第143期全作品一覧

# 題名 作者 文字数
1 トイレノ花子 岩西 健治 922
2 病室の植木鉢 池田 瑛 1000
3 無題 白熊 1000
4 りんご qbc 1000
5 口さみしい獣 たなかなつみ 522
6 俳句 ロロ=キタカ 1000

#1

トイレノ花子

 大岩花子(二〇〇一年に溺死。死亡当時九歳)一時、事件性も考慮した警察だったが、近隣証言、現場状況、検視から考え、用水路に誤って落ちたことによる事故死として結論づけられた。

 低い植え込みの先には刈り込まれた芝生があり、芝生の中程には岩で組まれた造園の小さな滝があった。岩の割れ目からは人工の水流が一本流れている。芝生を区切る一番奥の植え込みを越えるとアスファルトの舗装路。その先にはグラウンドがあり、ドッジボールをやる低学年の群れが小さく見える。
 なるべく悟られない仕草で理科室前の側溝に小便をした君の額にひと滴、雨だと思って少し顔を上げると体育館に繋がる廊下で唐突に女子の笑い声が聞こえた。咄嗟に体を小さくたたむ君の全身の熱気はそれでも外見から十分に判断できた。サッシを触った砂っぽい手を半ズボンで交互に拭うその間、意思とは関係なく、君の放物線は不規則に揺れ続けたままにある。
 どうしても学校の便所を使うことができなかった君に質問。
「何故かって? そりゃ、花子さんがいるからだよ」
 不思議に思う君。そして、みんなに訴えかける君。
「クラスのみんなは何故、花子さんを気にしてないの?」

 そんな小学校も地域学区の統合で、君が大学に入る前にはなくなってしまった。大人と言われる年齢になった君は自宅から二駅離れた場所にアパートを借り、学校を追い出されたわたしは君のアパートへまんまと転がり込んだ。
 わたしと便所に二人きりになっても平気でいられるようになったのね。そして、便座に座った君の前に向かい合ってしゃがむわたしの手を求める。
「随分とひたひたすべる君。でも、わたしは玩具じゃないのよ」
 乾いた岩肌が少しづつ潤され、やがて内部へ溜めきれなくなった水分が幾筋もの細い糸となって辺りをつたい始め、「バレなきゃいいよ」と言った君の吐息がかかる。
 額にかかった滴が雨だったのか、滝の水だったのかの答えを君はまだ見つけてはいないようね。けれど、わたしを突き落としたときの感触は今もその手の中にあるでしょ?
 校舎を分断する程大きくなり勢いを増した滝はわたしの、背中にある君の手の感触をいつしか洗い流してくれるのでしょうか。それとも、呪い殺す方が先なのでしょうか。


#2

病室の植木鉢

「この花、萎れてしまったわね」と母が、テレビの横に置いてある紫色の桔梗を見て言った。母の手には林檎。剥かれた皮は、螺旋を描きながらゴミ箱へとつながっている。

「水は毎日替えてたよ」と私は口を尖らせて言った。

「じゃあ、明後日、新しいの買ってくるわ。何がいい? 」と母は聞いた。
 母が買ってきてくれたアロエヨーグルトを見て、私はアロエが欲しいと言った。

 我ながら馬鹿だと、母が帰ってから後悔した。

 ・

 2日後、母はアロエの植えられた鉢を持って、見舞いに来た。

「鉢は、本当は良くないのだけれどね」と母は申し訳なさそうに言った。

「ありがとう。これ、切って食べたら美味しいのかな? 」と私は用意していた言葉を言った。母がアロエを買ってくると、私は確信していた。

「ごめんね。食べれるのは別の品種なの。鑑賞用のしか売っていなかったの」と母は言った。母は、アロエヨーグルトを見て、私がアロエを欲しがったということを承知していたのだろう。

「ふーん。残念。でも食べちゃうのはもったいないしね。そうだ、退院したら一緒にどこかへ植えに行こうよ」と私は言った。母と私が暮らしていた、陽当たりのないアパートではこれを育てられないだろう。

「そうしましょうね」と母は言った後、「ごめんね。今日はまだ仕事の途中なの。もう行かなければならないわ」とだけ口早に言って、病室を出て行った。きつい事言った。ごめんなさい、お母さん。

 母が病室から出て行ってすぐ、向かいのベッドから「見舞いに根付くもの持って来るなんて、お前の母さん、非常識だな」という声がした。先日、バイク事故で足を骨折して入院したとかいう金髪の人だ。看護師さんに何度注意されても、ピアスを付けたがる変な人。

 非常識はお前だ。何が「付けてないと、塞がっちまうんだよ」よ。耳を塞ぐとかの前に、骨をつなげてさっさと退院してよ。

 私は、ベッドのカーテンを閉め、彼が視界に入らないようにした。

「おい。母が母なら、娘も娘だな」という声が聞こえたけど、無視。

 父と離婚してから、ずっと仕事で朝から夜まで働いていた母が、私が熱中症で倒れただけで、頻繁に見舞いに来るなんておかしいじゃない。夏休みも入院して安静にしていようねって言う、お医者さんの説明も変。母は今、きっとどこかで泣いている。私の病気は治らない。入院しながらでも私に生きていて欲しいっていうことだよね。そういうことだよね、お母さん。


#3

無題

 白の制服を着た女の子が二人、腕を組み合って道を歩いていた。片方が笑って相手に身を預ければ、もう片方も笑って身を傾けた。校則ぎりぎりに合わした二つの短いスカートが跳ね、声が響く。気付けばこういう女子高校生も少なくなった。
 うちを出た女は歩きはじめたが、足はどこへ向かっているのか定かでなかった。鞄を持たずに出歩く女は珍しい。ラッシュは過ぎて、通りの流れも落ち着きを取り戻していた。いつもと違う道を歩いていいと、頭はそれに気付いている。無意識に足は習慣をなぞる。今までも決めていたわけでないのに、毎日同じように歩いていた道。途中、道を渡って反対側の歩道を歩いた。逆の歩道から自分の歩いてきたほうを見た。
 いつもと同じ道をなぞったために毎日利用していた駅に着いた。足に任せて向かえばここかと、幾らか女は自分にがっかりした。今日は定期券を持っていなかった。行きたい先もない。改札の前を通り過ぎて、奥の出口から外に出た。
 小さな商店街、この街に引っ越してきてから、こちらにはあまり来たことがなかった。左手には赤いくすんだ提灯の居酒屋が、右手には開店前の小さなパチンコ屋があった。夜の遅い店はどこもまだ眠っていた。左手奥の八百屋が軒先に野菜を並べていたが、人の姿は見えなかった。朝の家事をやっつけて、急ぎ足でおそらく電車に乗ってパートに向かうおばさんが駅のほうへ歩いていった。両脇に並ぶくすんだ店。少し左へ蛇行しつつ、駅へと向かう一本道のシャッター街が、川の姿に重なった。
 ペルシャ湾に注ぐユーフラテス川、始まりはメソポタミアから起きた、川沿いに並ぶ古い営み――。
 ――自分の頭のどこからこんな言葉は浮かんできたのだろう。いつもと違うところに足を踏み込んだためか。女は自分のらしくない思考を不思議に思った。
 先に見える黒壁の店のドアが鳴って開いた。深い皺の顔の女で、櫛を通していない金色の髪をカチューシャで押さえ、体には長く着た黒のドレス、薄い唇に煙草を挟んでいた。両手で持ち上げた、白地に黒の大きく店の名前の書かれた内側の光る看板を出し、そして営みをなぞるようにして箒で塵を掃き始めた。自分と違うところに生きてきた女だった。嫌悪感は抱かなかった。おそらく自分の母親と同じ年頃だ。
 商店街の真ん中に立ったまま、周りを見た。その女の他は何も動いていなかった。遠くのほうでホームの電車の出発を告げる音が鳴っていた。


#4

りんご

(この作品は削除されました)


#5

口さみしい獣

 それは空から降ってくる。
 ひとつ口に入れると、ほわんと体が浮き上がる。
 どんどん空から降ってくる。
 ふたつ口に入れると、ほわほわんと体が浮き上がる。
 少しずつ、少しずつ、空へ空へと浮き上がりながら、それで自分はどこに行きたかったのかしらと考える。
 考えたとたんに、すとんと体が小さく沈む。あわてて両手いっぱいにつかんで口に詰め込む。ほわほわほわんと体が浮き上がる。
 子どものころに空を飛んだことがある。見えない階段をひとつずつ昇って、わくわくしながら風に身をゆだねた。風はわたしを遠く遠くへと運び、そのまま一挙に吹き戻した。足の裏に感じるじっとりと湿った土。自分はこのままここで生きていくのだと、そのとき思った。
 あれから何年も時が過ぎ、わたしの体は大きくなり、しなびた手と傷だらけの足をもっている。それ以上のものを求めていたわけではなかったのだけれども、空から降ってきたものを目にしたとたん、それを口にせずにはいられなくなった。
 口に詰め込んで詰め込んで詰め込んで、どんどん地から遠くへと浮き上がる。別に行きたいところがあるわけではない。行かねばならないと思っているわけでもない。
 ただ、口いっぱいにほおばりたいだけ。なにも考えずに、ただ。


#6

俳句

裏庭のただ一本の茶摘かな    他人の句
 誰の句かは分からないが季語は「茶摘」。春の季語ですよ。関連季語として「一番茶」「二番茶」「茶摘時」「茶摘女」「茶摘唄」「茶摘籠」「茶摘笠」「茶摘時」などがありますが、「新茶」は初夏の季語です。気を付けましょう。でも紛らわしいですね、「茶摘」はだいたい八十八夜の頃から始まりますが八十八夜と言うのは立春から八十八日目、だいたい5月初め頃、5月2日ぐらいに当たります。なので暦の上ではもう立夏がね、5月6日頃に迫って居るでしょう。春の季語とは言え、晩春も晩春で、「茶摘」と言うと春の季語だが、もう初夏の馥郁たる薫風が匂って来そうじゃありませんか。
 私は今、俳句学園俳句科で勉強して居る。講師の名は葉意句木語と言ってまるで句作する為に生まれて来たような男だった。みんな親しみを込めて「くきごさん」と読んで居るがフルネームで「俳句季語」と読めて仕舞う名前で偶然とは言え、この男は本当に俳句をやるために生まれて来た男なのだ。名字は「葉意」名前は「句木語」。「はい」と言う名字は日本語では珍しいかも知れないが全然ない訳ではない。
少年の感情線へ蝌蚪落とす    他人の句
 季語は「蝌蚪」で春です。オタマジャクシの事ですね。「数珠子」と言うのも有りますね。蛙の卵です。これも春の季語。うーんちょっとつまらないですね。ちょっと気分一新して有名な俳句を並べて見ましょう。
天日のうつりて暗し蝌蚪の水    高浜虚子
この池の生々流転蝌蚪の紐 高浜虚子
川底に蝌蚪の大国ありにけり    村上鬼城
蝌蚪一つ鼻杭にあて休みをり    星野立子
飛び散つて蝌蚪の墨痕淋漓たり   野見山朱鳥
焼跡に蝌蚪太りゆく水のあり    原子公平
かたまつて生くるさびしさ蝌蚪も人も 島谷征良
蝌蚪の国黄(くわう)厚き日をかゝげたり 小川軽舟
蝌蚪一つ寄りきて一つ離れけり   森賀まり
蝌蚪の紐継目なきこの長きもの   右城暮石
心ざし隆々たりし数珠子かな    大石悦子
水ゆれて蝌蚪の生誕はじまりし  藤崎ひさを
どうです?結構あるでしょう。ちょっと休憩入れましょうかね。
 葉意先生の講義は一先ず小休止した。この人の兄は弟と違いアメリカ人を母に持つ異母兄弟で、葉意クック・ローと言うのだが、日本語に直すと「俳句作ろう」と読めてしまうので、やはりこの人も天性の俳人であり俳句講師であるのだろうと、私は本気で思って居る。


編集: 短編