第146期 #14
空から落ちてきたのは、作ったばかりの雑巾のような汚れのない存在だった。程良いごわごわとそれでも優しい肌触りと、それが誰かの優しさを伝えてくるような。見上げるとたくさんのそれが、ふわりと雪が舞うみたいに、ミサイルの光を遠くで捉えた現代戦争の映像みたいに、音のないヘリコプターが大挙して押し寄せたみたいに。淡い空を背景にアホウドリの灰色の翼がはためくみたいに、いくつものそれが静かにゆっくりと降った。
あの人の家には鍋はあるけど冷蔵庫の中にはマヨネーズがない。鍋つかみはたぶんあるけど、どんな柄だったか覚えていない。もしもドラえもんの手だったら困る。そこの角を曲がったところにクリーニング店があって、同じ軒先にお饅頭なんかを売っている。確かどら焼きもあったはず。どら焼きを買って行こう。四つくらいあったら良いだろうか。そうかもしれないけど十二個ぐらい持っていきたい。そんな気分だ。
交差点には自動車が三台。先頭が黒の四駆で、その次が白の軽、それからスポーツタイプの車。別にカーに詳しいわけではないので、どういう車なのか分からない。色もどう言ったらいいのだろう。メタリックと言ったら何か伝えたことになるのだろうか。車には人が乗っていない。信号も変わる気配がない。辺りにも何の気配もない。動いているものが何もない。
トンネルは緩やかに傾斜していて、奥に行くほど少しずつ下っていく。真ん中あたりまで来れば今度は上向きに変わるのだろう。まだ下りの終わりは見えない。トンネルの電灯はだんだん間隔がひろがってきて、ちかちかチカチカと明滅を繰り返している。オレンジ色、暗い青色、ときにはどす黒い赤色に、心臓の鼓動が変わるのに合わせるように、正確に時を刻む秒針のように、台風の前の日の耳鳴りのように、軽薄に断固として電灯は明滅を続ける。
位牌に書かれている文字は読めない。誰にもらった名前なのか。線香はもう三年は燃えつづけている。仏壇は博物館の地下にあって、地下室の入り口は隠し扉になっていて、ミイラの棺のふたを開けるとミイラが寝ていて、ちょいとごめんよ、なんて干からびた遺体を半分転がし、暗証番号を入れようと思ったらそれが思い出せない。スマホにメモしてたかなと思ったらスマホのロック解除が思い出せない。そういえばどこに行こうとしていたのか思い出せない。どこにいるのかも思い出せない。帰りたいけど歩き方が思い出せない。