いました。しかし暗闇は何も言いませんでした。そこで田中はまたずんずんと進みましたのです。しばらく行くと田中はまた暗闇に出会いました。周辺は真っ暗だったのかもしれません。
「どこもかしこも真っ暗だ。」
田中は辺りを見まわしたり、手を宙にすかせたりしましたが、何も見えません。田中はなんだか怖くなってきました。ずんずん、ずんずん歩いてもたどり着くのは闇、また闇。とうとう田中は座りこんでしまいました。田中は床に手を触れました。
「冷たいな。」
田中は言いました。田中はそこに怯えた気持ちであぐらをかきました。でも、時がずんずん進むにつれて田中は恐怖を感じなくなりました。なぜかお腹もへらず、眠くもなりません。だんだん田中は退屈になってきました。田中はランダムに歩き回りますのですがやっぱり行けども行けども闇ばかり。田中は退屈のあまり一人で喋るようになりました。
「おい闇。俺のことを話してやろう。」
田中は自分のこと。彼女のこと。家族のことなどを何回も何回も闇に話しました。田中は自分の知っている歌を全て歌いました。日本の国歌まで歌いました。そして自分でたくさん歌を作って、それを何回も何回も歌いました。

それから数千年がすぎても田中はまだ闇の中に座っていました。歳もあまりとっていなくて、すこし髭が伸びたぐらいでした。でも、田中はもうほとんど何も覚えていませんでした。たまに闇に向かって何かを話すのですが普通の人にはそれがただの叫び声のように聞こえるのでした。田中は彼女の名前を忘れ、父親と兄貴の顔の区別がつかなくなり、母親がいたことを忘れました。それに気づいた田中は涙を流しながら闇にむかって挑戦的に叫び声をあげました。

田中が最後に覚えていたのは自分の名前でした。
「田中雄三。田中雄三。田中雄三。」
田中は自分の名前を忘れまいとずうっと言い続けました。田中の名前がどんどん闇に吸い込まれていきました。時との競争の始まりです。しかし、時はずんずん進み、いつしか田中の声も聞こえなくなりました。闇がいままでに増して濃くなったような気がします。

私が地下室の電灯を消すと、辺りは深い田中でつつまれました。



Copyright © 2003 Shou / 編集: 短編