第143期 #5

口さみしい獣

 それは空から降ってくる。
 ひとつ口に入れると、ほわんと体が浮き上がる。
 どんどん空から降ってくる。
 ふたつ口に入れると、ほわほわんと体が浮き上がる。
 少しずつ、少しずつ、空へ空へと浮き上がりながら、それで自分はどこに行きたかったのかしらと考える。
 考えたとたんに、すとんと体が小さく沈む。あわてて両手いっぱいにつかんで口に詰め込む。ほわほわほわんと体が浮き上がる。
 子どものころに空を飛んだことがある。見えない階段をひとつずつ昇って、わくわくしながら風に身をゆだねた。風はわたしを遠く遠くへと運び、そのまま一挙に吹き戻した。足の裏に感じるじっとりと湿った土。自分はこのままここで生きていくのだと、そのとき思った。
 あれから何年も時が過ぎ、わたしの体は大きくなり、しなびた手と傷だらけの足をもっている。それ以上のものを求めていたわけではなかったのだけれども、空から降ってきたものを目にしたとたん、それを口にせずにはいられなくなった。
 口に詰め込んで詰め込んで詰め込んで、どんどん地から遠くへと浮き上がる。別に行きたいところがあるわけではない。行かねばならないと思っているわけでもない。
 ただ、口いっぱいにほおばりたいだけ。なにも考えずに、ただ。



Copyright © 2014 たなかなつみ / 編集: 短編