第146期 #5
ためらいながら橋を渡り始めると、中学生くらいの少年が駆け寄ってきて言った。
「おまえは不幸になる。」
その時の純朴な明るい笑顔は、脳裏に残っている。
その町の由緒ある家の娘とつき合っているというだけで、わたしは罰当たりみたいであった。
昭和も50年に差し掛かろうとする頃、旧態依然とするそんな風景が残っているとは、当時のわたしには驚きであった。
都会で育ったわたしには、戦争のあとの荒廃した街並みは一番遠い記憶。
だが、この地方では大して戦争は傷跡を遺さなかったのだろう。
自ずと流れる歴史や時間も、違うものにとなる。
学校で教えるものが本当とは限らないと知ってはいたが、直に感じたのははじめてだった。
この町では戦争は、老人の昔話。
耳を傾けて静かに聞くだけの、そんなものであった。
ある日、彼女は言った。
「わたしは、この町を離れたくないの。
あなたから見たら何もないかもしれないけど、そうなの。
だから、あなたと一緒になることはないわ。」
彼女の言葉は逞しく、大きなものを背負っているみたいにみえた。
その横顔は夕陽に染まって美しく、それが彼女だった。
何年かつきあったあと、しだいに疎遠になり、別れた。
もう何十年かぶりに、わたしはここへと来た。
そして、知ったこと。
彼女は結婚をせずに子供を産んで、四十代のはじめで死んだということ。
わたしは結婚をしたが、子供に恵まれずに離婚にと至った。
子供のことだけが原因ではないが、それもあるだろう。
あの橋で少年がいった言葉、「おまえは、不幸になる。」
わたしは、世間一般にはそうなのだろう。
先の短い自分の人生を感じながら、彼女がこの世界に居ないことが、無性に淋しかった。
そして自分の他愛もない不幸を、嗤った。
涙が、少しだけ流れた。
久しぶりだった。