# | 題名 | 作者 | 文字数 |
---|---|---|---|
1 | 桜謡 | 池田 瑛 | 985 |
2 | 余計な地蔵 | ドン・ゲッスー | 616 |
3 | 僕は君で君は僕。 | ふーま | 960 |
4 | 黒海 | xxx | 135 |
5 | 矛盾・ジ・アンサー | アンデッド | 981 |
6 | 手向け | あお | 612 |
7 | The man on fire | 佳樹 | 419 |
8 | 故郷 | まんぼう | 987 |
9 | 三角地帯 | 岩西 健治 | 950 |
10 | 小さな駅のロータリー | かんざしトイレ | 1000 |
11 | 嘘 | 戦場ガ原蛇足ノ助 | 986 |
12 | 子供たち | こるく | 1000 |
13 | 森を飼う | たなかなつみ | 369 |
14 | 爛夜花 | 吉川楡井 | 1000 |
15 | 俳句の季語 | ロロ=キタカ | 489 |
16 | 愛の夢 | 白熊 | 1000 |
見事に枝垂れ桜の下にビニールシートを広げた。桜の花びらがシートに落ちていく。
今日は、桜木産業の一大行事となっている花見の日で、この行事の幹事。会場に向かうバスの手配、寿司の注文、場所取りなどをしなきゃならない。
僕は、酒類、寿司のセッティングが完了した後、シートの上に大の字になった。立っている状態なら手を伸ばせば届きそうな枝垂れ桜も、寝転がってしまうとずいぶん遠いように感じる。
「あの、すみません」という声で僕は目を開けた。僕よりも若い、二十歳前後と思われる和服の女性がシートの外に立っていた。僕は彼女を見上げる形になった。
「花見の会場はここでしょうか? 」と、彼女は言った。
「はい、そうです」と、僕は慌てて起き上がり答えた。数枚の花弁が僕の体に落ちていたようで、何枚かの花弁が再び舞った。
「これを桜木さんにお渡しください」と、彼女は言った。彼女は、桜色の布地に、桜の花びらの刺繍のある振り袖を着ていた。彼女は大きな笹の葉の包みを差し出した。僕は、それを受け取った。花見に来るのに、桜の和服なんて、ずいぶんな人だなと僕は思った。
その後すぐに会社の人達が到着した。乾杯の音頭の後、社長にビールを注ぎに行くついでに、受け取った笹の葉の包みを渡した。ちなみに桜木産業の社長は、名字が桜木で、当然の如く創業者一族で、2代目だ。
「ああ、ありがとう。和服を着た人からの? 」と、桜木専務は言った。
「はい。そうです。5時くらいにお越しになられてすぐに帰られました」と僕は説明をした。
「ああ、いつもそうだよね。これは父の墓に、明日届けるよ」と、専務は言った。
「先代のお墓にですか。その中身って何なんですか? 」
「桜餅だよ。父の好物。この花見の日に差し入れられる桜餅は絶品らしい。僕が子供の時に、頂戴と言っても絶対くれなかったからね。会社はいつかお前にやるが、この桜餅は葉の切れ端一つやらん、と言われたこともあるよ。そこまで父が言った桜餅だから食べてみたいというのが本音だけど、流石に故人の物を失敬する訳にはいかないからね」と言って社長は笑った。
そして、「そんなことより幹事ご苦労様。まぁ一杯」と、社長は僕のコップにビールを注いだ。僕はそれを飲み干した。
花見が終わり、一通り片付けが終わった後、一人でこの枝垂れ桜を眺めた。人の心を惑わすような、そんな美しさがこの桜にはあった。
ある町にある昔からあると言われている地蔵。
名は「世型地蔵」
ある武士は「どんな人でも一撃で倒せる刀をくれ」と願った。
翌日武士が起きると側に一本の刀があった。
しかしその刀の重さは約一トン。
地蔵はどんな人でも一撃で倒せるが扱えない刀を武士に与えたのだった。
ある受験生は「合格祈願」をした。
受験生は見事受かった。
すべり止めの私立に。
そんな感じで余計な物までもたらす為
いつしか地蔵は 漢字を変えられて
こう呼ばれている。
「余計地蔵」と。
佐藤という男はある日余計地蔵に願った。
「バレンタインデーにダンボール五個くらいのチョコをください、もちろん可愛い同年代の女の子から本命で、俺の周りを愛でいっぱいにしてくれ!」
余計地蔵の噂を聞いていたので念入りに細かく願った。
翌日バレンタインデー。
佐藤はインターフォンの音で目が覚めた。
「きたぁぁぁぁぁ!!」
勢いよく扉を開けると配達員が重そうにダンボールを五個もっている。
「お届け物です」
「着払いじゃないですよね」
配達員は怪訝な顔をしながら首を横に振った。
「ありがとうございましたー」
配達員が帰った瞬間に佐藤は部屋いっぱいのダンボールを開け始めた。
「この箱は愛佳ちゃんからかー、こっちはー」
天井は三つ目のダンボールで違和感に気づいた。
「まさか!?」
急いで配達員から貰った紙を見た。
そこに書かれていたのは。
[差出人 愛佳]
ただ、それだけだった。
知ってる?僕は君で、君は、、、
僕なんだよ?
俺は階堂タクト、中学3年。
今年は受験を控えている大事な年だ。
そんな俺はクラスのなかで中心的存在。
リ「カナトくん?」
俺の友達、リクがまたカナトをいじめてる。
リ「カナトくんコッチ来なよ。」
リクがカナトの服を引っ張る。
カ「っ、」
リクは無理やりカナトを教室から連れ出す。
そして、リクはすぐに1人で戻ってきた。
タ「リク、面白かった?」
リ「あいつ馬鹿だな」
タ「俺も見に行ってくる」
リ「男子トイレにいるぞ」
タ「さんきゅ。」
俺は男子トイレへと向かう。
男子トイレにつくと、びしょびしょでうずくまっているカナトがいた。
タ「いい気味だな、立てるかよ?」
カ「僕は、、で、君は、、なんだ。」
タ「は?」
カナトは小さな声で何かを繰り返し言う。
カ「僕は、、君で、君は、、」
タ「訳わかんねぇよ!」
俺はつい、カナトの襟を掴み無理やり立たせる。
タ「言えよ!」
俺は力任せにカナトを殴った。
カ「うっ」
タ「言えっていってんだろ!」
するとカナトは今度は、はっきりと言った。
カ「僕は君で、君は僕なんだ。」
タ「は?」
カ「そんなに殴りたかったら殴りなよ。タクト。」
タ「っ、このやろっ、」
俺はカナトを殴り続けた。
タ「はぁ、はぁ、、」
冷静になってきて、殴るのをやめる。
が、
カ「、、、」
カナトは動かない。
タ「カナト?」
カ「、、、」
自分が何をしてしまったのか、
頭の中が真っ白になる。
タ「俺じゃないっ、」
俺は逃げた。
そして翌日、
母「タクト、大事な話があるわ。」
タ「なんだ。」
母「実は、貴方に出ていってほしいの。」
タ「は?なんで?」
母「貴方は、病院で取り違えた子」
タ「な?!」
母「本当の子は、今は階堂カナトっていうの。」
タ「カナト、」
母「知ってるの?」
母「とにかく出ていって。」
タ「ちょ、待てよ!」
父「お前は階堂の子供でない。」
父「そんなやつ、家に置いておけるか。」
タ「なんで!」
父「出ていきなさい。」
俺は父に家を追い出された。
そして、俺は今死を迎えようとしていた。
俺は急にこの路地で倒れた。
もうだめだと思った時、頭上から声が聞こえた。
「タクト」
タ「カナト」
もう目を開くこともない。
「だから言ったのに」
意識が遠くなっていく。
「僕は君で、君は僕だって、」
そこで俺の意識は途絶え、深い眠りについた。
そして、俺はその 眠りから覚めることはなかった。
黒海とは、アジアとヨーロッパの狭間にある湖で、
塩分濃度がとても高く、入ると体が浮くそうだ。
この海は、今こそ観光地として有名だが、戦地にもなったそうだ。
そのころの黒海は、自分が後々観光地になることに気づいていたのか。
俺は黒海が好きだから、
もう戦地にはなってほしくないなぁ…
「類い希な武具があると聞いて来た。噂は本当か?」
漢は店内に入ると豪快に尋ねた。体躯逞しく如何にも武威が迸る姿である。
奥から首飾を付けた店主が現れた。
「本当ですとも。ご覧になられますか?」
「見せてもらおう。俺は楚軍で千人隊長をしているが武具を新調したい」
「少々お待ちを」
楚の都、郢。郢の繁華街近傍にこの武具店はあった。名を麒麟堂と言う。
漢は店内に並ぶ武具を眺めて待った。店主が戻る。手には古めかしい矛と盾。
「此方がその武具で御座います。この矛はあらゆる盾を貫き、盾はあらゆる矛を防ぎます」
矛には応龍の装飾、盾には霊亀が描かれている。漢は矛と盾を見比べ思案、数瞬後ニヤついた。
「ではその矛でその盾を突いたらどうだ? 主の説明では道理に合わんから金は払えん」
青銅の貝貨を取出した漢は貝貨を宙へ弾き、落下中に掌で掴む。得意顔で漢は話し続けた。
「先日も露天商が同じ文句で武具を売ろうとしていたが、客に責められていた。主も同類ではないのか」
店主が安穏な声で答える。
「私の武具と一緒にされては困ります。では店終い後に矛と盾を打ち合わせてみせましょう。貴方のお力も拝借したい」
「面白い。だが謀ったら只では置かんぞ」
*
鴉が鳴く夕刻。麒麟堂裏手の空地に二人の男が集った。
中央に店主。右方には矛を持った漢。盾を持つのは木と藁で出来た人形。
漢は矛を一振りする。手慣れた動作。刺突の構えを取る。
漢は気合の声を上げた。
駆け出す。全力で踏み込む。
剛腕から繰り出された矛先が蜂の如く盾を突く。
矛先が盾の表面に刺さり柄が撓ると、そのまま矛が盾を貫いた。
刹那、矛が押し返された。穴の空いた盾が復元していく。
漢は操り人形の様に後ろ歩きで元の位置へ戻った。
鴉が鳴く夕刻。空地に二人の男が立っていた。一人は矛を持ち声を上げ、人形が持つ盾を突く。
鴉が鳴く夕刻。矛を持つ男が人形の盾を突こうと構えた。それを眺めるもう一人の男。男は鳳凰の装飾が施された首飾を摩った。
鴉が鳴く夕刻。矛が盾を貫く。盾は貫かれた事実を無にする。
鴉が鳴く夕刻。矛と盾の存在を両立させる為、永久に時が繰り返す。
一つの世界が壊れた。
◆
別世界の麒麟堂に客が訪れた。
客は鳳凰の首飾に興味を持ち、店主に尋ねていた。
「私の御守りみたいな物です。これだけは売り物ではないのですよ」
店主が破顔した。
俺はいつも親の顔色を伺っている子どもだった。
親が途轍もなく怖くて嫌いだった。でも愛していたし、愛されたかった。
その矛盾した感情で潰れてしまいそうだった。
そんな俺を気にかけてくれた唯一の人はミカ先生だった。
「リュウくん、お母さんが来るまで先生と一緒に遊んでよっか」
先生の微笑みは俺に親の迎えを心待ちにさせながらも、永遠に来なければいいと思わせた。
どんな顔だったのかもよく覚えていないから、写真を見せられても首を傾げるかもしれない。
そう思っていた。彼女と再会するまでは。彼女の遺体と再会するまでは。
彼女は俺が小学三年生の時に死んだ。
呼ばれたのは俺ではない。
俺が生まれて保育士の仕事をやめた母親だった。
厳しい母親が俺が生まれるまで保育士だったということは驚くべきことだ。しかし似合わないとも思えないのが不思議なところだ。
「若いのに可哀想」
「よく原因はわからないんですって、怖いわよね」
人の死よりも人々の顔、吐息。それが凄く嫌な感じがした。
彼女には両親がいなかったらしい。彼女の葬式では誰も泣かなかった。僕も泣かなかった。
だけど棺が開けられて彼女の顔が見えたとき、僕は心の中で彼女に囁いた。
あなたが僕を気にかけてくれていたのは、先輩であった母への恐れによるものだった。例えあなたがそう思っていなくても。でも僕はあなたが好きだった。僕とあなたは何かが少し似ている気がするから。
僕は黙って微笑む彼女の首の辺りに、そっと花弁の束で触れた。
男は哀しみと寂しさに溢れていた。
湿った風を受けながら灰色の空の下
彷徨う。 その目にはさっきまで降っていた雨に輝く銀世界が映し出されている。
かつての様にはいられず、タバコの赤炎に感じ、開いた袖口に想い、擦れる足元を噛み締めていた。
自分の中にある真実を何よりも大切にしているのだ。
男は気付けば閑散とした見慣れた公園の入口にたたずんでいた。
そこでは定年を迎えたであろう人々が散歩やら花見といった一種の余生の様なものを過ごしていた。
歩く男の姿勢は悪いが、その足取りには目的が感じられた。
男はその公園の奥にひっそりとあるベンチに腰掛け、そして呟いた。
「愛される資格はあるか…」
社会に対する反感に似た紅い塊が男の心の中で燻っていた。
通り行く足音に降り注ぐ心模様、
見ていて見ていない目、そして聞いていて聞いていない街に魂を賭けているのだ。
男は続けた
「俺達は何一つとして分かっていないんだよ…」
ぽつぽつと降り出した雨が男のワインレッドのシャツを濡らす。
故郷と書いて「こきょう」と読む。そんなの小学生だって知っている。
でもわたしには、故郷と言うものはない。でも「ふるさと」ならあるよ。
学校の友だちの殆んどは夏休みになると一度は自分の実家に帰る。それは、まさに故郷に帰る事に他ならない訳だけど、わたしにはそう言った意味での故郷は無いんだ。
だって、わたしが住んでるのは生まれた街だから……
そりゃあ病院で生まれ産み落とされた瞬間からこの街に居る訳だけど。母親が退院して来てからも、ずっとこの街で暮らしてる。
生憎と母親も近所の生まれで、父親も代々この街育ち。だから帰る故郷なんてわたしには無い。
でも……年に数日、この街が自分の「ふるさと」になる日がある。それは、夏の月遅れの盂蘭盆会の時期、それに年末年始。
この数日間だけは、人がいなくなり。街は静かさを取り戻す。車の通行も、通勤の電車も空いていて、実に快適になる。
車なんかだと、普段は移動に小一時間掛かる場所でもこの時期は15分で済むぐらいだ。空気は澄んで、人の通りも少なくなるが、これぐらいが実に快適だと理解すると、ここがわたしの「ふるさと」だと実感出来るのだ。
わたしは、この街が好き。この街で生まれて、育って暮らして来た。良くメデイア等で、「ここは仕事の為だけの街」とか「人が冷たい」とか言うけど、それみんな、あなた達の事だから……この街の本当の人間はそんな事言わないよ。だって心の底からこの街が好きだから。
だからね、この街で役目を終えた人は帰って欲しいんだ。居たくない場所に居るのは苦痛でしょ?
仕事を終えたら帰りなよ。ここはわたし達の街なんだ。少しの間、あなた達に貸してあげただけ。だから、返してね。それが願い……
それが出来ないなら、少しでもこの街を愛して……そして、この街の良い所を理解して欲しい。
ここが天国などとは思っていないけど、「住めば都」と言う言葉もある通り、そんな悪い場所じゃ無いよ。
それは、わたしが保証する……え? お前に言われたく無いって……
じゃあ、この街の悪口だけは言わないで……お願い……
悪口を言われたら、きっとこの街は悲しむと思うんだ。だから……ね……
わたしはこの街が好き。きっとこの街を旅行以外で出る事は無いと思うけど、何処に居てもこの街の事を思うし、忘れない。
忘れる事は無い……だって、わたしの「ふるさと」だから……
地球を踏みつぶす勢いで、いびつに片減りしたスニーカーをおもいきりアスファルトにぶつけた。カカトが痺れる以外ただ、何もなく、小石が二、三、不自然に飛び散った。腹立ちまぎれに、あん、と張り上げた声で、隣をすり抜けた老婆が少し距離を置いたのが照れくさかった。心の中で、怖くないがね、と叫べば叫ぶほど顔がいびつに歪む。昼飯に食べたたくあんの繊維が奥歯に挟まったのをずっと気にしている。信号が赤に変わるのを目の端に捉える。
タイルの敷き詰められた三角地帯。しなびた鳥屋と、古びた下駄屋が一瞬で取り壊されたあとには、例のごとくコインパーキングができあがった。鳥屋の前の歩道にいたうっとうしい数の鳩は、ぱたりといなくなった。ただ、いなくなると途端に寂しくなった。きれいに舗装はされたがどこかが嘘くさいのである。こうして駆逐された昔は、誰かの撮った写真の記録としてさえもなく、こつ然と記憶からなくなるだけなのだろうか。三十数年前の我が町の風景は心の中で熟成されていく。ダイエーの最上階にあったレストランを思い出し、サンドイッチとクリームソーダが大層なごちそうだったことを懐かしむ。そんな三角地帯横のダイエーのあった敷地には今、これも例のごとく斎場ができあがった。
中途半端な雲。密度の濃い湿気が雨を予感させたが、それでもギリギリ降らないのが気持ち悪い。いっそのこと、どしゃ降りにでもなってくれれば。傘が他人を排除してくれたことが唯一の救いになったかも知れなかった。
雨がマンホールを軽々と押し上げる。タンポンのアプリケーターが下水から溢れ出す。今どき、汚水処理もままならないのか。数百のアプリケーターがうごめく一つの個体として、押し合いへし合い同じ方向へと流れていく。汚水まみれの不愉快な白が、時折はみ出し見え隠れしている。拾い上げる勇気はなかった。いまだ、奥歯に挟まった繊維質を気にしている。舌がいい加減痛い。中途半端な雲だから、もちろん雨など降っていない。おそらく老婆もすり抜けていない。舌の痛い感覚は確かにあるので、たくあんの繊維はあったはずだが、それはきっと朝食だったと考え直してみる。信号が青になって、自転車が車道を走っていく。頭上の雲が途切れ手前の地面を陽が照らす。歩き出した視界が少しだけ白くなった。
バスに乗ったときには乗客は十人くらいだったのだが、出発するまでの五分ちょっとの間に人がどんどん増えてきた。二人掛けの窓側に座っていた僕のとなりにも男の人が座った。若いといっても三十前くらいのサラリーマンだった。今風の細いスーツに昔ながらの薄いかばんを持っている。あれではパソコンも入らないだろう。
頬杖をついて窓の外を見る。バスは海岸に近づいたり少し離れたりしながら国道を走っていく。僕の座席は海とは反対側だから、すぐそばに崖がせまったり、遠くまで田んぼが広がったり、ときどき壊れた建物が点在したりするのが見える。空は曇っているが暗くはない。バス停が近づいてきた。
田んぼだか野原だかに囲まれて、ぽつんと立っているバス停の標識に人が待っていた。おばあさんとおばさんだった。二人とも年相応の暖色系のカーディガンを着ていた。いったいこのバス停までどこからどうやって来たのだろうと思うほど、田んぼの真ん中だった。二人は特に話もせずにドアが開くのを待っていた。顔も知らないということはないだろうが、それほど親しくないのかもしれない。お互いに距離を保ちたいのか、どこか他人行儀に見えてしまう。
バスに乗ってきたのはおばあさんだけだった。運転手と何か言葉をかわして、前から二列目の通路側に座った。外のおばさんは身動き一つしない。見送りというわけでもないだろうし、かといって、よそ者の僕でもこの路線には他の行き先のバスがないことくらいは知っている。運転手は何も気づいていないかのように、ドアを閉めてバスを発車させた。
外のおばさんはうつむき加減で表情はよく見えなかった。バスが重そうに動きだすと、おばさんはそろりと右手をあげた。待ってくれとでも言うような、さようならと手を振るような、どこか悲しげなしぐさに感じた。おばさんの表情はやっぱりよく見えなかった。
バスは少しずつ街中へと進んでいった。住宅街の近くを通る。スーパーや地元コンビニがちらほらと見られる。新しい建物のスーパー銭湯を過ぎて信号を曲がると小さな駅のロータリーが見えてきた。ここがバスの終着点だった。ここで皆、電車に乗り換えるのだ。
音楽を聞いていた隣のサラリーマンはイヤホンをかばんにしまった。人が多いのでバスを降りるのにも時間がかかる。僕は電車の時間が気になったが、他の人も同じだろう。外に目をやると、誰かの銅像が威厳を保つように屹立していた。
たとえばエロい弁当屋というものがあるとして、それは若い女が二の腕を露わにしているというものではなく、四十手前の女が口元には笑みをたたえながら、しかし誰とも目を合わそうとしないというものでなければならない。
昼休みの四分の一ほどをうっかり仕事をして過ごしてしまった私は、急いでいた。急いでどうなるのかわからなかったが、六月の水曜の昼とあっては急がずにはいられなかった。それも給料の一部なのだという気がしていた。
職場のそばにある小さな弁当屋を初めて訪れたのは、急いでいたからに他ならなかった。どこか寂しい雰囲気の漂うその店を、それまでは避けていた。
今では珍しい、手動の引き戸を開けて店に入った瞬間、あっ、いけない、これはエロい弁当屋だ、と思った。エロい弁当屋ニューロンの発火という未知の事態に際して、いらっしゃいませと言われたかわからない程度に混乱した。
後ろ手に戸を閉めると、六帖ほどの店内には、私と店番の女の二人きりだった。女の様子は見ないように努めた。エロい弁当屋だと直感させた何かがあるはずだったし、エロい弁当屋などというものは、平日の昼日中、仕事の合間に見るものではないからだ。
もっとも、同じ店、同じ女であっても、夕方や休日に見たのではエロさはまた違ってくるし、その場合平日の昼間ほどエロくないのは確実だから、つまりエロい弁当屋というのはどうしても目の毒なのであって、大抵の弁当屋がエロくないのはそのためだ。
弁当自体は普通だった。それを当然のことと考えるべきか否か判断のつかないまま、茄子の味噌炒め弁当を手に取って、金を払いに行った。
すると、女をまったく見ないわけにはいかなかった。伏し目がちで、笑みをたたえた口元が赤黒いのと、顔色が悪いのが印象的だった。
こちら、五百円です。アツイですね、と女が言った。
それが暑いと言ったのだとわかるまでに少し時間がかかって、その分、五百円玉を出すのが遅れた。はい、と返事をした私は、終始ぎこちない客だった。
領収書を寄越さないあたりもエロかった。
ありがとうございましたという声を戸を引く音でかき消して外へ出ると、ちょうど街路樹が日陰を作っていて、少しも暑くなかった。吐きたくもない嘘を吐いてしまったようだったが、もとより私の給料の大半はそれで成り立っていたから、昼休みが、また少し、短くなったような、ものだった。
子供に戻ったかのような晴れやかな気持ちで朝を迎えれば本当に子供に戻っていた。鏡に映る私はまさしく小学生のころの私で、その姿をまじまじと眺めて思わず吹き出してしまった。
階下に降りれば母親もまた子供になっていた。当たり前だけれど私にとてもよく似ている。
「何だか馬鹿みたいな話よね」
母親と私はお互いの姿を見合ってケラケラと笑った。こうしていると何だか仲の良い友達同士のような気分になる。かつて、私もこんな風に無邪気に笑える時代があったというのは新鮮な感覚だった。
暫くして大学生の弟が起きてきた。彼もまた小学生の姿をしている。
「あら可愛いじゃない」
母親がニヤニヤと言う。
「ふざけんなよ、なんだよこれ」
そう言って不機嫌な表情を見せるのだけれど、何と言っても姿は子供なのだからまるで不貞腐れたようにしか見えない。その姿を見て私たちはまたケラケラと笑う。
テレビをつけるとブカブカのスーツを着た子供のニュースキャスターがこの現象について説明をしていた。全世界的に人間も動物も昆虫もありとあらゆる生物が子供に戻っているが、原因は不明。子供服店では大規模な買い占めが行われている。スウェーデンではお菓子工場が子供たちに襲撃され大量のチョコレートが強奪された。とにもかくにも、慎重な行動を心掛けるように。
「おかしなこともあるもんだね」
「俺は講義がなくなって嬉しいけど」
「でも、姿が子供でも中身は大学生なんだからそのうち学校は始まるんじゃないの?」
「ああ、そうか」
弟は残念そうに溜息を吐いた。私もぼんやりと職場のことを考える。つまらないルーティンワークと嫌味な上司たち。でも、今ならそれらも全て許せるかもしれない。何と言っても誰だって等しく子供なのだ。子供たちの子供たちによる子供たちのための世界。その言葉は私の中で甘美に響く。
「でも、いつまでも子供のままっていうのも何か間違っているのかもね」
母親が笑いながら言った。何か戒められたような気がした。
弟は欠伸をしながら部屋に戻り、母親は鼻歌混じりに皿洗いをする。朝はゆっくりと過ぎて行った。
私は珈琲を啜りながら窓の外を眺めた。産まれたての朝に二月の気怠い陽光が降り注いでいる。さて、これから何が起こるのだろうか。子供みたいな期待に胸を膨らませて私は大きく深呼吸をする。でも、とりあえずもう少しだけ私も眠ろう、と深呼吸はいつの間にか間抜けな欠伸に変わった。
森を貰った。小さな鉢植えに生えている、小さな小さな森だ。飼い方は簡単だよ、と友人は言った。水をやって、日にあてて。なるべく静かにするんだよ。それだけ。
それで、その日から森の面倒を見るのがわたしの日課になった。水をやって、日にあてて、水をやって、日にあてる。それだけ。
ときどき息を凝らして観察する。そこにあるのは生命の息吹き。埃のように見えるのはたぶん鳥。繁っている枝葉を落としてしまえば、わたしの眼では捉えきれない生命体が満ちているのが見えるのだろう。
手は出さない。ただ、眺めるだけ。
騙されているんだよ、と夫が言う。埃は埃、見えないけど実はいる生命体なんか、そこにはいないよ。そうかもね、とわたしは応える。
夜、夫が寝ている枕元に鉢植えを置いてみる。
朝起きたら食い尽くされてた、ってなってもいいのよ?
息を凝らして、観察する。
あんたなんか生むんじゃなかったよ。
後ろ手に閉めた玄関のドアが、あいつの声をとざした。苔むした飛び石を踏んで、錆びついた門扉を抜ける。今夜だけとは言わない。明日も明後日も帰るつもりはなかった。セイラの家に転がりこむわけにはいかないが、なんとかなるんじゃないかな。こんな蒸し暑い夜だ。公園で一晩二晩過ごしたって害はない。
持ちだしてきた缶ビールをあけ、飛行機公園までの道すがらに呷る。冷たい喉ごしはただただ苦く、爽快さとは趣きが違っていて少し侘しい。中三のときか、酒は一生呑まないと誓った。父が逃げ、あいつは酒に逃げた。誓いは豪語となって終ってしまったが、あいつへの感情は変わっていない。厭だった。
風もなく、ひっそりと聳え立つ飛行機のオブジェ。ジャングルジムと融合した鉄の模造物。回らぬプロペラに巻きつけられたビニル紐の先が毛羽立ち、こちらは感じない微風でもそよいでいる。怒気を帯びた背筋はすっかり酔いで上書きされて、一言でいえばわくわくしていた。セイラから連絡はまだ来ない。
街灯も失せた公園の出入り口に人影が現れた。長身ひとつと、その三分の一しかない影。男と手を繋いだ少年だった。気づかないふりをして、煙草に点火。むこうが先に気がついて立ち去ってくれりゃよかった。なのに佇んだまま、行きも帰りもしなかった。
星でも観察しているのか、住宅地の狭間にひらけた夜空を見上げている。曇り空に星はひとつきり出ていないのに。
すると、少年が背伸びをして手をふった。空へむかって。
急に、夜が明けたのかと錯覚した。夜の底から光を引きつれて、淡桃の花々が空を覆い始めた。蕾がひらき、花びらが廻り、都度、朝露めいた光が住宅の屋根を舐める。幾重にも広がる花びらを縫って虹色の水飴が伸びてくるかと思えば、艶かしい尖端が巧緻な飴細工のように人の顔に変じていくではないか。白粉が浮き出し、朱が塗られ、忽ち美麗な女の顔になった。とても、巨大な。
「坊や、坊や、食べ……」
夜空を埋め尽くす桃花のそこここから女の声が響き、辛うじて闇色の残った瞳が俺を見た。缶を持つ指から力が抜ける。ビールが砂地を濡らし、目線を上げたらさっきまでの夜が戻っていた。
父子の影も消え、代わりに露出の多い格好をした少女が立ち、手をふっている。彼女の名前を呼ぶ間もなく、安堵の理由が分かった。あいつとは全然違う。
セイラは麗若き、十六の少女だからだ。
ロボット犬だと思ひ居り秋の暮
季語は「秋の暮」。秋の夕暮れと言う意味と晩秋でもう秋が終わると言う意味の「秋の暮」の二つの意味がある。
2014年7月8日(火)、私の家の前の藤棚のすぐそばで、もう白粉花が咲いて居る。「白粉花」は仲秋の季語。そう思って居たら、今日の22時台、「稲光」を一瞬見た。「稲光」は秋の季語だ。「雷」自体は夏の季語だが、光を主体とした「稲光」「いなつるび」は秋の季語。大音響の「雷」は夏の季語だが「稲光」は秋の季語。稲妻が稲を実らせると信じられた為だ。
「稲」にまつわる季語はたくさんある。当然秋の季語だが雀も「稲雀」と言えば秋の季語。ごくつぶしと言う発想は秋の雀を見て居て思い付いたのではないか、そう思わせるふしがある。私の異母兄は藤棚に紐を引っ掛けて首吊り自殺したが、いまわの言葉が
「ふ、ふ、ふじ・・」だった。
「藤」は当然春の季語だが、これは晩春に薄紫色の花を咲かせるためだ。なので殆どの俳句は「藤房」とか「藤の花」「花藤」などと藤が咲いて居るのがあからさまに分かる詠み方をする。もちろんただ「藤」と言っただけでも「藤の花」の事だが、これは例句が少ないようだ。
紙屑の見当たらない小奇麗な、花壇と、幅のあるブロックの道は、緩い下り坂となって伸びていた。視線が掴みえるその先には、駅と隣にある踏切と、踏切の上を渡る歩道橋があった。僕の居場所は、梅雨明けの、踏切まで続く、向こうへ行くだけの交わらない道の上。伸びる空は帯のようで、綿を丸めた雲が糊でとめられたように浮いていた。
母親に見えない程若い笑顔の、横顔を見せる女が、僕の前の道の上で三児の子供を連れて歩いていた。一人で生んで、育てゆく三つの子供達。駆け降りても駅は近づかなかった。空も、そのままに動かなかった。
風の如く。駆け下りる速さの、とどまる手前で、勢いのままに、その女を後ろから、強く抱きしめた。突然のことに、芯は硬直していたが、腕の中で締め付けられた彼女の体は、柔らかかった。
以後彼女は一人じゃない、僕も子育てを手伝った。彼女の夫と、子供達の父親の二役。それがその時からの僕の人生だった。
走り回る子供達。この道の上で、僕達夫婦は二人で、写真を撮ったことがなかった。道沿いに並ぶ店を覗いても、窓ガラスに映るのは子供達だけ。ガラスは僕達二人を映さなかった。何も僕達の姿を映すことはできなかった。
ここまで歩んできた人生は、僕のほうが短かった。若い僕が先導した。奏でる右手と左手のメロディライン。リストの途切れることなく、次へ、次へと。
僕より彼女が訊いてきた。これまでどんな人と付き合ってきたの、と。蟠(わだかま)るような過去はなかったから、「無い」が答えだった。
成長した子供達は、別々に自分の道を歩んでいった。二人の間で時は流れず、僕達は歳を取らなかった。お互いの、何も変わらない顔と、愛。
この道の伸びつく最後。近づいてきた歩道橋と踏切。駅では電車が出発を待っていた。
子供達が巣立った今、その裁断を受けようか。
木の葉の舞う、駅の隣にある喫茶店。甕(かめ)の縁まで達した水面、風がさざなみを起こしている。木目を基調とした店内。シンプルで白い、四枚の羽が回っている。本棚には辞書と時刻表。これまでここで何人が開いて見たのだろう。言葉は意味を慎重に、これからの目的地を探そうか。店内に流れる、サロン調のピアノの曲は、愛の夢。
二人向かい合って、珈琲を一つ口にした。それから僕は云った。
「これからも、愛したい限り、愛せばいいさ」
女は答えた。
「愛したい限り愛しても、そんなには、続かないものよ」