第147期 #4

研ぎ師のおじいさん

 中学生の時だ。夏休みに1人で祖母の家に行った。祖母は祖父が亡くなってからも1人で住んでいた。
 最初の数日は物珍しかったが、すぐにやることがなくなり、縁側で読書するようになった。

「商店街で買い物してくるからお留守番しておいてね。研ぎ屋さんが来たら、お台所に出しておいた包丁を研いでもらっておいて」と祖母が声を掛けた。そして、縁側に私の分の西瓜を置いていってくれた。

 しばらくして、玄関の呼び鈴が鳴ったと思ったら、庭におじいさんが入ってきた。右肩に長方形の木箱を乗せて、左手でタライを抱えていた。

「こんにちは。良子さんはいるかい?」とその人は聞いてきた。

「買い物行った。研ぎ屋さん?」と私が聞くと、そうだよ、と答えた。私は、祖母に言われたとおりに包丁を渡した。包丁は6本もあった。

 その人は、縁側に木箱から灰色、黒、茶色の研ぎ石を次々と出し始めた。水を頼まれたので、薬缶を抱えて台所と縁側を何回か往復した。そして縁側でまた読書の続きをした。

「これは嬢ちゃんの仕業かな?」と言って、縁側の石段を指差した。そこには、私が吐き出した西瓜の種が散らばっていた。バツが悪くなった私は、黙って頷き、そのまま本に戻った。

 すりガラスを爪で引っ掻いたときのような音が響く。読書に集中できなかった。

「お嬢さんは、良子さんのお孫さんかな?」と聞かれたので、そうだ、と答えた。名前も聞かれたので、名乗った。

「大きくなったら、何になりたいんだい?」と聞かれたので、まだ決めてない、と答えた。

「そうかい」とおじいさんは言って「大人ってのは、包丁のような人と、研ぎ石のような人がいるんだ。お嬢ちゃんは、どっちになりたい?」と聞いてきた。意味が分からない質問だった。その時、私はなんと答えたか覚えていない。ただ、へぇ、そうなんだと思った。

 大学に行き、彼氏が出来た。そして大ゲンカをして別れた。私は彼にひどいことを言った。しばらく、私は包丁のような人だったんだと、後悔をした。

 仕事に就いた。営業の人のサポートをする仕事だ。自分は、研ぎ石のような人だったのだと思えた。

 私自身も変わっていく。包丁のような人、研ぎ石のような人という私の解釈も、意味付けも変わっていく。

 結婚をした。夫との生活を始めて、台所で毎日包丁を使うようになった。包丁はステンレスが普及し、研ぎ代を払うよりも、新しいものを買った方が安い時代になった。寂しく思う。



Copyright © 2014 池田 瑛 / 編集: 短編