第149期 #18
私は妻を飼っている。今を説明するために、相応しい言葉は他にない。
妻はあるとき事故に遇い、そのときから動物になってしまった。
唸り、吠え、叫び、暴れ、噛みつき、走り回る女。
私の娘たち、妻の両親は皆、最初は私の憐れな妻を哀れみ支え、そして次第に倦み疲れ、最後には見捨てた。
今は私だけが妻と一緒に、家族が逃げた家に暮らしている。
朝、唸る妻に餌を与え、昼は妻を紐に繋いで柱に繋ぎ、夜は窓を板で打ち付けた寝室に妻を閉じ込める。
職場を定年退職してから、そんな暮らしをもう三年続けている。
事故の前の妻は良家の子女という言葉で示せるような、優しく聡明で穏やかな人だった。だけれども、その妻だったときの貯金はもう尽きて、獣の妻は負債でしかない。
他所の人に迷惑をかけないよう、縛って、塞いで、しつけて。何もしませんように。何も悪いことをしませんように。
いっそ事件でも起こしてくれれば、いっそある朝死んでいてくれたら、あるいは私が死ねたなら。
最初の頃のそんな気持ちは毎日の中で次第に枯れて、時間はかさかさと過ぎていく。
ある日の夕方、私は妻の部屋の施錠を忘れたまま居眠りをした。あるいは、わざと忘れたまま。
妻は喜び勇んで外に駆け出していき、公園で遊んでいた子供の指を食いちぎった。
妻を野放しにした私への批判は凄まじいものだった。
妻を野放しにしないために私が普段妻をどう躾けていたか、それを見せると批判は一層強まった。
私は申し訳なさそうな顔をして誰にでも謝ったが、内心はどうでも良かった。これで妻がどこかに去るなら、今がマシになるかもしれないとは思った。
なのに妻は病院にも刑務所にも行かないまま家に帰ってきた。私は唖然とした。つまり、世の中が、妻を家に戻していいと、そう判断したのだということに。
妻は相変わらず獣のままだ。日々の変化はあるけれど、良くなることはまるでない。
私は今日も妻を飼っている。飼育の先の、答えは見えない。