第140期 #14
大学三年の誕生日にもらったこのマルボロも、ついに最後の一本である。四年ほど前か。ヘビースモーカーの友人、渡辺が、俺を喫煙者に仕立て上げようとして渡してきたのだ。結局俺は付き合いで何度か吸ったくらいで、喫煙習慣が付くことはなかったのだけど。
そんな渡辺も、卒業してすぐ徴兵され、遠くへ行ってしまった。
火を点け、軽く吸い込むと、懐かしい喉のいがらっぽさを感じた。相変わらず全然美味くない。三月の雑居ビル屋上はまだ肌寒く、人影は見当たらない。まあ、どこを見ても誰もいないのだが。こんな時に外に出る奴なんていない。
「世間とか社会みたいなさあ、実体なんかねえ大人たちがよ、『将来のことを考えなさい』って俺等の髪引っ掴んで無理やり未来の方を向かせてっけどさ、真っ暗なんだよな。でも時間だけは確実に俺等を運んでてさ、二十歳前後って結構絶望じゃない?」
戦争前のことだ。渡辺は酔うといつもこんな調子だった。そんなことないよと俺はなだめていたけど、心のなかでは同意していた。認めたら二人してダメになりそうだったから。元気にしてるかな。まあでも、やっぱ無理なのかな。
徴兵の前夜、俺の家で二人で飲んだ。いつも通り内容のない話をして、でも二人とも何かから逃げるように強い酒を飲んで、段々渡辺の声が大きくなって、と思ったら急に改まったように体育座りなんかして「ごめん、ありがとう」と言い、長袖でゴシゴシと顔を拭いて、そのままの体勢で寝た。そこまでは覚えている。目覚めた時、もう渡辺はいなかった。
吐き出した煙を何とはなしに目で追うと、空がやたら広いことに気がついた。なるほど、煙草は空を見るために吸うのかもしれない。薄い水色が、全くどこまでも一辺倒に続いている。空き箱をぎゅっと潰して、左手で投げてみた。ほとんど飛ばず、揺れながら落ちていった。
まだ半分くらいあるマルボロを踏みつける。吸ったらふらりと飛び降りようと思っていたけど、やめた。もしかすると最初からそんな気なんてなかったのかもしれない。
もう一箱吸ってからでも遅くはないと思えた。銘柄を選ばなければ、煙草くらい買えるだろう。目を凝らすと、空にまだ薄く煙が残っている。ヘリの音がする。
階段室へのドアを開けた。いつの間にか、軍でもどこでも行ってやるという気分になっている。一段飛ばしの足音に、ポケットの中で鍵とライターがぶつかるリズミカルな音が混ざる。