第140期全作品一覧

# 題名 作者 文字数
1 ロールキャベツの夜 まんぼう 1000
2 三郎と黒猫キャサリン ロール 999
3 キャンプ・ファイヤー 池田 瑛 1000
4 ずっとそばに・・・ モカ 179
5 とにかくオムレツ nissy121212 974
6 日常 てつげたmk2 454
7 ともこ3 岩西 健治 960
8 やさしい丘 吉川楡井 1000
9 のろけられただけの気もするけどそれでもなんだか勇気が湧いてきたんだ あお 735
10 定期演奏会 かんざしトイレ 1000
11 ブラウンシュガー M2 1000
12 しらじらしい話 tochork 965
13 蕪村 ロロ=キタカ 775
14 けぶりゆく 伊吹ようめい 996
15 qbc 1000
16 マイシクラメン 白熊 1000

#1

ロールキャベツの夜

 買い物に行ったらスーパで春キャベツが150円で売っていた。昨日までは180円していた奴だ。それを見たら無性に買いたくなった。買わなくちゃ損だと思った。
 買ってみて「どうしよう」と困った。今更ながら己の計画性の無さに腹が立つ。
 なるべくお金を掛けないで家族で楽しめるヘルシーなおかず……無い知恵を絞って結局、家にある昨日のハンバーグの材料の残り、つまりひき肉でロールキャベツを作ろうと思った。我ながら名案だと悦に入った。
 もう、そうなると頭の中はロールキャベツで一杯になる。逸る心を抑えて家に帰り、芯をくり抜いて大きな鍋にグラグラと沸かした湯で茹でる。しんなりとなったキャベツの葉に今度は昨日の玉葱の混じったひき肉を包んで行く。
 葉っぱを止めるのは楊枝なんかじゃ無くて、ちゃんと塩でもんで戻した干瓢で巻いて行く。わたしは、安いキャベツだって手は抜かないんだ。ついでに愛情も入れておく。春だから今日はコンソメで煮よう! 戸棚を見たら切らしていたのに気がつく。間抜けだ!
 仕方なく近くの100円スーパーに買いに行くと「本日の特価、キャベツ100円!」と書いてあった。あまりのショックで目眩を覚える。
 ショックでコンソメを買い忘れそうになるが、何とか買って憂鬱になりながら帰り、コンソメで先程の肉巻きのキャベツを煮る。未だ「ロールキャベツ」じゃ無いんだぞ。わたしが美味しく煮てあげて「ロールキャベツ」になるんだよ。
 やがて、いい匂いがして来て出来上がると、大きなスープ皿に装って家族皆で食べ始める。
黄金色に輝くコンソメスープにわたしの作ったロールキャベツが鎮座ましましている。
 ああ、やはり春キャベツは美味しいなあ〜 きっとわたしが選んだから美味しいのだろう。「あの特価100円のキャベツではこうは行くまい」と食べながら思う。
 すると息子が「みっちゃん家も今日はロールキャベツだって! 100円のお店で買っていたよ」
 それを聴いて、今夜はこの辺りの家の夕食はロールキャベツの家が多いだろうと推測する。 だが我が家のロールキャベツは特別だ! だって他所より50円高いのだから……
 そうしたらまたもや息子が「みっちゃんの家はキャベツにべーコンも巻くんだって」
 聞こえないふりをして思う「ベーコンなんて邪道さ……」実は忘れていただけどね。
 ベーコンよりも愛情入りの我が家の方が美味しいに決まってる……そう思った。


#2

三郎と黒猫キャサリン

「おお、ローサ、ローサローサ。ぼくの心の小窓を開く鍵は、ああ、ローサ、君が持っているその美しい肉声だけだよ」
「止めて変態。私はあなたが嫌いなの。金輪際近寄らないで!」
「おお、ローサ、その美しいルビーのような声をもう一度聞かせておくれ」
「金輪際近寄らないで!」
ローサはこんな冷たい事を言っているが、きっと僕の事を想う気持ちが裏返しとなって表れてるんだ。うん、きっとそうだ。それしかない。

「よし、完成したぞキャサリン!」
「くだらない小説?」
「くだらないとは何だ。多分ダブル受賞だぜ」
「ジャンプの新人賞だっけ?」
「ジャンプは漫画だ。芥川賞と直木賞」
俺は原稿を投げ捨て、思いっきり伸びをした。
「もう歳なんだから、あんまり無茶しない方がいいよ」
キャサリンは毛づくろいをしながら呟いた。そうだ、確かに俺は歳をとった。還暦と言えばもう立派なジジイだ。有名所で言えば関根勤と同い歳だが、ヤツは結構若く見えるからな。比べないでくれ。
「ごはんまだ?」
「ちょっと待て。そんな事より良いものを買って来たんだ」
俺はゲーム屋の紙袋からPSPを二台取り出すと、一台をキャサリンの前に置いた。
「ねえ、僕、猫だからゲームとか無理だよ」
「気分だよ気分」
キャサリンは溜息を吐くと、PSPのボタンを肉球で押したり、画面を舐めたりしていた。しっぽを振っているので、意外と気に入ったと見る。
「明日、砂浜に行こう」
「またぁ? 他にやる事ないの? あと一ヵ月しか無いんだよ?」
「おうおう、分かってらぁ。最後くらい付き合ってくれよ」
キャサリンはもうゲームに飽きたのか、ゆっくり伸びをしながら立ち上がると、餌を食べに台所へと向かった。
カリカリ、と小気味良い音が聞こえてくる。俺はデビルサマナーとなって事件を解決する事にしたが、慣れないもので、序盤のボスで大苦戦。10回はゲームオーバーになった。
「おい、これは老人には難しいぞ。一ヵ月でどうにかなるのか?」
「まさか一ヵ月ずっとゲームし続ける訳じゃないよね?」
「デビルサマナー次第だ」
キャサリンはもう飯を食い終えたのか、ベッドの上を一人で陣取っていた。
「ねえ、キャサリンって名前はどういう意味で付けたの? ぼくオスだよ」
「死んだ婆さんの名前だよ」
「ヒュ〜、愛妻家だね」
「そんなんじゃねぇよ。呼び慣れてるだけだ」
「…向こうで婆さんと会えるといいね」
 俺は苦笑いした。死神に気を使われるなんて、俺も末期だな。


#3

キャンプ・ファイヤー

 息子が林間学校の案内をもらって家に帰ってきた。案内には、林間学校に関わるスケジュールや、教育的意義や、費用の仔細が書いてある。キャンプ・ファイヤーの事も細かい。『オクラホマミキサーの曲で踊ります』なんてことまで書く必要が? と疑問に思う。

 自分が子供の頃の林間学校のこと、そしてあの時のキャンプ・ファイヤーを思い出した。

 私の子供の時の、林間学校の二日前くらいに、「この2組で、いじめが起こっている。それは悲しいことだし、情けないことだ」と先生が言った。そして「林間学校で、仲の良かったクラスにまたみんなで戻しましょう。クラスを再生して、やり直しましょう」とも言った。

 そして、自分自身を表していると思う200円以内の小物を、林間学校に持ってくるようにと指示を出した。私は直感的に私の長い髪を止めているヘアゴムを持って行こうと思った。長い髪は、私のトレードマークだった。お団子、三つ編み、ポニーテール、ダウンテール、ハーフアップ。どの髪型だって、可愛いとみんなから言われていた。

 林間学校の日、先生は生徒が持って来た小物をまとめて、井桁の上に置いていた。私のヘアゴムも。その光景を生徒全員で眺めたっけ。

 火の神様が山から降りてきてキャンプ・ファイヤーは始まった。
「火は、私たちの生活を便利にする。しかし、時として、私たち自身をも焼く」というような警句を火の神様が言った。そして、火の神様は友情の炎、勇気の炎を分け与え、再び山に帰っていった。学級委員長と友達のHちゃんが、学年を代表して炎を受け取って井桁に点火した。

 炎の勢いは強かった。私自身に襲いかかってきそうな、そんな勢いの炎だった。「燃えろよ、燃えろよ。炎よ燃えろと」、みんなで炎を囲んで合唱したっけ。

 「火の神様」の役は、息子の担任の先生がすると案内には書いてある。
 そういえば、あの時のキャンプ・ファイヤーで「火の神様」はだれが担当していたのだろう。「山の神様」の身長からして、子供が扮していた。口上を述べたその声は、男子の声だった。だが、小柄なHちゃんよりも、身長の低い男子は1組にも2組いなかった。

 私は林間学校のあと、長かった髪を母に短く切ってもらった。それから今に至るまで、髪をあの頃のように長く伸ばしたことはない。

 二十数年振りに、髪を伸ばしてみようかとも思った。だが、今週末、カットの予約を美容室に入れていたことを思い出した。


#4

ずっとそばに・・・

わたしの初恋は、まだ・・・小さいころだった。
「大丈夫。もう、さみしくないよ。」
ひとりで雨の中、さみしくてお母さんに会いたくて泣いてた私にそっと手を差し伸べてくれた君。
でも・・・私の想いは届くはずがないんだ。
「俺、お前のこと大好き!ずっと一緒だよ!」
いつもそういってくれるけど、それは違う意味でしょ?
だって・・・
だって・・・私は、「柊恋音」に拾われた犬だから。


#5

とにかくオムレツ

 俺は三度の飯よりテレビが好きだ。家にいる時は常にテレビを見ている。出来る事なら全ての番組を見たいのだが、それは物理的に不可能なので、自分が見ている番組以外は、レコーダーに全て記録して、後から見る事にしている。しかし、録画した番組を見ている時は、同時にまた新しい他の番組が現在進行で続いている訳で、どれだけ記録した所で、所詮全てのテレビを見尽くす事は出来ないのである。

哲理1。全てのテレビを見尽くす事は出来ない。

 俺がこの事に気付いたのは小2の冬休み、「新春かくし芸大会」のマチャアキの超人芸を居間のテレビで見ていた時だ。俺はこたつでみかんを食べながら、最後の一房を剥いていた時に、ああそうだ、どれだけテレビが見たくても、全部は見れないんだよな、なあマチャアキ。気付けば、そうテレビに語り掛けていた。ブラウン管の向こうのマチャアキは、もちろん無垢な小学生の馬鹿な質問にはちっとも答えてくれなかったけれど、テーブルを引く芸の時に見せた、真剣なマチャアキの表情が、ほんの一瞬だけ緩んだような気がした。
 それ以来、俺はマチャアキのファンになり、いつか親戚が集まった時にはテーブル引きの芸を披露するんだと心に決めた。

哲理2。俺はいつかテーブル引きを披露する。

 残念ながら、まだその時は訪れていない。人知れず何度も何度も練習し、家にあった安物のワイングラスは、ほとんど割れて台無しになった。それでも、あのいまいましいテーブル引きというやつは、一向にできるようになりゃしない。それよりも何よりも、親戚が集まった時にはテーブルが一杯になるので、テーブル引きにテーブルを使う余裕などとてもじゃないがないのである。俺はこの事実に気付いた時、驚愕した。そして、あれほどやりたかった芸に何の光も当てられなかった自分を悔み、しばし嗚咽した。そして、オムレツを作って食べた。すると翌朝、全て忘れた。

哲理3。大抵のことは、オムレツを食べれば忘れる。

 この哲理に関して異論のある向きも多々あるだろう。しかし、しかしである。一度でいいのだが、嫌な事があった時に、どうか手近にあるフライパンと卵で、ふわふわのオムレツを作ってみて欲しい。するとあら不思議、嫌なことがどこへやら、どこ吹く風である。いやもちろん多少強引なことは百も、いや千も万も承知である。

 とにかく、オムレツ、である。


#6

日常

 西暦二一二〇年、太陽系外縁で小型のブラックホールが発見されて大騒ぎになった。

 中学生だった僕も難しいことは分からなかったけど心がワクワクしたことは覚えている。

 高校生の頃、ブラックホールは軌道を変えられ太陽系の仲間となった。

 大学生の頃、ブラックホール周辺にエネルギー転換システムが設置され地球のエネルギー問題は一掃された。

 社会人となり家族を持った頃……
「あなた、今日は燃えるゴミの日だから会社に行くときに集積場へ出して下さいね」
「わかったよ、えーと、明日は燃えないゴミの日だったよな?」
 息子の紙オムツを取り換える妻に見送られマンションの集積場にゴミを出し僕は会社へ向かう
 朝焼けの空に世界の各地からゴミを乗せたロケットがブラックホール目指して飛翔する航跡が幾重にも続いていた。

 そして、時は流れ……
「父さん、母さん……行ってきます。」
 僕と妻は無事に育った息子の背中を見送った
 蒼く澄み切った空の彼方に独特のシルエットを浮かべていたワームホール型ワープ試験宇宙船はブラックホールへ向け旅立って行った。


#7

ともこ3

 学割りの利く画材屋で買った花火はすぐに暴発して、ことごとく夢を砕いてしまった。誰の夢かと思えば、わたしの夢であった。
 努力を重ねれば成功するなんて嘘ですよね先生?
「君たちには輝かしい未来があって、でも頑張らないヤツには未来は待ってないぞ、ほれほれ掃除掃除」
 天性の素質ってやつ、どこで購入すればいいんですか? ネットとかですか先生?
「物の本質を見極めるためにデッサンをするんです。石膏像とトイレットペーパーの間にある空気を描いてください」
 減らない鉛筆の芯をわざと折って削りかすだけをティッシュペーパーにためる。たまった木屑を嗅ぐと湿った匂いがする。鉛筆の芯とダイヤモンドが同じ物質だと知ってからは、鉛筆を少し尊敬するようになった。
 午後の授業はとりとめもない妄想で過ぎていった。
 デザイナーの資質を磨くことは重要だけれど、どうも授業はわたしにはタル過ぎた。燃え上がるような学習意欲はどんどんしぼんでいき、最後には落花生ほどの大きさになってしまった。
(こんぴゆうたぁ、ぐらふぃっくすか。こんぴゆう、こんぴゅ、うたぁぁぐらふいっくすぅかぁ……)
 こんなことなら、コンピュータグラフィックス科専攻でも良かったかもな、と実際に口の中でコンピュータグラフィックス科と反芻してみるがしっくりこない。誰が悪いのでもない。きっと今日の天気のせいなのだ。もしくは朝の占いとか。そういった個人がどうしようもできない温かな空気に教室全体が包まれ、大きな海原、小さな手漕ぎボートで一生懸命に皆、オールを漕いでいるのだ。姿勢を頻繁に変える生徒もいる。まったく動かない生徒もいる。たまに奈落に落ちる生徒もいる。ノートをとる生徒もわずかだがいた。才能はこれから磨けばいいさ、と先生は言うが、天性の素質に勝ることが果たしてできるのでしょうか?
 開け放った窓からの風が頬を撫でる。黒板の突端の水平線が見えるか見えないかの距離感で、うつつからふと我にかえる。まるで時間が止まったかのような、授業は数秒前と変わらぬままである。
 わたしは指の腹で口元を拭い、静かにまわりに気を配った。実際に時間が止まっているのかも知れなかったが、時間が止まっていようがいまいが今はどうでも良かった。そんなことより自分が寝言を言っていなかったのか、そのことの方が心配なのだ。


#8

やさしい丘

 その犬の飼い主はちいさい男の子だったが、川におちて死んだ。
 土手の土がえぐれていたので足を踏み外したことになっているが、友人が突きおとしたことを犬は知っている。連れ去られていくのを見た!
 夕暮れがあざやかに燃えたつ夏の日、両親はいたずら犬に愛想がつきて捨ててしまうことにした。アザミで賑わう小高い丘のふもとにつくと、母親はオレンジ味のシフォンケーキを草むらに投げた。鼻が草いきれをまともに浴びて、見つけるのに時間がかかった。スポンジの穴を黒蟻が出入りしている。ふた口でたいらげた。
 父親の自動車は消えていた。代わりに道幅いっぱいのトラックがアザミを踏みつぶしながら近づいてきた。運転手の女がかじりかけのホットドッグをちらつかせておりてくる。背が高く、ブロンドの髪もことさら長い。
 二本足で動くものなら何でもよかった。泥だらけのブーツにすり寄ると、ソーセージをひとかけもらった。ブーツの先で、脇腹をしたたかに蹴りあげられた。「ばかいぬ」と吐き捨てトラックは去った。

 すぐに飛び起きたが、思うようには歩けなかった。腰が変に曲がってしまって、無理に戻そうとすると、腿のつけ根にはげしい痛みが走るのだった。
 丘の上のカエデの木から小鳥が飛び去った。草の表面をすべったテントウムシが、風に流された。投棄された缶詰が転がった。缶には、少年と犬のイラストが描かれていた。
 犬は男の子に関するたいがいのことを知っていたが、彼らのタブローがスーパーのドッグフード売り場に並んでいることは知らない。友人が突きおとしたことは知っているが、天才子役と謳われた男の子を羨んだからだとは分からなかった。まして息子をアイドルに仕立てあげた両親が、犬を置き去りにしたあと丘の反対側に自動車を停め、猟銃で喉奥を撃ちぬいていることは感づくまい。しかし、丘は知っていた。人の手も借りずにできあがったアザミと芝生の絨緞が、物事のすべてを包みこんでいるからだ。丘の上を犬が走る。少年と追いかけっこ!
「ばーか」と笑う少年と犬。丘は大きな手のひらで、カエデの木の一本を引っこぬく。

 一マイル離れた農場の脇道、トラックの暗い車内。
 ほてった股間に指をうずめていたブロンドの女は、おびただしい黒鳥の群れのような車窓のまん中に、それを見つけた。絶頂手前で目をつむった一瞬の間、フロントガラスを轟音とともに突き抜けてくる大木に、女の頭は叩きつぶされた。


#9

のろけられただけの気もするけどそれでもなんだか勇気が湧いてきたんだ

どうしてあたしはこんなにバカなんだろう。
数学のテストをお父さんに見せたあと、あたしは自己嫌悪で沈み込んでいた。
お父さんはいつも通り、「次は頑張りなさい」と言って部屋に戻って行ったけれど、本当はため息をつきたかったに違いない。
私のお父さんもお母さんも、高校の数学教師だ。
特にお父さんは、子どもの頃からすごく数学が出来たらしい。
それなのにあたしときたら。
本当にあの両親の子どもなのかと思うほどの出来の悪さだ。
蒸し暑い空気が身体にまとわりついてきて、あたしは苛立ちを募らせた。
何も考えたくなくてソファーにだらっと腰掛けていたら、最悪のタイミングでお母さんが帰ってきた。
「ただいま、桃子」
「おかえり」
お母さんの視線が机の上のテスト用紙に向いた。
「テストが返されたの?うーん、六十点か」
「うん、いっぱい間違えちゃった」
テスト用紙を持ってお母さんはあたしの横に腰掛けた。
あたしは少し体を左側にずらした。
「そんなに落ち込むことないわよ。ほら、ここなんか途中までは合ってるじゃない」
「でも」
言いよどむあたしに、お母さんはちょっとの間のあと話し始めた。
「桃子、お母さんもね。子どもの頃は数学が大の苦手だったのよ」
「お母さんが?数学の先生なのに?」
「ええ。でもわからないところがあると、幼馴染だったあなたのお父さんが一生懸命教えてくれたの。そのうち問題が解けるようになって、数学が好きになったのよ」
「そうだったんだ」
「この話はお父さんには内緒よ。照れちゃうから」
「うん」
お母さんは腰を叩いて立ち上がった。
「さて、洗濯物を取り込まなきゃね。桃子も手伝って」
「うん、わかった」
お母さんが窓を開けると涼しい風が部屋の中に流れ込んできた。
もうちょっとだけ、逃げずに向き合ってみようかな。そう思った。


#10

定期演奏会

 ぶわーん。
 成美先生が動きを止めて指揮棒も止まる。それを注視していた各パートも手を止めて、楽器が余韻を残す。パラパラと鳴りはじめた拍手の音に成美先生がほっと息を吐き、向こうへ振り向くと、止まっていた時間が動き出す。わたしたちが演奏して届けた曲の何倍も返してもらっているような客席からの大拍手だった。

 次のプログラムまでにポジションを移動するため、舞台は暗転した。どたばたと場所を変わる部員たちの間をぬってわたしはステージの前に進み出た。次の曲を紹介するとともにおしゃべりで時間をつなぐ。いわゆるMCというやつだ。楽器を握っているときはそうでもなかったのだが、急にどきどきしてきた。明るくないので観客の顔はよく見えない。ざわざわとした沢山の人の気配がどんどん存在感を増していく。顔が熱くなり、頭がぎゅっと締め付けられるような感じがした。

 ぽんと肩をたたかれた。まさみだ。一番うしろの台の上からやっと下りてきてくれた。台詞の練習は何度もしたし、失敗はしたくない。願わくばこのかけあいで笑いの一つでもとりたい。そう思ってはいるもののひざの震えが抑えられない。
「マイクは」
「あっ」
 あわてて後ろを振り向く。コントラバスの側に駆け寄りマイクを引っ張ってくる。まさみの横に戻ったとき、スポットライトが二人を照らし出した。

「ただいまお送りした曲は、小人の祭りでした」
 手元のメモを見る。早くも声がひっくり返りそうになる。
「小さな小人たちがたくさん集まって、両手をあげてわいわい騒いでいる様子が目に浮かんだでしょうか」
 少し間があいた。まさみが固まっている。台詞が飛んだのだろうか。まさか。わたしと違ってまさみはこういうの得意な方だと思っていた。ひじでつついてみる。表情は見えない。どうしよう。次は軽いボケがあってわたしがつっこむみたいな展開なのだけど、この空気では受けるはずがない。

 舞台袖のドアの隙間から、成美先生が心配そうにこちらをのぞき見ていた。わたしはそれが何だかおかしくて妙に大胆になってしまった。
「成美せんせーい」
 まだひざは震えていたけど大声で呼んで手招きした。先生はびっくりした様子で、でもすぐに小人のようにおちゃらけて踊りながら出てきてくれた。これも意外。会場は大爆笑につつまれた。
「先生、そんな人だったんですか」
 まさみも調子を取り戻す。大丈夫。わたしたちのステージはきっと最高のものになる。


#11

ブラウンシュガー

 雨ってユーウツ。傘という荷物は増えるし、湿気で服は張り付くし、髪もまとまらないし。
 それにせっかく窓際で一番後ろの特等席なのに、ツマラナイじゃない。
 今日最後の授業は国語。机に突っ伏したままのクラスメイトの姿を横目に見ながら右手に持ったシャーペンを回すと、ペンは綺麗に円を描いて元の場所へと収まる。
 くるり。くるり。
 お気に入りの青いペンが指先で踊る。
 くるり。くるり。
 指先が作る一定のリズム。それを感じながらそっと視線を泳がせる。
 視線の張り付いた先は一つの空席。昨日もその前も空席だった。
 今日も来ない、か。
 カツカツと黒板にチョークの当たる音を聞きながら、引きはがした視線を外へと向ける。
 梅雨にはまだ早いよね。雨のおかげで肌寒いし。
 ふぅ、とため息をついた拍子に回転したペンが指からノートへパサリとこぼれ落ちた。

 ツマラナイ。ほんとツマラナイ。全部アタシが悪いって言うの?
 あの席が空席なのも、今日が雨なのも、こっそりとグループからハブられようとされているのも。
 確かに言い出したのはアタシかもしれない。でもそれに輪をかけて大げさに広めたのはそっちでしょう?
 頬づえをつき半目でクラスメイトを見る。こちらを見る視線などあるはずもなく、ダレた空気が教室を覆っている。
 誰だ、アタシのことを陥れようとしてるのは。
 ハル? それともミカ? あるいは向こうの意趣返し?
 それでもアタシ一人が負うなんて、ホント馬鹿げてる。
 もう一つため息をついてからペンを拾い、黒板に書かれた文字をノートに書き写す。立ち位地を守るためには、それなりの成績も必要になる。弱いところは出来るだけ見せないこと。
 たぶんコレは回っていく。弱い子をダシにして、自分の平和を守るために。まるでイケニエのように巡っていく。
 そして自分の番になるまで気がつかない。なんかウイルスに感染したみたい。いや、中毒かも。

 板書を写し終えたタイミングでチャイムが響く。今日の授業はこれでオシマイ。
 いつもなら誰かに声をかけて一緒に帰るところだけど。
「ゴメン。今日は先帰るねー」
 とりあえず言葉を投げつけ、さっさと教室を出る。
 ウチに帰ったら紅茶を飲もう。ちょっとブラウンシュガーを多めに入れて。少し落ち着きたいし。
 ケータイを鞄に放り込み、ビニール傘片手に水たまりへと勢いよく踏み出す。
 濡れてもいい。でも、アタシだけじゃ終わらせないから。


#12

しらじらしい話

体育の話になった。一年生は四月から陸上だった。とても評判が悪かった。けれど里香は走ることが嫌いではなかった。百メートル走はとても単純でしかもバテる。太ももが痛くなる。なのに走り終わったあと膝に手をついて呼吸を整えているときが好きだった。スタート視点までのんびり歩いて戻るとき日射しがぽかぽかしているのも好きだった。絢音はそれを聞いても里香を茶化さなかった。
「そっかー。好きなんだ」
「うん」
「そういう好きになりかたって珍しいね」
「やっぱり?」
「うん。みんなタイムを縮めるために練習するから」
「あー…、でもわたしは足早くはないんだよね」
絢音は「そっか」ともう一度つぶやいた。ふたりはコンビニに入った。店内は冷房とも暖房ともつかない空調が効いていた。同じ学校の制服が何人もいた。絢音も絵理も制服のブレザーを羽織っていた。ネクタイを締めていた。ふたりはお菓子売場で立ち止まった。
「わたし、中学校では陸上部だったんだ。短距離の」と絢音が言った。
 絢音は袖をまくって腕時計をみせた。
「これも陸上が好きだったから買ったんだ。でも、絶対に高校レベルにはついていけないなーってなって。あきらめかな」
「うん」
「もう仮入期間も終わっちゃってせいせいしたような後悔したような感じなんだよね。……でもやっぱりタイムだけじゃないよね、ってさ」
 香里は絢音の頭をぽふぽふ撫でた。元気だしなよって。絢音は商品棚をみるのに中腰になっていて高さ的にも丁度よかった。絢音は香里を見あげた。香里は笑ってみせた。
「部活だったら高タイムを目指すのは当然だよ。そうじゃなかったらなんのために大会に出るのかわかんないもん。でも絢音ちゃんは三年間つづけて引退して、もう楽しく走ったっていいんじゃない?」
「そうかな」
「うん。わたしも全力で走ってもぜんぜん遅いけど楽しいよ。授業だとみんな手を抜いて走っているけど、それはそれでいいとおもう。絢音ちゃんも自分が楽しいように走ったらいいとおもう」
 勝手かな、と香里はつけたした。絢音は首を振った。
「ううん。まず授業でちゃんと走ることにした。みんなといっしょにゆっくり走ってたら、なんだかこれでよかったのかなって迷うようになっちゃったんだよね」
「実は陸上部だったんだって言ったらいいよ」
「そうする。ありがと」
 絢音は目をつむって伸びをした。


#13

蕪村

俳人与謝蕪村は画業でも有名な人であった。安政7年(1778年)蕪村63歳の頃から「謝寅(しゃいん)」の号を用い始める。画号であるが、俳句を含めて蕪村の「謝寅(しゃいん)」時代と言って良かろう。次のような句がある
痩脛(やせはぎ)や病(やまひ)より立つ鶴寒し 謝寅(しゃいん)
 蕪村門であった吉分大魯(よしわけたいろ)が安政7年(1778年)11月13日(旧暦)に亡くなった。その大魯(たいろ)に宛てた見舞いの一句である。痩せ衰えた鶴だ。大魯(たいろ)の痩せて脛の細くなった事を病の鶴と重ね合わせて居る。
 吉分大魯(よしわけたいろ)は蕪村門の奇才。阿波(あわ)徳島藩士。本姓今田文左衛門だった人だが仕事を止めて京都に出て俳諧師となった。高井几董とは一生交遊があったらしい。
泣(なき)に来て花に隠るゝ思ひかな 謝寅
 蕪村の大魯(たいろ)追悼吟である。蕪村は大魯の才能を高く買って居た。悲嘆にくれる心情を物に託して詠む。「花に隠るる思ひ」なのである。
狐啼(ない)てなの花寒き夕べ哉 謝寅(しゃいん)
 安永8年(1779年)の句である。季語は「なの花」らしい。「狐」も冬の季語だが、ここでは「なの花」の春なのであろう。蕪村には「なの花」を詠んだ句がたくさんある。「なの花や月は東に日は西に」・「菜の花や遠山鳥の尾上
まで」・「なの花や昼一しきり海の音」・「菜の花や鯨もよらず海くれぬ」。最後の句も「鯨」が冬の季語だがこの句では季語は「菜の花」で春の句。
松島で古人となる歟(か)年の暮 謝寅
蕪村の亡くなる前年天明2年(1783年)の句である。同じ年に
松島で死ぬ人もあり冬籠(ふゆごもり) 謝寅(しゃいん)
の句もある。風流のメッカ松島に対する憧れであろうか。

 以上のように私は図書館で蕪村探求に勤しんだ訳であるが、蕪村の何が分かったのか、それは分からないのである。 


#14

けぶりゆく

 大学三年の誕生日にもらったこのマルボロも、ついに最後の一本である。四年ほど前か。ヘビースモーカーの友人、渡辺が、俺を喫煙者に仕立て上げようとして渡してきたのだ。結局俺は付き合いで何度か吸ったくらいで、喫煙習慣が付くことはなかったのだけど。

 そんな渡辺も、卒業してすぐ徴兵され、遠くへ行ってしまった。
 火を点け、軽く吸い込むと、懐かしい喉のいがらっぽさを感じた。相変わらず全然美味くない。三月の雑居ビル屋上はまだ肌寒く、人影は見当たらない。まあ、どこを見ても誰もいないのだが。こんな時に外に出る奴なんていない。

 「世間とか社会みたいなさあ、実体なんかねえ大人たちがよ、『将来のことを考えなさい』って俺等の髪引っ掴んで無理やり未来の方を向かせてっけどさ、真っ暗なんだよな。でも時間だけは確実に俺等を運んでてさ、二十歳前後って結構絶望じゃない?」
戦争前のことだ。渡辺は酔うといつもこんな調子だった。そんなことないよと俺はなだめていたけど、心のなかでは同意していた。認めたら二人してダメになりそうだったから。元気にしてるかな。まあでも、やっぱ無理なのかな。

 徴兵の前夜、俺の家で二人で飲んだ。いつも通り内容のない話をして、でも二人とも何かから逃げるように強い酒を飲んで、段々渡辺の声が大きくなって、と思ったら急に改まったように体育座りなんかして「ごめん、ありがとう」と言い、長袖でゴシゴシと顔を拭いて、そのままの体勢で寝た。そこまでは覚えている。目覚めた時、もう渡辺はいなかった。

 吐き出した煙を何とはなしに目で追うと、空がやたら広いことに気がついた。なるほど、煙草は空を見るために吸うのかもしれない。薄い水色が、全くどこまでも一辺倒に続いている。空き箱をぎゅっと潰して、左手で投げてみた。ほとんど飛ばず、揺れながら落ちていった。

 まだ半分くらいあるマルボロを踏みつける。吸ったらふらりと飛び降りようと思っていたけど、やめた。もしかすると最初からそんな気なんてなかったのかもしれない。
 もう一箱吸ってからでも遅くはないと思えた。銘柄を選ばなければ、煙草くらい買えるだろう。目を凝らすと、空にまだ薄く煙が残っている。ヘリの音がする。
 階段室へのドアを開けた。いつの間にか、軍でもどこでも行ってやるという気分になっている。一段飛ばしの足音に、ポケットの中で鍵とライターがぶつかるリズミカルな音が混ざる。


#15

(この作品は削除されました)


#16

マイシクラメン

 ――今まで暖かな陽気の中で生きてきた。


 手に持った本のページは静かな風でめくられた。幾つも層を重ねた雲はうろこの様に伸びていた。それもまた音もたてない風の仕業だった。西方はもう残照に赤く染まっていた。
 以前、引っ越したお姉さんにもらった本を読もうと縁側に出て腰掛けるが、柱にもたれ掛かればまどろんでしまって白い光に包まれていく。靄の掛かった視界が鮮明になるとそこは二人掛けの座席の向き合う汽車の中だった。

 遠くには波打つ山の尾根が見えた。線路沿いを流れる黄色い野花が目に入った。前方はレールと枕木の砕石を敷いた一本の道がどこまでも続いていた。緑したたる山々はブロッコリーの様で陽差しが強く眩しい。


 ――カーテンを、閉めて頂けませんか。


 向かいの席の斜め前に白いワンピースを着た女性が腰掛けていた。膝の上で開いた本を読んでいた。
 カーテンを通して流れる外を見た。ピンクの花弁、あれはサザンクロスだろうか。白く十字を付けた花が風に揺れている。目を閉じた。茶葉の匂いのする風が頬の上をなでていった。

 ほんのりと淡い香りが鼻を触る。いつしか汽車は白い花弁の舞う中を走っていた。花弁が一枚窓から入ってきた。桜だった。ひらりと僕の隣に舞い降りた。向かいの彼女はそれを手に取ると本に挟んだ。その所作を見て僕の内に心惹かれる想いとどこか懐かしいものが込み上げてきた。

 木造の小さな駅で汽車は止まった。外は暗く窓は露が垂れて白く曇っていた。袖で窓をぬぐうと電灯の放つ光の中を小さな雪が舞っていた。冷気が入り込んできた。向かいの席の女性は車両から姿を消していた。

 汽車はいつ動き出すのだろう。ガードレールの下、光の中に小さな花をつけた植木鉢が見えた。


 ――シクラメン。


 自然と口から言葉が漏れた。白い雪の中に咲いた花弁。やさしい光を放っている。光はほんのり暖かく冷気を越えて届いてくる。確かに心に暖かさを感じた。



 ……気が付くと縁側から見える空はすべて青藍に染まっていた。手元の風にめくられた本を見ると押し花の様に桜の花の模様が付いていて僕を見つめていた。
 陽が沈むと空気が冷え込んできた。肌寒さを感じた。そしてこれからはよりしたたかに冬の寒さが沁み入って感じられるようになるのも又事実だろう。

 夕飯の支度が出来たという母の声が聞こえた。僕の立ち上がった縁側には今朝送られて来たまだ蕾のつかない小さな鉢が置いてあった。


編集: 短編