第149期 #17
スイス、ジュネーブはまだ、冬。国際会議はヨーロッパ各国が多勢で次に新興アフリカ各国が多くアジア人はごく少数。しかし20名ほどは各国代表でいたか。会議全体は300名ほど、加盟国100各国強の数名参加であったが、日本からは2名。最初に臨んだ、アジアの地域会議では、日本へ追悼の黙とうから開始、よく参加してくれたとの議長の問いかけに謝意を示した。しかし、放射能の問題は特有の疎外感を培うものであった。4日間の滞在中、CNN,BBCのニュースを毎朝、毎晩食い入るように凝視する。10000km以上離れた極東の一国の放射能汚染がかなりの時間を割いて報じられている。チェリノブイリ事故の際、欧州各地は放射能の数値管理、食料品の放射能汚染の数値など、これから日本が経験する慣れない放射能の数値を汚染という見えない恐怖に打ちひしがれる数年間を誰が予想しただろうか。家族を置いてここ欧州に出てきてよかったのだろうかと不安の毎日であった。最終日夜、ジュネーブの街に出ると、とある広場にキャンドルが大量に設置され、God Help Japan, God Bleess Japanの祈りの場がこれからその日本に帰らなければならないのだ、と気持ちを引き締めた。
翌日3月23日ジュネーブ空港は混雑なし往路の経路をたどり、香港で乗客は乗ったままクルーのみ交代でやはり18時間のフライトは往路と違い、Cクラスは2名のみで結果、スイスからの便は誰も日本に来る人間はいなかったのである。帰国後も各国からの支援、もの、人は大きな波のように日本の各空港、港を繰り返し打ち寄せた。救援隊の使命を受けた勇敢な戦士以外は文句も言わぬ貨物である。吉田は祖国なのに家族もいるのに帰りたくないと思っていた。そんな気持ちとは正反対に貨物は整然と、被災地へ輸送される時を待っていた。東京から関西、福岡へと事務所を移転した外資系企業の対応と、日本はどうなるのか、そんな殺伐とした気持ちをこの銀座は、夜の猛者どもを受け入れてくれるのである。震災から2週間後、吉田はその華燭の街にいた。昼間、白日にさらされる心の機微をすべて覆い隠す世界であることには間違いない。スイスで飲んだスコッチのロックより、ここ銀座で飲む、日本のウイスキーをまる氷のロックの味は世界の最高水準の味である。日本は閉鎖的で踏み入れ難い世界があるとよく言われる。しかし、それも日本の味である。