# | 題名 | 作者 | 文字数 |
---|---|---|---|
1 | 結果と原因 | 池田 瑛 | 727 |
2 | 雲間の核融合炉 | あお | 500 |
3 | あなたはそこに立っている | 長月夕子 | 1000 |
4 | 揺らぐ水面と漂う少女の関係性 | 世永カラス | 986 |
5 | ことり | 佐久間 庵 | 923 |
6 | 溺れた太陽 | ジャストスマイル | 460 |
7 | 天国の耳 | 赤井都 | 974 |
8 | 熱 | 岩西 健治 | 952 |
9 | 素麺 | まんぼう | 641 |
10 | マンスリーレイクジェネレータ | 藤舟 | 1000 |
11 | 血の花嫁 | 吉川楡井 | 1000 |
12 | キミの傍 | M2 | 928 |
13 | 脾臓 | qbc | 1000 |
14 | ココロ | 白熊 | 1000 |
15 | 大垣城と結びの地 | ロロ=キタカ | 1000 |
16 | 「まぐろ その23(デリバリーピザ編)」 | なゆら | 758 |
恋人が、交通事故に遭った。容態は良くない。集中治療室の前に椅子に座っている俺の前を、看護師が気まずそうな顔をして通り過ぎた。
どうして、こんな事になった?
俺が彼女と別れる前、珈琲をもう一杯飲んでいれば、彼女はあのとき、車が突っ込んできた場所なんかに居なかっただろう。いや、もうちょっと早く話を切り上げていればよかったのか?
俺が悪いのか?
会おうと、デートに誘った俺が悪いのか?
事故現場の検証では、運転手は、飛び出してきた子供を避ける為に、右にハンドルを切ったらしい。そして、次に対向車線を走ってきた車を避けるために思いっきり左にハンドルを切った…… 、そして、歩道に乗り上げたらしい。運転速度に違反はなかったというのが、検証結果だ。
運転手が悪いのか?
飛び出した子供が悪いのか?
その子供に対する親の教育が悪い、つまり、その子供の親が悪いのか?
対向車線を走ってきた車の運転手が悪いのか?
時速60キロで走る鉄の塊なんて危険な代物を製造している車メーカーが悪いのか?
そもそも、なんで彼女は非番の日に仕事になんか行かなければならなかったんだ? そうだ。同僚が風邪を引いて、代わりに出社しなければならないと言っていたんだ。
風邪を引いた、その同僚が悪いのか?
それとも、その同僚に風邪をうつした奴が悪いのか?
それはいったい誰なんだ?
最近、インフルエンザが流行っていたからか?
そういえば、薬局でマスクの品切れが続いていた。需要を予想できなかったマスクの生産業者が悪いのか?
インフルエンザウイルスが悪いのか?
俺の思考は、結果と原因の間をぐるぐると廻る。この結果と原因を結びつける糸を探す。
集中治療を示す、赤いランプは点灯したままだ。
「居眠りは許さんからな。寝た奴は立たすぞ」
チャイムと同時に教師が言い放ち、クラスが凍りつく。
教師の名前は知らない。
自己紹介もせずにいきなり授業を始めたからだ。
そんな人に、私たちはなぜ怯えなければいけないのだろう。
そのことに理不尽さを覚えないでもないが、反抗する気力もないのでただ椅子にかしこまって座り耐え忍ぶ。
のろのろと進む淀んだ時間に閉じ込められた気分だ。
番号で呼ばれ、反抗すると叱られ。
これでは囚人と変わらないではないか。
私はひとりごちる。
「お前らは甘いんだよ」
教師が鼻をひくつかせながら怒鳴る。
それが何か?と私は思う。
甘い蜜を吸って生きることを願うのってそんなにいけないことですか?
私は窓の外を見つめる。
代わり映えしない日常から目を逸らして、自由に移り変わっていくものを心から求めていたかった。
空にはぼこぼこの雲が沢山浮かんでいる。私はこんなことを思う。
いいよな。雲はどこにでも流れていけるのだから。
だが私は同時にこうも思う。
何の後ろ盾もなく一人で流れていくのって、案外大変かもな。
雲の間にオレンジの湖が見える。
雲間の核融合炉だ。
私は名前を知ることもないだろう教師Aをつまみあげてそこに沈めた。
あなたはそこに立っている。
陽光が不規則な光を投げる水平線。レールを縁取る水仙が、過ぎゆく季節を告げる。
潮風で古びたホームにあなたは立っている。そよぐ髪をあなたは右手で抑えるだろうか。
やがて、電車がホームに滑ってくる。
あなたは半自動のそのドアを慣れた手つきで開けるだろう。ボックス席を見渡して、どっちに座る?海側か山側か。電車と並行していく海よりも、あなたは自宅を臨む山側に腰を下ろすかもしれない。
電車は右に海岸線をそれて、新幹線のある駅に到着する。
ホームで鴉が一鳴きし、人慣れしている図々しさに呆れながらも微笑んで、新幹線に乗り込むだろう。
新幹線が走り出す。あなたはぼんやり外を眺めるだろうか。雪残る街並みに桜が散り始める。遠くの山はまだ雪化粧で、線路の真横のスキー場も白い。
今雪残る街並み程の量で右往左往する私を、あなたは笑うだろうか。
喉が渇いたあなたは売り子さんを呼び止めて、お茶を買うかもしれない。ペットボトルには村上産とあって、関東では買えないから私の分まで買っておいてくれるかな。
トンネルを抜ければ耳がふさがり、あなたはお茶を口にする。その度に、山が建物に変わっていく。高木が雑然としたビルとなり、終点へたどり着く。
もうこの辺りは花の季節が終わりを告げ、新緑が深まり始めている。ドアが開けば、空気の暖かさに驚くかもしれない。
指定席券と乗車券と特急券はまとめて改札に入れるけど、乗車券は忘れずに。東京23区内で使えるんだよ。
そして私は、東京ばな奈の店の前で、あなたを待っている。
「久しぶり」と言って、ほほ笑んでくれるだろうか。
2014年4月22日。
けれど、あなたはそこにいない。
あなたは指定席券と乗車券と特急券を持っていない。山並みがビルへと移る景色を見ていない。お茶を買うこともない。残雪のスキー場を眺めることも散る桜を寂しく思うことも、海岸線をそれていく電車にもいない。
あなたはそこに立っていない。
潮風で古びたホームにあなたは立っていない。同じ潮風があなたの髪を揺らさない。あなたは陽光輝くあの海を、ホームでもう眺めない。
あなたは。
どんな交通機関でもたどり着けない場所に一人でいってしまったから。
だから私も、東京駅にいない。東京ばな奈の店の前であなたを待っていない。
2014年4月22日。
私は空を見上げながら、ここであなたを思っている。
メイはもがいていた。皆と同じ視点を持ちたくて必死になっていた。けれどそれは無意味な事なのだと気が付く。嗚呼、この世は―――
「なんて居心地が悪いのかしら」
ぽつりと呟いたメイの側で、幼馴染である水瀬晴はまたかと溜息を吐いた。というのも彼女には度々現実を見失い可笑しな世界へと旅立ってしまうという癖があるのだ。とんだ悪癖である。メイはこの症状が発症する度に思い悩んできた。幾度と、繰り返してきた。メイには友達が少ない。この悪癖と、趣味が先走り異様な雰囲気を醸し出している為である。メイの趣味、それは空想だ
「こんな世界に居るよりも、水の底に沈んでしまった方が良いと思うわ。晴もそう思うでしょう」
「思わないよ。メイ、目を覚ませ。人間は水中で暮らすことなんて出来ない」
むっと不機嫌そうな顔をして見せたメイはポカポカと晴の背を叩いた。たった今メイは世界に絶望したばかりである。現実的な話は今、聞きたくなかったのだ。そう、聞きたくなかった。晴とてそれがわかっていない訳ではない。否、わかっているからこそ、敢えて口に出している。晴はメイが好きなのだ。親愛でも友愛でもなく、好きなのだ
「ほら、メイ。この世の何処が、居心地が悪いなんて云うんだい。綺麗じゃない」
手を取って、幼き日にメイと訪れた丘を登る。そこは街全体が見渡せる程に高く、沈みかけの太陽が世界を橙に色付けていた。わっと声を漏らしたメイの手を、晴はぎゅっと握る。美しい夕日を前に切なくなったのではない。只、設けられた柵から身を乗り出すメイが危うく、そうせずに居られなかったのだ
「晴、元気付けようとしてくれたの」
「そうだよ」
メイは嬉しそうに、そして少し照れたように、はにかんだ。己が世界からの脱却を企てる度に、最善の手を尽くして押し留めようとする優しく寂しがり屋な幼馴染の気持ちは知っている。けれど未だ、それに答えず只こうして隣に居るのは許されぬ我儘であると、メイは知っていた。現状打破を望む癖に、晴とは変わらず居たいなど我儘過ぎて声も出せない。けれどメイはもう一つ、大切な事実を絶対の真実として知っている
「いつもいつも、ありがとう」
「どうしたの、いきなり。確かにメイを宥めるのは大変だけどさ」
この幼馴染はその矛盾さえも許してくれる。人の良さそうな笑みを浮かべて、困ったように目尻を下げて、メイの頭にその暖かな掌を乗せるのだ
一羽のカラスが鳴きました。
庭には二羽、ニワトリが居ます。
三羽のスズメがサンバを踊り、少女は、真似してツインテールを揺らしました。
赤い髪が、ご機嫌に弾みます。
みんなに見守られる中、少女は家から軽やかに外へ出て、目の前を横切る車をくるりと避けてスキップを踏みました。
「おやおや、危ないよ」
「あら。こんにちは、おじさん」
少女は、白いフレアのワンピースを広げてお辞儀をしました。
少女に挨拶をされた黒いスーツのおじさんは、少し屈んで尋ねました。
「きみは、またお留守番を抜けてきたのかい?」
「いいえ。今日は、お父さんはお仕事だけど、お母さんがお家に居るの」
「じゃあ、お外で遊んでもいい日なんだね」
おじさんが納得したように頷くと、少女は、頭を大きく横に振りました。
「ほんとうはね、ほんとうはダメなんだけど、こんなにいいお天気だから、お外に出たくなったの」
「内緒で出てきたら、お母さん、心配しちゃうんじゃない?」
「きっと、わたしが居なくなったことなんて気づかないよ」
「なんで?」
「お母さん、今はお昼寝してるの」
「じゃあ、やっぱりお家に帰らないと。車が危ないから、おじさんついていくよ」
おじさんが手を差し出すと、少女は、ほっぺたを膨らませました。
「やだ」
スカートを握り締める少女に、おじさんが苦笑したのは無理もありません。
桃色に染まった柔らかな両頬を風船のように膨らませているのだから、少女は、そのままぷかぷかと漂ってしまいそうでした。
「お母さん、起きた時に君が居ないと泣いちゃうかも」
それを聞いた少女は、心配そうに眉を寄せました。
「お母さんが悲しむ前に、帰ろう?」
「……うん」
「わ、ほら。また車が来た。気を付けて」
ぷかぷかと漂いそうな少女は、おじさんに手をつないでもらい、来た道を帰りました。
少女は、鼻歌を歌いました。
おじさんも、一緒に鼻歌を歌いました。
空は、ペンキで塗ったように青に染まっていて、太陽は、みんなの様子を燦々と眺めていました。
踊っていた三羽の雀は、電信柱から飛び去っていきました。
庭に居た二羽のニワトリは、けたたましく鳴きました。
やがて、全く静かになった時、一羽カラスは、羽音もたてずに羽ばたいていきました。
そう、思っていた。
いや、正確には、そう思うことしかできなかったのだ。宇宙空間やその事象、太陽系を長年研究してきた私は、目の前で起こったありえないこの状況を、しばらくは理解できなかった。全ては、なくなってしまったのだ。もはや私は思想だけの存在になってしまった。
太陽がブラックホールのように他の星々を吸い寄せるようになったのは、ちょうど57年前だ。そのときは、特に危険視もされなかった。なぜなら、その被害が地球に及ぶのは、6000年も先のことだと予想されていたからだ。
しかし、起きてしまった。誰もが予想出来なかったことが。
太陽には吸収限界があった。次々に吸い寄せる度に太陽自体が傷つき、太陽は、完璧なブラックホールと化してしまった。つまり、死んだのだ。大量の星々によって。見境のなくなった太陽は、今までと比べ物にならない力で星々を吸い寄せた。
今は、なにもない。なにも。あれからどれくらいたっただろうか。
私も、思想だけの存在になって、最近思う。いや、これからもそう思うことしかできないだろう。
太陽は、大量の星々に溺れたのだと。
どこまでも戦おうと二人で言い交わしたのに、妻は諦めたのだ。だから、まるでそれが楽しみなことであるかのように、微笑んでいた。これから始まる休暇のために、トランクに入れる服のことを言うかのように。
「ウエディングドレスを、まだ取ってあるの。それを最後に着たいから、着せてね」
答えようとして、返事ができないでいる私を、妻は心配そうに見た。
「泣かないでね。もしもあなたの泣き声が聞こえたら、安らかに眠ってはいられないよ」
だから、思いきり声をあげて泣こう。地獄耳は何でも聞こえる耳と言うから、ドレスを着た妻が地獄に行ったなら、蘇っただろう。しかし天国の耳はずいぶんと遠い。私がどんなに悲しんでも、いつまでも安らかに眠り続けている。
夜の真ん中で、太い縄を手に、森の奥から仰ぐ夜空。その空は暗くはなかった。明るい紫色で、銀や赤の星が木の葉の間にちりばめられて、木がイヤリングをつけたようだった。草が揺れ、何か小さな獣が茂みの影を走っていった。夜の鳥が狩りをする鳴声もした。夜は気配と命に満ちている。それなのに、おまえ、どこにもいないのか。来ないのなら、こちらから行くよ。枝に縄をかけ回し、そこに私の体重がかかれば、星は揺れてシャナシャナ響いた。喉。絞られる。苦しむ間もない衝撃。枝が折れて、地面に転がっていた私。じんとした痛み。土に片耳をつけたまま。ごめん。つぶやいた自分の声。耳が冷たい。生きろ、生きろ。勢いよく森中の木が伸びる音が聞こえている。耳の形をしたキノコが青白く光って生えている。こんな小さな、もろそうなものでさえ、しゃんと立っている。自分が恥ずかしかった。空から妻は見て嘆いているだろうか。おまえ、どこにもいなくなってしまったら、もう、どこにでもいるのか。
起き上がる時にキノコをうっかり潰してしまったから、次の朝から、食卓にはいつも、耳の形をしたキノコビトたちが現れることになった。何匹も、どこからか生えてきたキノコみたいに現れて、満足するだけ食べ終えれば消えてしまう。小さなコビトでも食パン一枚を食い尽くす。白いところから食べ始めて、耳を最後にぐるりと食べて消えるものもいるし、耳の先端から食べ始めて常に三角形に進んでいくものもいる。シャワシャワした咀嚼音の合唱が妻の席から起きる。私はパンを多めに準備していなければならない。生きること。
今日が土曜日なのか日曜日なのかさえ曖昧な、僕の眼の前で俄然はりきっている彼女がいる。近所に住むいとこ姉さんだ。風邪をこじらせた僕を母に頼まれ看病しにきたのだ。両親は一ヶ月前から予約してあった、京都旅行に出かけていて帰りは夜半になる。
死因にはどうやらみそ汁が、関係しているらしいのだがアスファルトに染み込んだ体液を盛んに洗浄する、民間業者は遺体を移動させる際も顔色ひとつ変えなかった。それにしても迷惑な。自宅前なんかで、何故に人の死ぬのか。小説家は自己模倣を繰り返して、自身でも、うんざりしているんだ。これじゃマスターベーションにもなりゃしない。少しでも紛らわせようとファブリーズに、頼ってみても解決には、ならないなんて承知の上だ。それでも、明日が月曜日であるのを認識しているのだから、今日は日曜日なのである。頭では分かっている。けれど、実感として土曜日なのか日曜日なのかが分からないのであって、自分はどうかしてしまった。
今、僕はうわごとを言っている。頭の中では民間業者がせっせと遺体のあった場所を洗浄している。マスターベーションのように自己模倣を繰り返している小説家は、両手にファブリーズのボトルを握りしめているが、これが現実ではないことは承知である。それでも、もう少しこの世界に浸っていたいと錯覚して。あぁ、全身が痺れた感覚に浸る。ぬるま湯に沈められて、息苦しさを覚えて、それでもまだ、ここちのいい感覚に近い。白いもやが消え、顔を覆っていたものが離れ、顔に吐息がかかる。
「ねぇ、キスしたことある?」
彼女は三歳上なだけで、随分と大人ぶった態度で言った。目をつぶってはいたが、遠ざかる彼女を感じて。大人ぶる歳の差でもないのに、十六に十九はまぶしく映る。
「うっせーなぁ」
「少し下がったみたいね、おかゆ作るから待ってて」
彼女の直球を受ける度量が僕にはなかった。乱暴な言葉でしか愛情を表現できないのは熱のせいではない。温かくて、包まれて。痛がゆい感情が右耳をよぎり、眠気が襲う。
それから、おかゆの入った器を持ってきた二人の、民間業者の顔は京都にいる両親そのものだった。
「また、ぶりかえしちゃったかしら」
額に手を当てている声は確かにいとこ姉さんなのだが、うまく認識できていない。これは熱のせいである。
衣替の季節になり半袖が心地よくなると、暑さが顔を覗かせる。夏の太陽のお出ましだ。 その頃になると、母は良くお昼に素麺を茹でてくれた。大きな鍋にお湯を沸かして、色とりどりの素麺を茹でて、竹で編んだザルに山盛りによそってくれたけ。
わたしや弟は、その中の青や赤や緑の色の素麺をお互いに取られない様に真っ先に食べてから残りの白いのを食べたものだ。色のついたのを何本食べたか何時も自慢しあっていた。
「姉ちゃんはずるい!」
「どうしてよ?」
「だって、それ俺が狙っていた奴だったのに!」
「ぼやぼやしてるのが悪いんでしょう」
弟と何時も言い合いをしていたっけ。この時期になると思い出す。それも昨日の様に……
子供のうちは葱が辛いから嫌いだった。本当に嫌いで、母が勝手に入れてしまうと、半べそを掻きながらひとつずつ箸で摘んで取り出していたっけ……それが、いつの間にか好きになって、今では自分の娘にも入れている。歴史は繰り返すだね。
娘はやはり頬を膨らませながら取り出している。その姿が可笑しい。
あの頃、豪華な玉子焼きも胡瓜もさくらんぼも無かったけれど、楽しくて、そして美味しかった……夏になると思い出す。
残って茹で過ぎた素麺は夕食に形を変えて出て来た。焼きそばもどきだったり、ミートソースもどきだったり、その変身した”もどき”をウンザリしながらも食べていた。
きっと我が家の夏の風物詩になっていたのだろう。
今年も夏が来る……弟の新盆には素麺を茹でてあげようと想った。
いっぱい食べるんだよ……
私、水素は3姉妹の末っ子だった。長女はトリチウム、次女はジューテリウムという。
母親は私をジェーヌ、長女をトリ―、次女をジュードと呼び三人をかわいがった。
長女は成長すると目鼻の整った美人に育ったが、外面だけ良い家庭内暴君であったため、J×2は我が家で窮屈な思いを強いられた。
母親はそんな長女をしかったが、復職した仕事が夜勤続きで朝は3人のお弁当を作ってからすぐに眠ってしまう生活だったため良く目が届いていたとは言いがたかった。
ジューが泣きはらした顔で帰って来てトリ―のお小遣いをサイフから取られたと訴えた日、話を聞いてみて本当らしいと悟ると、母親は工場に欠勤の連絡を入れて玄関で待ち構え、帰って来たトリーの顔を左手に持ったスリッパでひっぱたいた。工場に行くために用意していた安全靴じゃなかったのは優しさで、トイレのスリッパの底で叩いたのは愛だった。トリーは驚きと悲しみで、数日大人しくなった。
そういうことも稀にあったが、Tの横暴は主に物を投げつける形で発現した。Jのどちらかがテレビを見ていて、Tが突然リモコンを奪い別に自分も見たくないチャンネルに変えてしまう。ここで少しでも嫌な顔をしたりすると、「はあ? なんか文句あんの? そんなにリモコンが欲しいのかっ、よ」 とかいいつつ喰い気味に全力で自分の靴をJに向かって投げつけてくる。後に私は、『お前は著しく不合理である』ということを伝えたが、姉は「は? は?」といって取り合わず夫を投げつけてきた。
ジューは長女に抑圧された影響か、少し精神の不安定な少女として育った。普段家では友達の様に私と接したが家の外では極端な人見知りで、周りからは大人しい子と認識されていた。しかし、たまに外で嫌なことがあって家に帰ってくると豹変し、私と、姉にすら些細なことで突っかかって罵詈雑言をまき散らし、指定騒音公害のような有様になった。
而して必然的に、トリーが投げつけるあらゆる物を素早くよけ続けながら「はあ、しか言えねえのかよアホ、どこ見て投げてんだデカ女、カキでも食ってろや猿」「はあ? はあ? はぁ、はぁ……」という状況が出現した。
私はいつも疲れて帰る母親が可哀想だった、のではなく、この破滅的状況を彼女に悟らせてしまうのが怖くて、トリーが投げつける物をキャッチするかワンバンデで拾うことに専念する事となった。今となってはトリーの物は全て私の物である。
おどるよおどる、らるららる
赤には白が相応しいと思う。どこの誰かも分からない男が送りつけた便箋にはそう書かれていた。しっかりとした血文字だ。陰惨も度が過ぎればコメディになる。この男はそれをよく知っている。
同封されたSDカードに記録されていたのは連写機能も駆使して、精彩に、撮影されたおんなの躯だ。それは息の香さえも知り尽くした恋人の面影を失っていて、辛うじて四肢の形を保った屠殺後の蛮獣のようでしかない。生きているかどうか、もはやそんな問いはやる気もない。あの日々には戻れない。
時は三月。寒さは和らぎ、花粉が舞うようになった。それでも時に雨は降る。正午あたりから降り始めて、夕暮れは曇天で隠された。いつもなら六時過ぎに来るはずのメールがなく、三日が過ぎた。手紙が届いた。郵便局を経由しない、白紙の封筒に入れられて。
赤には白が似合うと思う。そう書き添えて男が寄越したのは、セロテープだ。張り合わせた親指の長さほどの。接着面に血を塗りつけて、何か、白いものを封じている。感触からして骨でもない、脂肪、皮膚……なんでも考えられた。僕には、どうしてもおんなに見える。白いドレスを着飾って、赤いスポットライト……ワインの海……真夏の夕暮れの中空で、こんな歌を口ずさみながら踊るおんなに、見える。
おどるよおどる、らるららる、愛あればこそ照れくさいから、
どうかわたしを嫌いになって らるららる らるららる……
男は捕まった。名も顔も知らない男だ。おんなは死んだ。男のアパートにいたおんなは彼女ではなかった。山中に遺棄した数体のうちのひとつが彼女なのか。だろう、と刑事は言う。
だろうか、と僕は思う。セロテープの花嫁が口ずさむ歌声は、彼女の声ではないのに。
とりあえず式場に連絡をしよう。式を取りやめて、それから考えよう。僕はこれまで誰を思い、誰に恋をし、男に、誰を奪われたのか。それが分かれば彼女も見つかるはずだから。
名乗ってキャンセルを頼む、日付と会場を告げ、担当を指名する。電話口は困惑の声を上げ、少々お待ちくださいと言ったきり、延々と保留のメロディが流れる。おどるよおどるとあの歌が怖ろしいほど合致したので諳んじれば、自然に電話は切れ、僕はまだ電話をかけていなかったことに気がつく。
セロテープから血が溢れ始めて、床に彼女が降り立ったので、おかえりと言う。
涙ぐむ彼女。けれど、歌声は止まない。
変わらない散歩道。
草のにおいが鼻をなで、風を感じながら歩く、いつもの風景。
晴れの日も雨の日もあるけれど、見飽きたと思ったことはない。
この街では、ゆっくり時間が流れてる。
そんな気がするんだ。
偶然、帰り道で同じ方に歩くキミを見つけた。 でもいつも通り寄っていっても、キミはちょっとボクの方を見ただけだった。
その足取りはいつもより遅く、ちょっとだけ揺れているみたいで。
そうやって肩を落として歩くキミの姿に、なんだか不安を感じた。
そして、その不安は的中したんだ。
部屋に戻ったキミは、ただただ泣き崩れていた。
ボクはいつものようにそっと部屋に入ったけど、キミはボクに目を向けてはくれなかった。
ただ声を殺して、涙を流すばかりだった。
何があったなのかなんて、当然ボクには知る由も無かった。
ボクはキミの顔を見上げて、キミの隣の定位置に座る。
そしていつものように、そっと体を寄せた。
そしたらキミの体が震えているのが、ボクにも伝わってきたよ。
大きな悲しみと一緒にね。
いつしかキミは、眠ってしまった。
横になったキミの顔に、ボクはそっと頬を寄せる。
ボクはキミに、何をしてあげることも出来ない。
頭を撫でてあげることも。
そっと胸を貸すことも。
慰めの言葉をかけることも。
ボクに、キミの恋人の代わりは、出来ないんだ。
ごめんね。
出来ることは、ただキミの傍にいることだけ。
ぴったりと寄り添って。ちょっとでもキミが温まるように。
いつまで一緒にいられるかわからないけれど。
出来る限り、キミの傍にいるよ。
いつもいつも迷惑ばっかりかけてるけど。
少しでも、キミの安らぎになれるなら。
ボクは、キミの傍に居続けたい。
キミの笑顔が大好きだから。
この知らない街で。 キミに巡り会えて。
キミがボクに居場所と首輪をくれたから。
そうして良かったと、思ってもらえるように。
ボクはキミの傍にいるよ。キミが起きるその時まで。
起きたらまた、いつもみたいに笑って欲しいから。
泣いているキミは、もう見たくないから。
だからおやすみ。ボクの大事なキミ。
目が覚めた時、その手がボクの頭にありますように。
大正か明治か昭和の話で、山奥の農村に住んでいた一人の子供が親に連れられ初めて海を臨んでから帰ってきた時、村の子供達が「海とはなんぼもんの大きさじゃったかや」と訊いたので、その子供は「向こうが見えんぐらいじゃった」と答えたが、皆は顔を見合わせると、それは嘘じゃな嘘じゃなと云って信じなかったという話を、昔学校の教科書か何かで読んだ覚えがある。
その事を彼女に話してみると、あぁ私もその話には覚えがある、ちょっと共感できる話、でも何の話か忘れちゃったわと、彼女は答えた。見た事がない子には、信じられなかったのかもしれないわねとも、彼女は云った。
今年は二人でたくさんの映画を観に行った。僕の誕生日も映画を観に行った。映画の感想に、僕は過ぎ去った世界だと云った。彼女は心の深さが芯になっていると表した。その帰りに、お互いに自分の心の形をしたブレスレットを買って相手にプレゼントした。
街もネオンに彩られる師走に入った頃に事件が起きた。あの日僕がプレゼントしたブレスレットがどこかに行ってしまったと彼女は云った。
大切な思い出の一つだったので僕は怒った。どこか怒っている自分を客観的に観ている自分を感じたが、その自分もまた行く所まで行ってしまえばと、怒りに任せて彼女の頬を叩いた。そして「クリスマスの日までに見つけて、大学の、俺がお前に告白をしたあのベンチの所に来るんだぞ」と吐き捨てる様に云うと、僕は彼女の前を去った。
クリスマスから四日間、僕は彼女に告げずにサークルで東北へスキーに出掛けた。あの約束は僕の方からすっぽかした。それで彼女が別れたくなれば別れればいい。その程度の愛だったという事だと、僕は彼女を尻目に出て行った。
男幾人女幾人。旅行の中で今まで出さなかった一面を意識してか出す子も居た。しかし遊ぶ気にはなれなかった。
年明け初めの授業に出席した。雪焼けの顔をいくつも並べて席に座っていると、年末も研究室に通っていたクラスメイトが隣に座ってきた。
「お前がスキーに行ってる間、お前の彼女、俺が前を通る度ずっとあのベンチに座っていたんだぜ。俺もずっと見続けてた訳じゃないから分かんないけど、まるで一歩も動かずにじっと待ってるみたいだった」と僕の顔に向かって云ってきた。
「そんなまさか」と、僕はつい言葉を発した。それを見詰める様に彼女の心の形をしたブレスレットは、僕の手から消えずに留まっていた。
大垣城公園と奥の細道結びの地、大垣芭蕉庵へ行って来た。
大垣城は別名大柿城、麋城(びじょう)、巨鹿城(きょろくじょう)と言い、1500(明応9)年竹腰(たけのこし)尚綱が牛屋郷に築いたとも、1535年(天文4年)宮川安定が築いたとも言われる。牛屋郷は岐阜県安八郡牛屋村大尻(大尻は現在の大垣)。元々大垣市は安八郡大垣町。1918年(大正7年)4月1日に市制が施行された。
その後、氏家氏、伊藤氏によって改築が加えられ、1613年(慶長18年)には松平忠良が天守を改修した。戸田氏大垣藩初代藩主となった戸田氏鉄の頃には完成形を得て居たようだ。明治時代に出された廃城令(1873年(明治6年)1月14日の太政官達)でも廃城を免れ1936年(昭和11年)には国宝(旧国宝)に指定されたが、1945年7月29日に大垣空襲によって天守や民櫓などが焼失した
戦後再建されたが、やはり資料などを使い、当時のものを復元するように努めた様だ。戸田氏鉄の像が大垣公園にはあった。騎馬像で軍配を手に持って勇ましい。よろいかぶとの甲冑一式を着込み、勇ましく頼もしい感じがする。戸田氏大垣藩初代藩主の氏鉄の遺徳が偲ばれる。
天主の近くには麋城(びじょう)の滝があり、そんなに大きくは無いが、「瀧」と言う明治以降夏の季語となった、「滝」一般に魅せられるかの様に歩みをそちらに向けると、涸れた滝では無く水がちゃんと上から流れて居た。
滝の上に水現れて落ちにけり 後藤夜半
こんな俳句を思い出す。芝生広場では、既に茶色味を帯びたしろつめくさが疎らに生えて居た。
蝶去るや葉とぢて眠るうまごやし 杉田久女
うまごやしはしろつめくさの事。幼児が数名水と戯れて居た。ミスト状に水が常時出て居て涼を誘って居る。子供は遊ぶのが仕事の様だ。
大垣市役所などを超えて、水門川に沿ってむすびの地を目指した。芭蕉と曽良の奥の細道の行脚。曽良は既に大垣に着く前に離脱して居たようだが(石川県加賀市の全昌寺で病を得た曽良は先に伊勢長島へ向かったため大垣には同行しなかった)。
水門川には鯉の数が少ないようだが、僅かながら泳いで居る鯉は大きい。野生の黒い鯉から、鑑賞用の錦鯉見たいな物までかなりの大きさであった。
緋鯉見て帰りの道はあっと言う間
葉桜の時期過ぎ行けり写真撮る
写真撮る前に抹茶のアイスかな
青苔や水垂直に流れ続け ロロ作
チーズのとろける匂いは時に人をも殺す。死んでしまいそうになるぐらい鼻をかすめるそのいい匂いを放ちながら、ピザはバイク後方の籠にしっかりと収納されて、ある民家に向っていた。ある民家では、今か今かとピザを待ち望む餓鬼どもがうるさい。ピザピザピザと口々に、というのはある民家にはいまちょうど親戚の子が来ていて、腹が減りましたな奥さん、などと粋な口調で自分よりも30ばかり年齢が上の親族を捕まえて主張しているのを、仕方ないなあ、とある民家の主人がピザを頼んだわけで、餓鬼はここぞとばかり、歓声を上げてその到着を待っているわけだ。
そのピザを積んだバイクはやけにふらふらしていた。そのはずである、バイクを運転するのは自動二輪の免許など持っていないマグロだったから。ふらふら、対向線をすぐに越えてふらふら、大変危険であった。当然、ピザ配達のバイト面接時には、免許の有無を聞かれる。マグロはここでお得意の曖昧さ利用し、持っている風な顔をして何食わぬ顔ですり抜けたのであった。店長なる男も無学な男で、マグロが自動二輪の免許を取れないなどと想像できなかったのだ。マグロはそのようなわけで、運転していた。ヘルメットを被り運転するマグロは風であった。自分は今間違いなく、風であり、颯爽と国道を行くライダーである。なんと恰好がいいマグロであろうか、自らその恰好のよさを思うと震えた。それが増幅されてふらふらしているのでもあった。マグロは幸福であった。ピザを届けることなどどうでも良くなってきた。チーズのとろける匂いはマグロにとって汚物そのものであった。こんなものを食べたい生物が信じられなかった。マグロはこのまま国道を登っていこうと考えた。そこにユートピアはあるような気がした。ガソリンは満タンで、別段寒くもない暖かい夜だった。月が出ていた。