第149期 #10

白粉

 墓地の入口の提灯の下には女がひとり立っている。
 家康は金を払ってその女を抱く。
 母の記憶を辿りながら家康は絶頂を迎える。
 女の出した麦茶を飲んだ家康は急に睡魔に襲われる。
 目が覚めると朝である。そこは母の墓前であった。

 橙色に灯をともす提灯の光が余計に辺りを暗く見せ、白粉を塗った女の顔はほぼ見定められなかった。顔は見えなかったが、その女は家康の死んだ母より明らかに歳上である。それでも家康は酔った勢いも手伝ってその女を抱いた。多少手荒に扱っても、女のどっしりとした腕や足、胴などはびくともしない。こちらは金を払っているのだからな、と自分の正当を心の中に叫んで、家康がよだれを垂らしながら嗅いだ海の女独特の潮の匂いのする髪には、わずかに白粉の香りが混じっていた。
 港から歓楽街へ続く坂を上っていく。坂の突き当たりには客引きの女が闇の中に立っている。くゆらした煙草の火だけが、まわりの提灯のせいで暗くなった闇の中で小さく息をして。交渉はあっけない。指五本は五千円であり、そこから指の本数を減らして値踏みをする勇気を家康はまだ持ち合わせてはいない。週に一度、溜まったものをはき出すために家康はこの歓楽街へと通う。散財ではない、と女への道すがら家康は鼻歌のように呟くのである。
 母が死んでからは祖母が母親がわりであった。祖母は金曜の夕方になると白粉をして出かけていく。小学生だった家康は寝たふりをし、布団の中で玄関の戸の締まる音に聞き耳をたてた。そんな日は決まって父親が味の濃い、不揃いな野菜炒めを作ってくれた。祖母は明け方まで帰ってはこない。
 家を出た家康は、ぎらぎらとした瞳でやみくもにさまよい、喧嘩ばかりを繰り返した。何者かになってやるという根拠のない恐怖に付きまとわれ、それを払いのけるように酒と煙草をあおり、結局は隣町で父親と同じ海の仕事に就いた。この世界は蟻地獄である。もがいてももがいても外の世界へは出られない。それは土地であり、血縁である。呪縛を知った家康は喧嘩をすることにも虚無を感じたが、それでもはき出すものは尽きなかった。
 中に出しても良いと言った女の腹の上で家康は絶頂した。行為の後、ぬるい麦茶を出す女の顔は闇の中で、この意気地なし、とにやりと笑ったように見えた。明日の朝、母の墓前へ花を手向けようと家康は誓った。



Copyright © 2015 岩西 健治 / 編集: 短編